思い出の本

櫻木 柳水

読切 『思い出の本』

何時からか大人になり

何時からか子供を忘れ

何時からか妥協と鬱屈の果てに何も見ない


満員電車のなか、平々凡々に社会の藻屑と化している。目的地手前でドアににじりより、目的地でスルリと降りる。なかなかこれが難しい。

年々給料があがるのは嬉しいが、自分のデスクを見て、見合ってるかというジレンマはある。

どうしてこんな大人になってしまったのか。


自分にも子供のときは夢があった。

『大きくなったらクジラになる!』という、まぁ幼児らしいことや、『俺もバンドで食って行くぜ!』と弾けないギターをコードも押さえずかき鳴らしたり。

そんな中、今ふと思い描く夢も、ない訳では無い。

昔の友人・宮竹と久しぶりに会い、酒を酌み交わしていた時に聞いた。

「そういえばさ、田口のヤツ、地元戻ってきてさ。何やんのかなって思ったら、漫画喫茶始めたんだよ!」

「マジかよ、意外だな!」

成績優秀、品行方正、バカ真面目が服きてマジメしてたような奴が、『漫画喫茶』というのだから驚きだ。昔は確か、ジャンプどころか、コロコロやボンボン、小学生ん年生に至るまで、本を買って貰えず、奴は全てをドリルや辞書、辞典ばかりで過ごして、会話についていけてなかったくらいなのだから。

「でもなんで漫画喫茶なんだ」俺は尋ねたが、友人もなんでだろうな、というだけだった。


その日俺は地元、と言っても隣町だが、まで御用聞きの日だった。

ブラック企業には珍しく『直行直帰でいいぞ』とのことで、かなりストレスは軽減された。

数社の御用聞きが終わり、資料を上司へメール、電話で打ち合わせをして業務終了。滞りなく終了した業務に胸を撫で下ろし、俺は今日、田口の店に行く。


商店街の横道にある横丁に、昔『幽霊商店』と呼んで怖がっていた空き店舗があった。そこに田口は店を出したようだ。

入るには少し勇気が必要だったが、ドアを開けると、ぶわっとコーヒー豆の薫りが鼻先を撫でた。

「いらっしゃ……え、加藤?」カウンターに座っていた男が立ち上がり、俺を見て驚いている。

「え、どなた…」誰だかわからない、昔のイメージだとこいつは田口じゃない。俺の知ってる田口は、七三にメガネも髭もなし、仏頂面で鼻で笑う以外笑った所を見たことがない。しかし、男は、

「俺だよ、田口!ははは、いや、久しぶりだなぁ!」

髭、スキンヘッド、丸メガネ、明るい顔、爽やかな笑顔…と、どれも昔の田口とは違い、面食らってしまった。


「いや、お前変わりすぎだろ」俺も流石にたじろぎながら、席についてコーヒーをオーダーした。

「あいよ」と何か憑き物の落ちたような表情でコーヒーを煎れる田口に心の中で感心していると、ある事に気がついた。

「あれ、ここってさ、漫画喫茶なんじゃなかったっけ?」

コーヒーを煎れる手を止めた田口。

「本当はさ、ここ、漫画喫茶じゃなくて、古本屋っていうかなんていうか……ここでコーヒー飲んでるのは俺の趣味っていうかね…それ目当てに来てるお客さんから漫画喫茶って伝わっちゃってね。」

「なんだよ、そうなのか…で、その肝心の漫画は?」

田口は少し困った顔をして

「本にコーヒーの薫りがうつらないように、二階にあるんだけどさ…いやぁ、今日はなぁ…」何か濁しているような言葉だった。

「なんでぇ?」と俺は食い下がるが、お客さんがコーヒーこぼして、漫画がダメになってしまったという事のようだ。

「ごめんな、せっかく来てもらったのに…貴重な漫画ばっかりでさ…」

すると、二階から人が降りてきた。カップルが2人とも涙を流しながら。


「マスター、本当にありがとうございました…」女性は大事に本を抱えていた。

「これで僕たち、結婚する事ができます、ありがとうございました!」本を傍らに持った男性は深々と頭を下げた。

「いえ、その本はサービスです。大事になさってください。世界に一冊の本ですから…」

横で交わされる会話に俺は「?」マークしか出てこない。俺にあぁ言った手前、バツが悪そうに田口も話をしていた。


「なんだよ、客いるならいるって言えば良いじゃねぇかよ」ブツブツと俺が言っていると、「ごめんごめん」とカップケーキを出した。

そして、田口は俺の隣に座ると、衝撃の事実を告げたのだ。


「実はな、信じられないと思うんだけどさ…俺さ、地元に戻ってきたのって、死にに戻ってきたんだよ」

はぁ?!と俺は驚いて立ち上がっていた。

「まぁ聞いてくれ。日本1位の大学にも入り、超大手上場企業に入り、会社でもトップセールス、結婚もして順風満帆……でもさ、一つだけ心に引っかかってることがあったんだよ。」

田口は横にある漫画を俺に差し出した。

「俺には娯楽が全くなかった。覚えてるだろ、加藤と宮竹と俺でコンビニで立ち読みしてた時にコンビニに入ってきた俺の母親の顔…あれからお前らとも疎遠になって、何も無いまま人生が進んで、ふと虚しさしかなかったんだよ」

田口は立ち上がり、店の一番太いハリの下まで行った。

「俺さ、ここにロープ掛けて、首吊ろうとしてさ」

ハリを見上げる、田口は何処と無く寂しそうだった。

「やめろよな、縁起でもねぇ…で、お前の自殺未遂とカフェが、何の関係あるんだよ」

俺は尋ねると、田口は階段を見ながら手招きするのだ。

「静かにな…加藤、これ見てみ…」田口は階段を見上げていた。

「何がだよ……え?」

俺も階段を見上げると、そこでは光が渦になって、渦が収束したら、今度は厚い表紙の本がドサリと落ちた。


「何が起こったんだよ」

「これはね、今までどうして忘れてたんだ、っていう記憶が漫画形式で綴られた本なんだ…カフェに来る人、これから来る人だとかの、『忘れられないけど忘れてしまった記憶の本』…これのおかげで、今の俺があるんだ。」

信じ難いが、目の前で見てしまった。コーヒーに何か危ないものでも入ってたのか?と疑いたくなる程の出来事だった。

「いや、でも…あれ?」俺が呆気に取られていると、既に階段を上がって本を取った田口は、昔のように鼻で笑い、階下の俺に本を投げて寄こした。

「お前の本だわ…」

そういうので、まさか、と表紙を見ると、綺麗な筆記体で俺の名が刻まれていた。


表紙には『memory by yasuharu kato』とだけある。

「読んでいいのか…?」

「あぁ、お前に必要な記憶がこれには詰まっている」田口に促され、本を開けた。

すると、今まで忘れていた、幼い時の記憶から順に蘇ってきた。


「あぁ、あったなぁ…あ、さっき言ってた、あんときのお前の母ちゃんの顔…すごいなぁ…」

俺は夢中になって読み進めていく。

俺は最後のページを開いた。しかし、ある文で動きを止めた。



享年 35歳



え?

いやいや

俺が?

いやいやいやいや!


「田口、これ……」汗が止まらない。

「あぁ、加藤…お前はもう、死んでるんだよ。」

はっと気がついた。さっきのカップルはどうやって帰った?ドアが開いた音もしなかった。

俺は、続きを恐る恐る読み進めて行った。


『直行直帰で報告も全部終わったのに、別の上司から電話で罵倒。直の上司からもある事ないことで罵倒…意味がわからない、もう嫌だ……死んでやる』


完全に思い出した

「俺はあの日、ここに来るんだった。だけど、クソ上司の罵詈雑言に、もう嫌気が差したんだ……」

俺はなんでこんな事を忘れていたのか、と泣き崩れた。しかし、田口は優しく抱きしめ、俺にこう言った。

「俺はさ、加藤と宮竹にすごい助けられて生きてきた…ありがとうな…助けてやれなくてごめん…俺がこの店開いたのはさ、今の本で『色んなヤツの助けになれ』って言われたからなんだ…でもやっと、親友を助けられた……」田口も俺もわんわんと子供のように泣いた。


落ち着きを取り戻したとき、俺の体がふわりと浮かんだ。俺は確信した。

「時間か…」

「そう見たいだなぁ」

「寂しいよなぁ」

「すまんな…ありがとうな」

そういうと、田口は涙を流しながら、サムアップで答えた。

きっと俺も笑顔だっただろう。


店の電話が鳴った。俺は涙を拭いながら出る。

「はい、もしもし…あぁ、宮竹か…うん、今送った所だ。連絡ありがとうな、本当に…」

宮竹と少し話をして切った。

「さって……生身のお客さんこないかねぇ」


ここは、迷える魂が忘れた記憶を取り戻す古本屋『RE:requiem(リレクイエム)』


たまには普通のお客さんも募集してます。

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