第28話 運命の人

「すべての事実と運命を知った今、お前は私をどう想っている?」


 王家の名残りを納めた書斎で、キアラが隠していた運命と本音を聞き終えたレイルは、彼女にそっと問いかけた。

 レイルから想いを告げた場面は数あれど、彼女が想いを聞かせてくれたことは一度もない。今までは、受け入れてくれるだけで満足していたが、不意に彼女の想いを聞きたいと思った。


「私は……」

 真剣な眼差しでそれを問うレイルに、キアラは頬を赤らめると、彼の瞳を見つめ返した。

 美しい金色の瞳が、自分を熱っぽく見つめている。

 だけど、想いに当てはまる言葉を、すぐに見つけることは出て来なくて……。


(私は、私は、彼を――)

 彼への想いを前に、キアラは改めて、これまでのことを思った。


 キアラにとってレイルは、当初、なんとしても関わりたくない相手だった。

 妃だなんて断固拒否。

 のらりくらりと言葉をかわして、一刻も早く彼の興味が失せることを願っていた。

 やがて正体が露見し、愛を乞われた後も、キアラはレイルを愛していると思い込む努力のため、偽物の愛を前に、模索の日々。彼の想いに応えようと、ただただ必死だったことを覚えている。

 それからしばらくすると、彼の言葉に心がざわつくような、不思議な気持ちが芽生えてきた。

 彼の笑顔を見ると気恥ずかしくて、傍にいると心がふわふわする。

 だけど、そんな日々も事実と共に暗転し、キアラはノーナに誘われるがまま、レイルの元を離れ、この生まれ故郷へとやって来た。

 久方ぶりに訪れた安寧と平穏。

 甘えてばかりはいられないけれど、居心地の良さにすがってしまった。

 だが、心と向き合ううちに、キアラは虚無のような寂しさを感じるようになった。

 少し前までは一人なんて慣れっこで、アイビアの貴族たちとも、極力関わらないよう、避けてきたはずなのに。

 キアラは初めて、レイルに会いたいと思った。


 そして、月夜に再会したあの日、キアラは彼が傍にいることを受け入れた。

 彼の傍にいると、それまであった虚無は消え失せ、温かい安心感に包まれる。

 心が弾むようなこの感覚は、乞われ続けた愛。

 偽物だと思っていたそれは、いつの間にか本物になっていたんだ――。


(私は……レイル様が好き。彼が私を想ってくれたように、私も彼をお慕いしている。だけど今さら、こんな想いを伝えるなんて……)

 自らが抱く彼への想いを改めて自覚したキアラは、耳まで真っ赤にして俯くと、口ごもった。

 これまで人を好きになったことなどなかったせいか、想いを伝えるという行為を前に、頭が真っ白になってしまう。

「私は、あの、その……」

(好きって、どう伝えたらいいのかしら。すす好き……。すすす……)

「……っ」

 上手く言葉が現れず、何度も口を開いては閉じる。

 そんなキアラの姿に、レイルは目を丸くすると思わず笑みを零した。懸命な姿が愛らしくて、なんだかもう、それだけで十分だった。

「フフ、これ以上は私が苛めているようだな」

「……!」

「お前の想いは十分伝わったよ。だがいつか、それを言葉で聞かせてほしいものだ」



「――アイビアの城へ戻りたい!?」

「はい」

 レイルの気遣いに救われ、想いを告げる機会を逸したキアラはその夜、夕食を共にしていた三人にその話を切り出した。

 いずれは何らかの決断が下されるだろうと予想していたものの、唐突な話に、ライアンとノーナは目を見開いて、驚きを露わにしている。


「……キアラ様。本当に本当に、本当に、よろしいのですね?」

 すると、キアラの発言に会場が沈黙する中、しばらくして声を取り戻したノーナが、最後の確認とばかりに問いかけた。

 やたら本当にを繰り返す彼女に、レイルとライアンは苦笑していたが、キアラをこの地へ連れてきた身としては、思うことがあるのかもしれない。

「ええ。お気遣いありがとうございました、ノーナ様。おかげで、十分心と向き合うことができましたので、もう、大丈夫です」

「……!」

 そんな彼女を見つめ返したキアラは、笑みと共にもう一度覚悟を口にした。

 アイビアの城を離れ、既に十日余。

 想いと運命を自覚した今、これ以上の甘えはできない。

「……っ。畏まりました。私は、あなたの望みに従いますわ」

 柔らかな笑みの奥に、キアラの強い意志を見て取ったノーナは、一つ息を吐くと、徐に頭を垂れた。

 それが心からの望みなら、騎士として、もう何も言うことはなかった。


「それでは早速明日、切符の手配をしましょう。姫様方に無理をさせるわけには参りませんので、途中どこかで下車し、二日かけて戻られる方が良いかと思いますが……」

 すると、二人の会話が決着したことを見たライアンは、すぐさま行動に移るべく、そう説明し出した。

 ライアンはレイルと共に、寝台列車を使ってこの地へ赴いたものの、丸一日列車に乗っての移動は、負担が大きいと判断したようだ。

 と、そんな彼の提案に、ノーナは路線図を思い出しながら言った。

「でしたら、途中の街に侯爵家の別邸がありますので、そちらに参りませんか? 一般の宿よりは、皆様もお寛ぎいただけるかと存じますわ」

「それはありがたいですね。お願いできますか?」

「はい。では、別邸の方に電報を送ってみますね」



 騎士たちによる迅速な話し合いの末、アイビアへの帰還予定は滞りなく決まった。

 キアラのためとなると、やけに行動の早いライアンとノーナはすぐさま準備を始め、ダイニングには、ワインをたしなむレイルとキアラの二人きり。

 そんな中、彼に視線を向けたキアラは、躊躇いがちに切り出した。


「……勝手に決めてしまい、申し訳ありません」

 王家の墓や書斎での出来事を経て、既にその可能性を悟っていたのか、レイルは話し合いの最中も、何も言わず、ただ静かにワインを飲んでいた。

 彼の公務を考えると、決して変な提案ではないと思うのだが、騎士たちの勢いに負け、意見を聞きそびれてしまったことを気にしていたらしい。

「ん? いや構わぬ。私は、お前の心が良いというまで待っていただけだ」

「ありがとうございます。それで、あの……」

「彼らの性格を考えるに、手配は迅速に進むだろう。思い残しのないような。明日は南にある庭園と、まだ見ていない塔を回ってみたい」

「はい」

 すると、彼女と目を合わせたレイルは、静かに笑んで言った。

 滅多に来ることのないエイビットの城に、レイルはずっと興味を示している。

 彼との散策は楽しかったけれど、結局、想いを伝えずじまいでいることに迷いを覚えていたキアラは、相槌を打ちながらも、どこか複雑な心情だ。


(……思い残し――)



 レイルの予想通り、騎士たちの行動は迅速だった。

 翌朝、すぐさま切符の手配を整えた二人は、明日の朝エイビットの城を出て、元国境を越えた先にある街で一泊後、王都に帰るというプランのもと、様々な準備を行った。

 結果、帰還の話は、世話を務めていたロベリアや庭師たちにも広がり、彼ら滂沱の涙を流して、姫との別れを惜しんでいた。

 レイルの望みだった散策も無事に終わり、彼の満足げな表情に、キアラ自身もほっとしていたのだが……。



「……レイル様」

 アイビアへの帰還前夜。

 談話室にレイルの姿を見つけたキアラは、徐に彼の名前を呟いた。

 ゆったりとソファに腰かけ、涼しさを帯びた風を浴びる彼は、熱心に読書に興じている。

「帰りの準備は整ったか?」

 すると、扉の隙間から、窺うような視線を向けるキアラに、レイルは笑って言った。

 遠慮せず入ってくればいいものを、わざわざ扉に縋りつく姿がかわいらしくて、思わず手招きしてしまう。

 そんな彼に頷いたキアラは、何かを決めた顔でそっと室内へと足を踏み入れた。

「はい。皆様が手伝ってくださいましたので……」

「そうか。本当に皆姫を大事に想っているのだな。涙を流して取り囲んでくる庭師の姿には驚いたよ」

「……」


 昼間のことを思い出して苦笑するレイルに、キアラはぎこちない笑みを浮かべると、緊張した面持ちで彼の傍に歩み寄った。

 そして、何の前触れもなく、すとんと彼の隣に腰かける。

 唐突な状況にレイルは驚いたが、そんな彼とは目を合わさぬまま、キアラは徐に言った。


「レイル様、私、あなたが好きです。運命もきちんと受け入れます。だから……だからどうか、幸せにしてくださいまし」

「……!」

 前を見つめ、キアラは耳まで赤くして、自分の想いを呟いた。

 今日一日、キアラはずっとどこかで切り出そうと思っていた。

 帰る前に、ちゃんと伝えなければと。

 だけど、実際にその言葉を口にするのは、想像を絶するほど恥ずかしくて……。


「……っ、で、では私は、これで……」

 穴があったら埋まりたい気持ちのまま、キアラは勢いよく立ち上がると、彼の顔を見ることも出来ずに歩き出した。

 彼がどんな反応を示すのか、そう思うだけでもう、気恥ずかしくて仕方ない。

 すると、そんな彼女の手を引いたレイルは、

「一方的に申して去ろうとは……狡いなキアラ。私の答えは聞いてくれないのか?」

 そう言って、嬉しそうにキアラを抱き寄せる。


「幸せにするよ、キアラ。この世の誰よりも幸せにする」

「……はい」

 思わぬ告白に頬を染め、彼女を間近に見つめたレイルは、静かに誓った。

 潤んだ瞳で頷くキアラは愛らしく、彼は自然と頬に触れ、優しく唇を重ね合わせる。初めての口づけは甘く、柔らかな感触と息遣いに、心が、とろけるようで……。


 これでもう、思い残すことは何もない。

 これが二人の運命だ。


 だから、さぁ、帰ろう。アイビアの地へ――。

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