第17話 馬籠
「ほれ。起きぬか。桜狩の者が情けない」
ぺしぺしと千彰の頬を叩いて激励する。
「う……」
小さくうめき声を上げつつ薄目を開ける千彰。
「あんた、確か……」
「もうよさそうじゃの。あれはしばらくわしが相手をしておく。おぬしらは逃げる支度をしておけ」
え、と問い質すのと、馬籠が千彰に背を向けるのと、彼目がけて巨大な拳が迫っていたのは同時だった。
「まったく。おぬしも懲りぬの」
ぱん、と軽い音がした、と感じた次の瞬間、馬籠の左側の土が爆ぜた。
「きょうで三度目か。記憶を失い、人の範疇を超えてまでしてもなお我らを憎むか」
鏨牙は千彰ではなく馬籠に狙いを変え、土塊飛び散る中を上昇しながら肉薄する。
「ぬううっ!」
「おお怖い怖い。じゃがの、かつての信念に満ちあふれたおぬしならともかく、いまの、妖魔ですらないおぬしに、誰が後れを取るものか」
鏨牙の一見無秩序な、しかし的確に急所を狙い続ける攻撃に、馬籠は手にした杖で応戦、有効打どころか浴衣に触れることさえ許していない。
「すごい……」
それを地上で眺める千彰たちに馬籠は一喝。
「はよう逃げぬか! そう長くはもたんぞ!」
「ほら、千彰くんも鋏臈さんもはやく」
いち早く我に返ったすずめが千彰の手を引き、明香梨とトワ子を背に乗せた鋏臈がそれに続く。
ええ、とこたえて視線を合わせる鋏臈とは逆に、千彰は生返事をするだけで視線は馬籠たちに向けられたまま。
「もう、こういう所ばっかりオトコノコなんだから!」
見た目には呆然と立ち尽くす千彰の耳を、その小さな体をジャンプさせて掴み、強引に引っ張る。ふたりの身長差は三〇センチメートル近くあるので当然、
「いってぇ!」
悲鳴をあげてしまう。
「ほらもう帰るから! 馬籠さまが時間稼いでくれてるんだからはやく!」
「お、おう」
と言いながらもやはり視線は上に。今度こそ堪忍袋の緒が切れたすずめは鋏臈に顔を向け、強く言う。
「鋏臈さん、やっちゃって!」
「は、はいっ」
なにを、と聞き返さないあたりは彼女も同じ気持ちだったのだろう。蜘蛛としての腹部を持ち上げ、自身の肩越しから糸を大量に放出。あっという間に口と鼻と足先だけを残して簀巻きにしてしまう。
「おいこらすずめ!」
「うるっさい! それ以上言うと口も塞ぐから!」
千彰の反論を、それ以上の怒号でねじ伏せて鋏臈に目配せ。頷くのを待って脱兎の如く走り出す。
「逃がさぬ!」
馬籠たちはいまだ空中で攻防を繰り広げている。にも拘わらず鏨牙はすさまじい拳圧を放ち、すずめたちの眼前の地面を炸裂させた。
「いけません!」
とっさに鋏臈が糸を放出して柔らかな防壁を作って破片が当たるのは防いだが足は止まってしまった。
「乙女を傷物にするではないぞ、たわけめ」
軽口を叩いてみせるが、顔からは汗が滲み、拳をさばく杖の挙動も若干だが遅くなりはじめ、実際のところ余裕はずいぶん無くなってきているようだ。
「はよう逃げぬか!」
叱責するのは、鏨牙の意識が千彰たちへ向かい始めているから。
すうう、と深く大きく息を吸い込み、すぐさま大音声の咆哮をあげる鏨牙。試合場を揺さぶるかのような咆哮に、馬籠を除く全員が耳を塞いで身をすくませ、馬籠を含めた全員が自分の声さえ聞こえなくなるほどの残響音にさいなまれた。
「いかん! 妖魔どもが来るぞ!」
馬籠の警告に耳を傾けられたのはすずめだけ。だが聞こえたからといってなにか対応策が打てたわけではない。
地面が天井が盛り上がり、破裂し、中から蟻型や蛭型などの小型の妖魔たちがわらわらとあふれ出てくる。数はあっという間に地面を場外を客席を埋め尽くし、足の踏み場も無くなってしまう。
「な、なんで! こんな数どこから!」
「鏨牙さんの咆哮に呼び寄せられたようですわね。おこぼれに預かるために!」
驚くすずめに説明しつつ、自身は明香梨と簀巻きのままの千彰を背中に乗せ、トワ子を蜘蛛の口に押し込めると子蜘蛛たちを放って逃げ道を確保する。
「その妖魔どもはそちらでなんとかせい! わしはこやつをどうにかする!」
札で妖魔たちを相手取りながらすずめは上空の馬籠へ返す。
「どうにか、ってなにをなさるつもりです!」
「なに心配するでない。老人としての役目をな」
鏨牙に圧倒されつつある馬籠からそういうことを言われ、それを素直に受け止められるほどすずめは子供ではないし、彼との付き合いも浅くはない。
「すずめ! なにがどうなってる! 鋏臈、糸を外してくれ!」
困惑した鋏臈の視線を受けてすずめは首を振る。
「だいじょうぶ。千彰くんがやれそうなことはないから」
「だからってな! 馬籠のじいさん来てるんだろ?!」
「来てるけどね。うん、まあこっちがはやいかなっと」
すっ、と懐から札を一枚取り出し、鋏臈の糸でぐるぐる巻きの千彰の額に貼り付ける。
「急急如律令っ。ちょっと寝ててね」
「や、やめ……っ!」
抵抗むなしく千彰の意識はあっさりと遮断され、寝息を立て始める。
「ごめん、とひとこと謝って、すずめは腕まくりして叫ぶ。
「みんな! 出てきて馬籠さまを援護して!」
すずめは、この地下試合場へ突入する際に、配下の陰陽師たちを可能な限り同行させていた。いままで姿を見せなかったのは、鋏臈が凶行に出たときのための切り札として使うつもりだったからだ。
すずめの号令で客席から花道から現れたのは顔を漢数字の書かれた半紙で覆った、狩衣姿の陰陽師たちが二十人ほど姿を見せる。
未熟な自分についてもらっていることが申し訳ないほどの、いずれ劣らぬ精鋭たちだ。
陰陽師たちは現れた無数の妖魔たちを次々と退治し、札へ還元していく。すずめたちが進む道も開け、退路はあっさりと確保できた。
まだこんなにもひとを隠していたなんて、と鋏臈は呆れる。
「物騒ですわね」
「だって鋏臈さんの目的わからなかったし、仕方ないじゃないですか」
そうですわね、と微笑む鋏臈は、
「馬籠さまには申し訳ありませんが、わたくしはここで失礼します。千彰さまや明香梨さんを無事にご帰宅頂かなければなりませんから」
深々とお辞儀をする。
「うん。あたしは馬籠さまのお手伝いしていくから」
「あまり、ご無理をなさらぬように」
ありがと、と微笑むすずめを横目に鋏臈は千彰たち三人と共にしずしずと闇へ消えていった。
あとは、自分だけだ。
「馬籠さま!」
馬籠とは物心ついたときには遊び相手として接していた。最近は妖側の顔役としての彼とも接するようになっている。すずめは気のいい親戚のおじさんと思っているし、向こうもたぶんそれに近い感情を持っていると思う。妖に血縁の概念があるかは別にしても、馬籠はすずめを、そして人間を好いていてくれている。
自分にできることは、彼の助力になること。
「さがれと言うたじゃろうに。まあよいわ。陰陽師たち! 力を貸して貰うぞ!」
不敵に笑む馬籠。
直後、馬籠のチカラが高まっていくのが場の全員が感じ取る。
その力の流れですずめは馬籠がなにをやろうとしているかを察した。
「みんな! 流れを!」
それ以上の言葉は鏨牙に気取られると判断し、すずめは最小限の指示に留める。そして陰陽師たちもひと言で充分だった。一斉に札を、馬籠と鏨牙の周囲に留まるように、ふたりを包み込むように投げる。
「我を封ずるつもりか。時を稼いだところで我の目的は変わらぬ」
「じゃろうな。じゃが、ひとは成長するもの。桜狩の血を甘くみてはいかんぞ」
「おう、が……」
「そうじゃ。お主にも縁深い家じゃろうに、そんなことまで忘れてしもうたか」
「……う、ぐ、ぬああああっ!」
それまでの、理知的でさえあった鏨牙の表情が苦悶で染まる。
「ふふ、苦しめ苦しめ。それだけのことをお主はしたのじゃからの」
ふたりを囲む札が輝き始める。
懊悩する鏨牙を、馬籠は正面から抱きついて動きを封じる。それに呼応して周囲の札がふたりに張り付き、より強く輝く。
「よいなお嬢ちゃん、手伝ってもらったおかげで三日。三日の猶予ができた。感謝する。じゃからその間に力を蓄え、こやつを、
手は尽くした。
馬籠の気高い覚悟を邪魔することはできない。
「はい。必ずお助けします」
「わしはよい。充分に生きた。千彰やお嬢ちゃんのような未来にも遭えた。わしの命にかまけて目を曇らせるでないぞ」
「……はい」
「うむ。では、頼んだぞ」
穏やかな微笑みと共に、ふたりはただの光となってリングの中央へ落ちる。
光が収まったそこには、一本の細い柱が突き刺さっていた。
「……」
ぐい、と袖で拭ったのは汗か、それとも。
「みんな、お疲れ様。馬籠さまがおっしゃられたように、あたしは鏨牙打倒の手はずを整えます。みんなは、交代で妖魔が近づかないようここを守ってください」
どうにか言い終え、すずめは試合場をあとにした。
だいじょうぶだ。
絶対に、助ける、
考えることが山積みで、むしろ助かったぐらいだ。
「待っててください。馬籠さま」
さいごにもう一度だけ、柱を振り返った。
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