第15話 愛の向かう先

「あんた、百恵さまがどれだけ心配なさってるか想像できてるの?!」


 詰め寄り、指を突きつけ、ありったけの思いを込めて明香梨は怒鳴りつける。


「お、俺はだな」

「そんなこと知らない。こんな連中にいつまでも手こずってるあんたが悪いの」


 反論を、抜刀しつつ鋏臈を睨み付けることで封じる。


「おまえ、」

「トワ子に負けそうになってたあんたが、トワ子の親玉に楽に勝てるなんて思わない。あんたのためじゃない。百恵さまのためよ。百恵さまのためならあんたのプライドなんか砂利より軽いんだから」


 ややあって千彰はゆっくりと頷く。


「悪いが鋏臈、急いで帰る理由ができた。ふたりでやるがいいな」


 ふたりからだを合わせるように向かい合い、顔を切っ先を鋏臈に向けてふたり睨み付ける。


「ええ。千年前からのご縁は明香梨さんにもあります。再び相まみえること、悦びに存じますから」


 千年前? と明香梨が眉根を寄せる。あとで話す、と千彰が返す。ん、と答えた声を置き去りに明香梨は鋏臈へ斬りかかる。


「させません!」

「見えてるから!」


 左から飛び込んで来たトワ子へ、明香梨は当然のように対応する。

 振り下ろされたトワ子の拳を明香梨は上段からの斬りつけで防ぐ。

 拳と刃のつばぜり合いになった背後を千彰は切っ先を下に駆け抜ける。

 振り下ろされる鋏臈の前肢をくぐり抜け、根元を切り上げる。


「せあっ!」


 太く、硬い。いままでの脇差しから刀での攻撃は、より大きなダメージを与えられるとの予想に反した結果を与えた。

 あの巨躯を支える脚が簡単に両断できるとは思っていなかったが、それでも脇差しと同程度の傷しか付けられないなんて。


「いい太刀筋ですわ。わたくしも力を入れすぎてしまいましたもの」

「そうか」


 鋏臈の言葉は、千彰にすればお遊戯を褒める母親のようにしか感じられず、刀を握る力を増大させる。

 どうにかして、あの前肢を封じなければ。

 無闇に攻撃することをやめ、しかし構えは解かずに鋏臈を観察する。

 異形で、美しいと思う。

 試合をするために来たんだ、と息巻いてはみたものの、その勢いがピークを過ぎてしまえばなんと闘い難い姿か。

 蟲型の妖魔とも、人に近い姿の妖とも何度も闘ってきた。

 しかしその両方が合わさった結果がこれだ。

 さらに言えば、蜘蛛は桜狩の家にとっては守り神でもある。


 そして人の姿。

 攻撃にも防御にも人の腕などは使ってこないが、いくら剣術莫迦の千彰でもさすがに目に毒なものがあれば剣筋も乱れる。

 もっと言えば鋏臈からは好意以上のものを告白されている。


 こんな状況でどうやって殺意を向けろと言うのだ。


「ちょっと千彰?!」 


 つばぜり合いから脱し、トワ子との間合いを計っていた明香梨は、千彰から戦意が喪失されていくさまに驚きつつも鋏臈に刀を向ける。


「あんた、千彰に変なことしないでよ!」

「あら。わたくしはなにもしていませんわ。千彰さまの心を操って支配しても、それは本心からの愛ではないでしょう?」

「あんた、なにを?!」

「わたくしは千年の時を超えて千彰さまに愛を誓う存在。きょうだって、ゆっくりと千彰さまと語らいたかっただけですもの」

 

 困惑しきった目で千彰を振り返るが、静かに頷かれてしまう。このとき明香梨の胸に去来した思いは、おそらく嫉妬に近い感情だった。


「だ、だめ。それは、だめ」


 だがそれを認めたくはなくて、でも千彰をどうにかされるのはすごくすごくイヤで。口をついて出てきたのは信じられないほど子供じみた拒絶だった。


「あらあら。さすがの明香梨さんも、千彰さまのこととなると形無しですわね」

「な、なによそれ! わたしと千彰が、なんだっていうのよ!」

「うふふ。真っ赤になってかわいらしいこと」


 口元に手を当ててくすくすと笑うが、決して侮辱した様子はない。幼子の遊戯を見つめる慈愛さえ感じた。


「ば、莫迦にするなぁっ!」

「いえいえ。とても初々しくてよいと思いますよ。それに、そうやってきりりと並び立っている姿はとてもお似合いでしたし、わたくしには叶わぬことですから羨ましくさえ思いますもの」


 けなされているのか褒められているのか、それとも掌のうえで転がされているだけなのか、なにも分からなくなって頭がぐるぐると回って。

 困惑しきった明香梨と慈愛に満ちた鋏臈。ふたりの視線が交差するのは千彰。明香梨までもがそんな風に見つめてくるなんていままでなかった。

 せっかく闘う気になっていたのに、すっかりそんな雰囲気でなくなってしまったことに嘆息し、千彰は鋏臈に問いかける。


「なあ、あんた何が目的なんだ。俺の命か。それとも明香梨か」

「命なんて滅相も無い。わたくしの願いはただひとつ。千彰さんと添い遂げることだけですわ」


 またそれか、と千彰はもう一度嘆息するが、明香梨は頬を鎖骨を真っ赤にして叫ぶ。


「だ、だめ! 千彰は、千彰は!」

「千彰さまは、なんです?」

「だ、だって、千彰、は……」


 言いよどむ明香梨に、鋏臈は一転、鋭い視線を向ける。


「いまのおふたりはただのご友人。よく見積もっても戦友でしょう? わたくしと添い遂げることに差し支えはないと存じますが」


 自分の意志をまるで無視したふたりのやりとりに、いい加減堪忍袋の緒が切れた。そのことをぶちまけようと思った矢先、千彰の背後に轟音を伴っていかずちが落ちた。


 

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