第14話 対面

「もういいだろ。なにか服を着させてくれ」


 次に意識を取り戻したとき、千彰は以前トワ子と闘った闘技場に立たされていた。

 差し込む月明かりがまぶしいほどだが、そのぶん影も、完全な闇夜よりも濃く感じる。


「わたくしとしては、このまま千彰さんのからだを観賞していたいのですが、仕方ありませんね」


 トワ子の言いように渋面を浮かべつつ、千彰は手を差し出す。


「? ああ、少しお待ちくださいね」


 にこやかにトワ子は右手の五指の先を千彰に向ける。


「だから服を」


 しゅるしゅるとトワ子の指先から純白の糸が伸びて千彰の裸身に絡みつく。


「苦しかったら言ってくださいね」


 全身を糸が這うくすぐったさも一瞬。気がつけば糸は学生服へと変貌していた。着心地は無論、ご提案にベルトまで普段使っているものと同じデザインだった。


「千彰さんが普段着られているものと、可能な限り同じ仕様にしました」

「しました、って言われてもな」


 言いながら身をよじって全身を見る千彰。確かに感覚は学生服と同じだが、妖魔からの攻撃をどれだけ防いでくれるかわからない。

 が、問題はそこではない。


「で、闘うのはまたあんたか?」


 千彰が手にしているのはトワ子の血がまだ付着している脇差しのみ。少々心許ないが文句は言えない。


「いいえ。今回闘っていただくのは我が主。鋏臈さまです」


 ぬるり、と対面の花道に落ちた影から現れたのは、蜘蛛型の妖魔。

 横幅は千彰が両手を伸ばしてもまだ足りないほどに広く、深紅に輝く瞳は全部で六つ。ソフトボール大のものが二つ中央に並び、ピンポン玉ほどのものが左右二つずつその隣に並んでいる。

 六つの瞳のやや下側に入る横筋はおそらく口。両端から突き上げるように伸びる牙。その姿に、千彰は格好良ささえ感じた。

 全身を覆う、灰色と暗赤色のまだらの短毛が風にそよぎ、触れたら気持ちよさそうだ。

 ここまでなら、よくいる蜘蛛型の妖魔だ。

 千彰もこれまでに何匹も相対してきた。粘着質の糸による拘束や酸性の強い唾液にひどい火傷を負ったこともある。

だが千彰が知る鋏臈は人の姿をしていた。

どういうことだ、と問いかけようとした言葉は、大蜘蛛がもう一歩前に出てその全身が影から出たことで霧散した。


「そういうことか」


深紅の瞳が並ぶその少し上。

そこから、まだ二十代半ばほどの女性の裸身が、生えているのだ。


「この姿でははじめましてですね。鋏臈にございます」


 女性の肉体は鼠径部より上だけ。裸身を覆う長髪は艶めく黒。肌は透き通るように白く、そこだけを見れば美しいと言える。

 無論、女の下半身とも言える蜘蛛のからだも、均整の取れたつくりをしていて見る者が見れば美しいと評しただろう。

 が、そのふたつが融合するとここまでの異形になってしまうのか。


「……、やはり、醜いと感じられますか?」


おずおずと問われ、千彰は言葉を選びつつ改めて鋏臈の全身を観察する。

 異形ではある。が、それほど恐怖や嫌悪を感じないのは生えている女性は過去二度対面している鋏臈だからだ。 

 その姿は裸であるが、自分でも不思議に取り乱すことはなかった。


「そっちが本来の姿なのか?」

「ええ。この姿で人里に出ると他の方々のご迷惑になってしまいますから」


確かにいまの鋏臈の体躯は自動車ほどある。人の姿に化けるのは道理だと感じる。


「そうか。うん、最初は驚いたけど、いまはそれほど怖くない。……きれい、だと思う。思います」


最後が敬語になったのは、初対面の時の自分の態度を思い出したから。


「言葉遣いなら大丈夫ですよ。砕けた口調のほうがわたくしも気が楽ですから」


 緩く握った右手で口を隠し、鈴の音を鳴らすように微笑む。

 そんな、百恵でしか見たことのない上品な仕草に千彰は頬を染める。


「そう、か。ならそうさせてもらうよ」

「ええ。是非に」


 頷いて千彰は疑問を投げる。


「あんたはおれを知ってるようだけど、おれはあんたのことを知らない。鶻業も、知り合いの妖もそう言っていた。それに以前、千年生きてるって言ってたよな。……あんた、本当に何者なんだ?」

「ええ。わたくしは千年の間生きて参りました。それもこれも、全て千彰さまに再び逢うため」

「どういう意味だ?」

「わたくしは千年前に死に別れた千彰さまの魂を追って参りました」

「……俺の、前世、ってやつか?」

「はい。そしてようやく伝えられます。ずっと、お慕いしておりましたこと。なにより添い遂げたいという願いを」


 なにを言われたのか分からなかった。


「……は?」


 出てきたのは間の抜けた、声とも吐息ともつかないなにか。

 脳も心も理解を拒み、しかしせめてもう一度説明してもらおうと鋏臈を見やれば、胸の前で手を組み、鼻息を荒くしながらこちらをじっと見つめていた。

 視線が合うと、ずい、と詰め寄り、熱く語る。


「いまは、こんな姿ですが、いずれは完全な人と同じ姿に変化してみせます。ですから」

「ま、待て待て待て。なにを言ってるんだ」


 両腕を伸ばして壁を作って後ずさりしながら千彰は抵抗を試みる。


「ですから、千彰さまと添い遂げたいと」

「それは分かった。けど、そうじゃない」

「だって、妖と人が結ばれた事例なんて過去いくつもあります。驚くことも躊躇することもないでしょう?」


 熱を帯びていく鋏臈とは対照的に、千彰の熱量はどんどん下がっていく。


「おれはあんたと試合を、勝負をするためにここまで連れてこられた。試合をやらないなら、帰るぞ」

「あら、妖魔はお嫌いですか?」

「だから、おれは試合のために風呂の中から引っ張り出されて来たんだ。それに百恵さんに何も言ってない。だからはやく終わらせたいだけだ」

「ではわたくしが勝ったらお付き合いいただく、ということで」

「いい加減にしろ!」


 千彰の怒号に鋏臈は一切怯まず、ただゆったりと微笑み、


「申し訳ありませんでした。この姿を受け入れていただいたことですっかり舞い上がり、千彰さまのお気持ちを考慮しておりませんでした」


 腹部の先端をぐるりと反らして自身の顔まで持ち上げて、そこからひと振りの刀を取り出す。


「複製ですが、普段使われているものと、」

「こっちで問題ない。さっさと始めるぞ」


 風呂場からずっと握っていた脇差しを逆手に構え、状況的に彼女が審判役だろうと判断してトワ子を見やる。


「主、僭越ながらわたくしが審判を務めさせていただきます」

「任せます。わたくしとて強い殿方と闘うのは、やぶさかではありませんから」

「言っておくけど、おれはお前と添い遂げるつもりなんかないからな」

「明香梨さんのことが気になるようでしたら、わたくしは妾でも構いません。ですのでまずはお友達から始めましょう。わたくしのことを知ればきっと、」

「もういい。はじめてくれ」


 千彰から促されたトワ子は、すっと右手を挙げ、勢いよく振り下ろす。


「それでは、はじめ!」

 

     *     *     *


 脇差しで問題ないと言ったのは強がりではない。

 衣服の提供を受け入れたのは、単純に裸でいることを嫌っただけ。どの道すずめの札がなければ妖魔や妖からの攻撃を防ぐことはできない。

 となれば相手の攻撃を避ける必要があるので、太刀よりも小回りの利く脇差しを選んだのだ。


「はああっ!」


 左前肢を小さく切りつけ、すぐさまバックステップで距離を取る。反撃の右前足がフック気味に伸び、僅かに遅れた左スネの布を裂く。

 開始から五分。

 千彰の衣服はすでに乱雑に切り裂かれ、隙間から肌がのぞいている。が、出血には至っておらず、見た目ほどの危機感はない。


「せえっ!」


 バックステップから一気に間合いを詰め、戻そうとしている右前肢を斬り上げる。


「危ないですわ」


 普段と違う脇差しだから間合いを見誤ったのではない。相手が逃げることも考慮しての一閃を、鋏臈は事もなげに下がって避けた。


「うふふ。蜘蛛型と闘うのは初めてですか?」


 余裕たっぷりに微笑む鋏臈に若干の苛立ちを覚えつつも千彰は集中を切らさずに追撃に入る。

 まずはあの前肢だ。

 あの巨躯を支えるだけあって振り下ろされる膂力はすさまじい。が、いままで戦ってきた妖魔たちにそういうタイプがいなかったわけじゃない。


「おおおっ!」


 振り上げられた左前肢を細かく何度も切り、振り下ろされる直前に間合いを切る。いまはこれを繰り返す以外に、


「千彰くんおまたせ!」


 背後から、声とともに投げられた刀を千彰は振り返りもせずに右手を横に伸ばしただけでキャッチする。


「仲がよろしいのですね」

「付き合いが長いだけだ」


 言いながら、鞘と柄を縛り付ける紐を口で解き、鞘を左腰に、刀を正眼に構える。

 しかし、すずめが運んできたのは刀だけではなかった。

 待って、と無遠慮にリングへあがってきたのは明香梨だった。


「おい明香梨」

「なによその目。また邪魔するなって言うの?」


 一足飛びにリングへ飛び移るとそのままつかつかと千彰へ詰め寄り、睨み付ける。


「そうだ。これは俺と鋏臈の、」

「少しは心配ぐらいさせなさいよ! この莫迦千彰!」

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