第8話 妖の主催試合

 御堂の家はここ野穂市だけでなく、日本や世界中で妖魔と戦う陰陽師たちの総元締めである。

 

 千年前、それまで妖の中心戦力として一大勢力を築いていた鬼の一族が人と和解した。それは人と妖が互いの生存権をかけての大戦争を繰り広げていた最中の、当事者以外、どの陣営の者たちでさえ驚きと祝福と落胆をもって行われた。

 それまで妖の猛攻に苦汁をなめていた人の陣営は、多少の反撥やいざこざはあったものの鬼たちとの和解を受け入れていった。

 逆にそれ以外の妖たちは、戦力差が完全に逆転したことにより、闘争からなし崩し的に手を引いていった。が、人肉しか摂食できない妖魔や、人を殺す衝動を抑えられない妖たちと戦うために中心となったのが御堂家だ。


 御堂家以外の陰陽師たちは、本来の業務である占星術や学者へと徐々に戻り、千年を経たいまでは御堂の家のみが陰陽術を使える。

 結果御堂の家は、対妖魔戦の指揮や作戦立案からはじまり、妖と人をつなぐ窓口まで多彩な役割を担うこととなった。


 すずめは当代の統領。これは若い世代が統領であるほうが柔軟な判断ができるという考えに基づくもの。だがすずめの祖母ひばりの影響力は大きく、実質的な統領はひばりだとすずめ本人も思っている。


「全部押しつけられても困るから、これでいいんだけど、ね」


 御堂の家で働く大人たちも、すずめの言葉を実行している。信頼もしてくれている。

 けれど、彼らの視線の先にあるのは、御堂の家、そしてすずめの祖母ひばりだ。


「はやく大人にならないと」


 最近はずっとそんなことばかり考えている。

 明香梨へかけられる無言の圧力への対処も含め、自分にできることはほとんどない。

 このまま大人になったとき、ひばりの影響力がどれだけ残っているか考えただけですずめは気が滅入ってくる。


「あ、そうか」


 だから母つばめは祖母ひばりの傀儡となる道を選んだのかもしれない。そうでもしなければ、ひばりの強い影響力から心身を守ることなんてできなかっただろう。


「どっちにしても、味方は増やさないと」


 年齢だけ重ねて、そのときに信頼できる味方がいなければいまと変わらない、無力な統領でしかない。むしろ年齢を重ねただけの無能な統領になってしまう。それだけはイヤだ。

 明香梨をはじめとした鬼の一族、ひいては妖全体への不当な圧力を少しでも軽減するために。


「そうだな」


 独り言のつもりだったのに、うしろを歩く千彰がこたえてくれた。千彰の隣を歩く明香梨も力強く頷いている。

 

「ありがと。こっちが無力な高校生って思って舐めてるから、その分自由に動けるんだし。色々やってみるよ」


 そうか、と返す千彰たちが歩くのは薄暗い通路。照明は数メートルごとに壁に設置された太いロウソクだけ。なのに足下の不安無く歩けるほどの光量があるのは、丁寧に磨かれた土壁自体がロウソクの光を反射しているからだと気付くまで、明香梨はしばらくかかっていた。


 御堂家が主催する試合会場と雰囲気が似ているが、この通路は土をくり抜いただけの、洞窟と言って差し支えないつくり。

 この通路の真上には野穂の町の南側に広がる森がある。森は妖たちの領分なので御堂の家は関与していない事柄も多い。

 洞窟内のひんやりとした空気は地上の蒸し暑い空気を忘れさせてくれるが、千彰には緊張でそれどころではなかった。


「試合前の緊張とは、違うな」

「ちょっと、しっかりしてよ」


 三つ編みを解き、メガネをケースにしまった明香梨が眉根を寄せながら脇腹を小突いてくる。試合への招待は千彰だけだったが、彼女も刀を腰に差して同行している。


「おまえは試合しないからって気楽だな」

「莫迦。こんな怪しい試合で負けたらどうなるかわからないって言ってんの」

「……そんなに怪しいか?」

「怪しいわよ。いままで組合に登録もしてなかったのに、急に千彰と接触して試合したい、だなんて」


 三人の中で鋏臈と触れ合ったのは、そうかなぁ、と首を捻る千彰だけ。なので鋏臈に負の感情を抱いていないのも千彰だけだ。鋏臈からの招待に、千彰はむしろ興奮してさえいた。


「危なそうになったら、千彰がどう思っても助けに入るからね」

「おまえ、そういうのはな」

「千彰のプライドを守るより、千彰が死なないほうが百億倍マシよ」


 そこまで言われ、千彰は反論を諦めた。


 やがて洞窟を抜け、開けた場所に出る。

 ここが目的地なのだと言われずともわかるほどに、普段使用している試合場と酷似している。

 中央には石造りの円形のリング。広さも目測ではあるが普段試合で使っているものと変わらない。周囲をぐるりと壁が取り囲み、その向こうにはひな壇状に並ぶ客席。満席になれば五千人程度は集客できそうだが、いまは無人。足音がひどく反響し、耳鳴りがするほどに静まりかえっていてそこだけが違う。

 ふたりはトワ子に誘導されるまま、リングの中央まで進み、そこで止まった。


「むしろ、こちらが先なのですよ」


 トワ子が振り返って自信たっぷりに言う。


「御堂の家がそちらをマネしたみたいな物言いね」

「鬼の一族が寝返ってから、妖は人との全面的な闘争から身を引きましたが、人と戦う喜びだけは捨てられませんでした。なのでルールを作って、殺さないよう極力努めながら」

「もういいわ。どっちが始めたかなんて、元祖と本家みたいな違いでしかないんだし」


 ふふ、と微笑み返してトワ子は言う。


「物わかりがよい統領さまで助かりますわ」

「褒めてもなにも出ないから」


 ふふん、と上げた口角のなんと意地悪めいたことか。

 そんなことより、と千彰が口を開く。


「相手はどこだ?」

「それは、わたくしです」


 すらり、とどこからか取り出したのは一振りの刀。


「おまえ、か」


 千彰の唇が真横に結ばれる。


「鶻業さまとの試合、観客席からしっかりと観させて頂いています。故に千彰さまのクセなども把握済みですわ」


 挑発ともとれるトワ子の態度にすずめが食ってかかる。


「試合を一回観ただけでわかるほどウチの千彰くんは安っぽい剣士じゃあーりーまーせーんー」

 

 顔を覆う半紙を手で半分ほどめくって、べーっ、と舌を出す。


「あらあら。ずいぶんとかわいらしいこと。そんな幼さで統領なんて、御堂の家も落ちたものですね」


 くすくすと、とても同年代な見た目からは想像できないほど大人びた微笑みに、すずめはひどい敗北感を感じた。


「無論、千彰さまの剣術を甘くみているつもりはありません。つまり、わたくしも本気で剣を振るうということです」


 ふふ、と微笑みながら抜刀。鞘をまたどこかへと隠して正眼に構える。


「すずめ」


 小さく名を呼んで柄と鞘を結ぶ紐を口でほどく千彰。


「……うん」


 半歩下がって袂からお札を取り出し、背を向ける千彰のからだに貼り付ける。

 彼は覚悟を決めたのだ。

 ならば自分ができることは、彼に付く傷を少しでも減らすこと。彼が一手でも多く攻撃できるようにすること。


「おわったよ。千彰くん」

「助かる」


彼はいつもそうだ。

自分の何倍も背丈のある妖魔は無論、札があるからどうにか闘える妖との試合。

自分から祖父へ剣術を習い始めた時も。

ずっとずっと矢面に立つことを当然に行ってくれる。


──すずめが後ろにいるからだぞ


一度訊ねたときに、なぜか怒りも滲ませてこう答えてくれた。


──あたしにそこまでする価値、ないよ


「ほら、ちゃんと帰ってきてよ!!」


爪先立ちになって、ばしん、と千彰の腰を叩≪はた≫く。試合前にはいつもこうやって気合いを入れるのがふたりの習慣だ。

またそれかよ、と苦笑しつつ、千彰は前へでる。

どうにか無事に終わるよう、信じるしかなかった。

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