第11話 強くなるということ

 先述したように、桜狩の家は古くからの剣術の道場だ。

 剣道ではなく剣術。

 妖魔が跋扈し、それらを千彰たち剣士が狩り、あるいは喰われる。千年以上前から続くこの構図は、人間同士でやるお行儀のいい剣道ではなく、生き残ることを前提とした剣術道場を根付かせることになった。

 桜狩家の道場から、乾いた衝撃音が断続的に鳴り響いてくる。


「おら、どうしたどうした!」


 木刀を手に、一見乱雑に攻めるのは鶻業。いまの姿は人間と同じ手足。衣装は、百恵が嬉々としてタンスから引っ張り出した白衣に紺袴。聞けば千彰の父のものだと言うので最初鶻業は渋ったが、ぜひ着てください、と押しつけられてしまった。


「太刀筋が、めちゃくちゃなんだよ、あんた!」


 息も荒く鶻業の攻撃をさばく千彰は動く度に汗が舞い散り、体幹さえまっすぐに保てていない。


「剣術なんて、やったことないって、言った、だろ!」


 剣道とは違う、と言ってもある程度の型はあるし、作法もある。明香梨との稽古は彼女も同じ流派の剣術をベースに木刀を振るうので、鶻業のめちゃくちゃな攻撃に手間取っている。


「お前から、誘っといて、文句、言うな、よ!」


 僅かな隙から打ち込んできた千彰の木刀を軽々と弾き、脳天へ振り下ろす鶻業。


「くっ!」


 木刀を戻したいが払われた衝撃で手が痺れて反応が遅れる。やってくる痛みに全身を固めた刹那、腹を蹴り飛ばされた。


「がっ!」


 漆喰の壁に背中からぶつかり、ずるりと床に落ちる。ここまで千彰が圧されているのは札を使っていないから。

 すずめがいない時に妖魔と遭遇してもいいように、と貼り付けるだけで発動する札を何種類か渡されているが、いまは自分を追い込みたい、と使っていない。

 やりすぎたか、と鶻業は零すが、すぐに千彰が顔を上げたので内心安堵しつつ問いかける。


「まだやるか?」

「……いや、降参だ」


 咳き込みながら、木刀を支えにどうにか立ち上がり、ふらつきながら礼をする。


「ありがとうございました」


 ん、と返して何度か自身の木刀を振ったり眺めたりしたあと、近くに壁に立て掛けて千彰に歩み寄る。稽古を終えて気が抜けた千彰は崩れ込むように腰を下ろし、さきほど叩き付けられた壁に背中をあずける。


「おまえさ、こっちに打ち込むとき一瞬迷うよな。なんでだ?」

「いや、その胴着見てるとじいさん思い出すんだよ」 

「あー、そういや行方不明だって言ってたな」


 ああ、と頷いて、


「じいさんは本当に強いひとだった。でも、いなくなる少しまえに俺と稽古して、俺が大けがを負わせた」

「んで、討伐に行って行方不明になったから責任感じてるってことか」

「う、ま、まあそうだけど」

「もっと言えば、旦那がいなくなった百恵姐さんがショックを受けてるから、ってことか」

「そうだけど、なんで分かるんだよ。鶻業にはそこまで話してないだろ」 


 と憮然と返す千彰に鶻業は薄く笑う。


「お前から漏れてる感情がそういう味してるんだよ」

「んだよそれ」

「おれたち妖は人の感情を食う。感情ってのは思いが込められてる。それを読んだだけだよ」


 それはつまり思考を読まれているのと同じだ、と過った千彰は、


「じゃあ闘ってる時もずっと読まれてるのか」

「んにゃ、そんな余裕はない。いまみたいに落ちついてないとそこまではな」

「多少なら、わかるのか」

「おまえだって相手がなにしようとしてるかぐらい、分かるときあるだろ。あれと大差ないよ」


 そんなものか、と唇をへの字に。

 拗ねるなよ、と苦笑して鶻業は言う。


「でもまぁ、そういう思いみたいなのは、大事だろ。いまお前から漏れた感情、なかなかいい味だったからな」


 にっ、と牙を見せつけ、


「でもな、誰かを思いやる気持ちを強さに変えるのがおまえたち人だろ。お前がいま抱えてるのは、甘さと弱さだよ。おれがいちばん嫌いな味だ」


 心を見透かされた。

 すずめは薄々感じ取っている、明香梨には話したこともない自分の内を言い当てられ、千彰はいっそう憮然とし、こう返すことしかできなかった。


「……俺を食材扱いするな」

「前も言っただろ、おれは妖だってな」

「……そうだけど」

「で、だ。なんでおれを呼んだ? 稽古中のお前の感情はただの稽古で呼んだってだけじゃない味がしたぞ」

「昨日、依頼があったんだ」


 そう言って千彰は昨日のあらましを話す。

 ちなみにあのあと鋏臈はトワ子が迷惑をかけたことと、すずめを精神的に陵辱してしまったことに対して改めて謝罪すると「またお目に掛かりましょう」と言い置いて去って行った。

 トワ子は去り際まで明香梨を睨み付けていたが、当の明香梨は鬱陶しそうにしていただけだった。


「だから俺を呼んだのか」


 はぁっ、とため息をついてどかりと座り込む鶻業。


「向こうは、おまえの腕を見込んで勝負を挑んだ。なのに力が足りなかった。だから強くなる義務とか理由とかがある。……そう考えたのか」


 こくりと頷く千彰。

 あの日、すずめたちと別れてからずっと心を支配していたのは、受けた仕事を満足に果たせなかったことへの苛立ち。だからどれだけトワ子との試合を振り返っても、敗北に繋がるイメージしか出てこなかった。


「あのな、お前は強い。おれに勝ったんだ。自信持て」


 急に褒められて千彰は困惑する。


「お前に足りないのは人間の格好したやつにぶちまける殺意だ」

「……」

「本気出せば勝てるってのは、負け犬の遠吠えにもならねぇよ。お前の殺意を邪魔してるのは自分の手を汚したくないって甘えだ。ガキじゃねえんだ。試合だろうがなんだろうが、殺意ぶちまけないで闘おうって魂胆が許せねえ」

「殺意……」


 ああ、と頷いて小突く。


「おれはお前が誘えば稽古には付き合う。けどな、精神的なものが原因ならいくら俺と稽古しても治らんのじゃないのか」

「……だとしても、稽古はしておかないと」

「強くなる意志があるなら強くなれるだろ。そういう感情は特にいい味がするんだ」

「味、か」

「そうだよ。稽古に付き合えば俺も強くなれるし、お前の感情も吸える」


 ぐい、と人差し指で千彰の額を押し上げ、


「……少なくとも俺は、お前たちをどこかで食糧と見てるんだよ」

「あんたたちは、人間の感情を喰うんだったな」

「肉も食えないわけじゃないが、味がよく分からんからな。出してくれた相手に悪い」

「そうか。百恵さんに伝えておくよ」


 助かる、と言って天井を仰ぐ。


「俺は、人間と馴れあってるつもりはない。たぶん、おまえたちが家畜とか犬猫に持ってる感情と大差ないと思う」

「こうやって稽古に付き合っていても、か?」

「ああ。だからってお前たちを下に見てるわけじゃねぇぞ」

「……そうか。付き合ってくれてありがとう」

「あほか。さっきの話ちゃんと聞いてなかったのかよ」


 聞いてたよ、と返す千彰は小さく笑った。


「やっぱ人間はよく分からん」


 零す鶻業もまた、口角があがっていた。

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