第10話 千年の思い

 落雷。

 全員がそう思うほどの大音声が試合場に轟く。

 千彰の胸元へ吸い込まれるのを待つばかりだったトワ子の突きは、その落雷により寸断される。反射的にふたりは距離を離し、リングのふちギリギリで止まる。たたき折られたトワ子の刀身は激しく回転しながら弧を描いて試合場の壁に突き刺さる。


「無粋です」

「悪い」


 トワ子が不適に微笑みつつ、千彰が冷や汗混じりに言う。


「桜狩千彰との決着はさきほどの一撃で決まったも同じ。ここからはわたし、七星明香梨が相手をする」


 そこに佇んでいたのは、こめかみのあたりから深紅の角髪を左右一対ずつ生やした明香梨。

 鬼の一族は人と和解し、共に暮らすようになって一番の障害が角だった。

 彼らは陰陽師たちの助けも借りて角を髪と同じように柔らかく変質させ、鬼としての力を使うときに硬質化させる、という方法を採用したのだ。


「そんな権限が、たかが鬼女おにおんなのあなたにあるとでも?」

「この試合のルールがわたしの知るものと同じなら、対戦相手の殺害は事故であっても重大なペナルティが科せられるはずです。それを回避したのに、文句を言われるとは心外です」


 人と妖の試合は互いの和解の証として始まった経緯がある。そのため、安全面は厳重に管理されている。

 試合を遮られたトワ子は気を悪くした様子も見せず、ものは言いようですね、と苦笑しつつ肩で息をする千彰へ視線をやる。


「わたくしは無論、寸止めするつもりでしたけどね」


 ですが、と咳払いをして、


「どうやら千彰さまは本気を出していらっしゃらないご様子。でなければあんな突き、あっさりとカウンターで返していたでしょう」


 買いかぶりだと千彰は思う。すずめには怒られるだろうが、あの攻撃はそのまま受けてその状態で反撃をするつもりだったのだ。

 そんな思いが顔に出ていたのだろう、すずめが遙かなリング外から叫ぶ。


「もう! またそうやって自分のからだを大事にしない戦法をとるんだから!」


 悪い、と謝った千彰に、トワ子は小さくため息を吐いて、


「明香梨さんはこうおっしゃってますが、千彰さまはどうなさいますか? わたくしとしては、我が主の悲願のために明香梨さんと戦っておきたいのですが」

「あんたの主がどんなのか知らないけど、あんた程度にわたしが負けるわけない」

「それはやってみなければ分からないことでしょう?」


挑発的なトワ子の笑みに、明香梨は「うるさい」と睨み付け、千彰に向き直る。


「千彰はもう負けたって言ったでしょ。はやく下がって」

「わたくしは千彰さまにお伺いを立てているのです。あなたは黙ってていただけますか」


 苛立ちよりも、勝ち誇ったような口調でトワ子に割って入られ、明香梨はいまにも切りかかりそうなほどに激しく睨み付ける。


「あんたこそ黙ってて。千彰、はやくリングから、」

「ふざけんな」

「は? 千彰殺されそうになってたじゃない」

「そこで死ぬならそれまでだ」


 あっさりと言い切る千彰に明香梨は呆れ、すずめは頬を膨らませ、トワ子は薄く笑みを浮かべる。


「助けてもらったのは感謝するけどな。俺があそこでやられようと、お前には関係ない。これはオレと斑目の試合。続行だ、斑目」


 立ち上がって明香梨の肩を掴んでぐい、とどかす。


「ちょ、ちょっと千彰!」

「黙ってろ」


 初めて。初めて睨まれた。知り合っていままで普段でも稽古でも睨まれたことなんて一度もなかったのに。

 

「ご、ごめん、なさい」


 初めてのことに戸惑い、視線の鋭さに圧されて明香梨は刀を納めてしまった。


「うふふ。それでこそ千彰さま」


 するり、とまたどこからか刀を取り出して構え直し、うっとりと微笑む。


「ですが、また邪魔をされても面倒です!」


 消えた、と思った次の瞬間、トワ子は壁に突き刺さった刀身を抜いて左手で逆手に持つ。直後壁を蹴って明香梨へ迫る。


「あなたさえ居なくなれば、我が主の宿願が果たされるのです!」


 千彰に睨まれたことがよほどショックだったのか、明香梨はすっかり戦意を喪失し、角髪もただひと房の髪へと戻っている。トワ子の接近に対して致命的なまでに反応が遅れた。

 え、と明香梨が顔を上げたすぐそこに切っ先。右の視界には折れた刀身が後詰めに控えている。いまからではどう反応したところで切られる。

 喉か、胸か。


 影が。


 鼓膜を直接揺さぶるような高音が明香梨の耳朶を打つ。

 すぐ目の前には真っ黒い壁。


「やめろ斑目。こいつは関係ない」


 千彰だ。

 そう気付くまで、きっとずいぶんかかった。


「わたくしたちの決闘を邪魔した無粋な鬼女なぞ、金輪際刀が握れぬよう痛めつけてしまったほうがよいかと思いますが」

「……それは、お前の主とやらの命令なのか」

「いえ。わたくしの独断です」


 す、と刀を戻し、折れた刀身も右手の刀も鞘にしまう。


「なら、オレとだけやればいいだろう。明香梨が乱入したことならオレが謝る。だから、オレとだけ試合をしろ。いいな」


 切っ先を左下、柄を右上の防御の構えのまま千彰は低く押し殺して言う。


「それに、この場所に呼びつけた鋏臈の姿が、少しも見えないのはなぜだ。昨日会った時はそんな無礼な相手だとは思わなかったが」

「ふふ。さすが千彰さま。我が主鋏臈は慈悲深く思慮深い妖。この試合はわたくしの独断で行っていることですので、気分を害されたのならわたくしを憎んでくださいませ」


 トワ子の言葉にすずめはリングによじ登り、つかつかと詰め寄る。


「ここまで御堂の家と組合を侮辱するなんて、いい度胸です。鋏臈さんと直接対話をさせてください」


 荒い鼻息が顔を覆う半紙をめくり、たなびかせている。


「それは出来かねます。我が主はただいま長い眠りについております故」

「昨日、千彰くんと会ったって聞いてますけど」

「主は長命につき、睡眠も人や鬼のそれよりも長いのです。ご容赦を」

「ではお目覚めになられたらすぐに連絡してください。組合に加盟しているかどうかなんて関係ありません。斑目トワ子さん、あなたは踏み越えてはいけない領域を超えています」


 ふう、と息を吐き、肩をすくめるトワ子。


「仕方ありません。御堂の家に睨まれては我が主といえども困ります」


 スカートのポケットからスマートフォンを取り出すトワ子。


「それには及びませんよ、トワ子」


 闘技場の、千彰たちが案内されたのとは逆方向にある出入り口。そこから灰色の和服姿の女性がひとりやってくる。足音ともに流れてくる空気に、三人は悪寒を感じる。

 鋏臈、と千彰がつぶやき、すずめは会釈。明香梨は腰の鞘に左手を添える。


「わたくしの子が大変な無礼を働いたこと、まずはお詫びします」


 両手を下腹部のあたりで組んで深く頭を下げる。


「子がしでかしたことは親の責。どのような処罰もお受けいたします」


 艶めいた声音は蠱惑的な響きを伴って三人の耳朶にすべりこむ。


「い、いえ。あなたは、組合に加盟していない、して、いない、妖です。しょ、処罰など、与えることは、こと、できませんんんっ」


 語調がおかしいのはなによりすずめ本人が理解している。が、制御できないのだ。


「おいすずめ?」

「ち、ちが、ちがうの。あの、鋏臈さま、さんを視てると、おかしく、なるのぉっ」


 頬は朱く、瞳は歓喜の涙で潤んでいる。なのに呼吸は浅く激しく、まるで過呼吸のような症状を見せている。

 どうみてもおかしい。


「しっかりしろ。おまえは御堂の統領だろ」

「けど、だめ、だめぇっ。呑まれるのぉっ」


 目を丸くしたのはむしろ鋏臈のほう。


「あらあら。申し訳ありません。警戒しすぎて少し強くしてしまいました」


 ぱん、と柏手を打つ鋏臈。同時に彼女へ向けて空気が流れていく。

 

「ひばりさんの孫、と聞いていましたが、まだまだ発展途上のようですね。この程度の精神支配に抗えないなんて」


 残念そうに吐息を零すのと、すずめの呼吸が戻るのは同じだった。


「あなた、何者なんです」

 

 精神支配、と聞き捨てならない攻撃をされたにも関わらず、すずめは懐から札の束を取り出し、敵意も露わに睨み付ける。


「あらこわい。かわいい顔が台無しですわ」

「答えてください。組合に加盟するしないに関わらず、それぐらいは従えるはずです」


 ふふ、と柔らかく微笑み、


「わたくしは鋏臈。千年を生きる妖にございます」


 深く深くお辞儀をした。




 


 

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