第18話 待ち人の名は碧。思い出と歪な笑顔

「ほんとあんたらはそっくりさんだねぇ」


 そう優しい声で言ったのは今は亡き母方の祖母だった。


 祖母の膝を枕にして寝ている妹の頭をなでながら祖母は私を見ていた。

 当時は確か七歳だった。私が生まれたのは三月だから、妹と一年も歳は離れていない。

 今でこそそっくりとは言われなくなったが、このころはいつも双子みたいだねと言われていた。


 生まれつき体が弱かった私は幼少期のほとんどを病院と家で過ごした。

 このころは多少健康になったことと、両親が忙しいことも相まって夏休みの間祖母の家に預けられていた。

 このころは、少しの間なら外遊びもできるようになって喜んでいたのを覚えている。


「あらあら、碧ちゃん今日もお友達が来たみたいよ」


 祖母は窓の外を見て言った。私もその先を辿ってみると一人の男の子がいた。

 最近よく遊んでいる子である。歳は聞いていないけれど多分年下だ。


 祖母の道路を一本挟んだ向こう側には小さな公園がある。

 その公園には一人の初老の男性がいた。

 彼のおじいちゃんである。


「おばあちゃん言ってきていい?」


 妹を起こさないように静かな声で尋ねた。


「疲れたらすぐ戻るんだよ」


「うん!!」


 最近こそ一人でーといっても目の前の公園だがー遊びに行けるようになったが、それは彼のおじいちゃんが保護者役になってくれているからだ。


「お待たせ!!」


 そう言って公園についた私は彼と疲れるまで遊んだ。

 男の子の名前は結君と言って、近所に住むおじいさんの孫だという。


 夏休みの間ずっと仲良く遊んでいた。


 私は彼と一緒にいるときが一番楽しかった。

 遊んでいるからじゃない。私は勉強は好きではないけど彼と一緒ならそれすらも、なんでも楽しいと思えただろう。

 当時はただ単に外で遊べるようになったからだと思っていたが、成長するにつれてそうじゃなかったことを知った。


 そんな感じで夏休みを謳歌していた私だが、楽しい時間は唐突に終わりを告げた。

 遊び過ぎたのかそうでないのかは分からないけれど、突然高熱を出した。

 高熱は三日三晩…それ以上続いて入院することになった。

 急な入院だったこともあり、彼に何も言えずお別れになってしまった。


 熱も落ち着いて彼のことを考えていた時はお別れだと思っていなかったが、退院して祖母の家に行っても、公園で遊ぶ彼を見つけることは出来なかった。

 翌年も、そのまた翌年も彼の無邪気な声が公園から私の耳に響くことはなかった。

 そしてさらに次の年に祖母は亡くなった。

 おじいちゃんは父に事務所を継いだ後すぐに死んでしまったため、もう祖母の家に行くことはない。

 祖母の死に妹と一緒になって泣いていた。大好きな人だった。


 それから数年の時がたつ。

 当たり前だが私は成長していた。もちろん妹もだ。

 中学に上がるころには体の方も落ち着いてきた。

 病気がちなことに変わりはないけれど、無理な運動等ができないのを除けば他の人と何ら変わりない生活を送れていた。


 時がたてば体だけじゃなく周りとの関係も変わる。


 妹の様子がおかしいのに気づいたのも中学に上がるころだったと思う。


 妹は優しくていい子である。それは少し心配するほどにだ。

 妹は両親や友達、はては私にまでくらい表情を見せなかった。

 だけど私は気づいていた。

 その笑顔にささやかながら影が差していたことを。


 ほんの少しの違和感だった。

 多分気づいているのは私だけで、本人すらも気づいていなかったと思う。


 私は確かに気づいていた。

 けれど何かをすることはしなかった。

 気にかけはしたものの、妹の態度は普段道理のまま…下手したら今まで以上に拍車をかけていい子になっていたのだ。

 中学に上がったばかりの私には、違和感を感じてもそれが悪いことだとは思わなかった。

 だから何もしなかった。


 そしてその選択を私は今後悔している。


 現在、最近になって妹に感じていた違和感は膨れ上がりそして確信に変わった。


 妹はどうしようもなく歪んでいた。


 小さい頃からの笑顔はそのままで、その裏に潜む影は妹の全てを覆いつくしていた。

 妹は自覚していないのだろう。

 きっと自分でも分かっていないのだ。


 この間台所で見せた妹の笑顔は、幼少期のころと同じ屈託のないものだった。

 けれど、同じ日の夕方の彼女の妹のものとは思えないほどに歪だった。


 そして昨日見せた彼女の笑顔はなんとも形容しがたいものだった。

 その笑顔はいつもの無理な笑顔ではなく、確かに心の底から見せた笑顔だっただろう。

 けれど…


 こんな時彼だったらどうするのかな?

 私が彼といて楽しかったのは彼に助けられたからだ。

 小さかった私の世界には家族と妹しかいなかった。

 幼いながらも、明日に希望を見れなかった私の世界を照らしてくれたのは彼だった。

 私には照らしてくれる人がいた。

 だけど妹には…


 本来なら私がその役目を担うべきなのだろう。

 けれど怖かった。今の妹に触れるのが。

 私は妹が大好きだ…だからこそ、今の妹に踏み込んで拒絶されるのが怖かった。


 私は臆病なんです。

 どうしようもなく弱くてずるい存在。


 三宮碧はどうしようもないこの状況をいつか誰かが救ってくれるのを願ってそっと瞼を閉じた。

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