第29話 二人の夜明け
故郷である元エイビット王国の城を出発し、二日かけてアイビアの王都へと戻って来たキアラは、約二週間ぶりとなる帰還に、少しだけ緊張していた。
今さらだが、勝手に城を抜け出した挙句、
「キアラ、私がついている。何も心配する必要はないよ」
すると、そんな彼女の心情を察したように、レイルは肩に手を置いて言った。たとえ城の者たちが何を言おうが、この運命を手放しはしない。
優しい笑みに後を押され、キアラは城へと進む。
「おかえりなさいませ、陛下……!」
「いやぁ、ご無事で何より。唐突なお出掛けに我々も対処しきれず……」
「一先ずご説明だけでもいただけますと、我々としても幸いなのですが……!」
城の玄関を抜けた途端、一斉に彼らを出迎えたのは、大臣をはじめとする国の重役たちだった。
わずかな指示を従者に託し、突然姿を消した国王の行動に誰もが驚いていたらしく、場は騒然としている。
と、慌てた様子の彼らを順に見回したレイルは、よく通る澄んだ声でこう告げた。
「皆、心配をかけてすまなかった。だがどうか許してほしい。私は妻を迎えに行っていたのだ」
「……!?」
「改めて紹介しよう。私の妻となる娘、キアラ・フェルセディア――またの名を、エイビット王国王女シャローナ・ロングビウス」
「……!?」
キアラの手を取り、間近に抱き寄せながら宣言するレイルに、大臣たちは言葉を失くして、ただただ目を見開いた。
あれだけ妃選びを渋っていたレイルの、彼女に対する愛しげな雰囲気も
「……その話はまことですかな、陛下」
信じがたい事実を前に場が沈黙する中、初めに声を上げたのは、戦の真相を知る陸軍大臣・アードック公爵。彼は、驚きと喜びを混ぜたような表情で、寄り添う彼らを見つめ、問いかける。
すると、彼の質問に、レイルは力強く頷いて言った。
「もちろんだ。証人ならばここにいる近衛騎士ライアン及び、元エイビットの土地に住む国民たち、いくらでも挙げられる」
「ほっほっほ。左様でございますか。それは何とも喜ばしい限りですじゃ」
「そう言ってくれて嬉しいよ、公爵。皆の者にもきちんとした説明が必要だろう。一度、会議の間へ集まってくれるか? 私たちのすべてを話そう」
「――私をわざわざ呼びつけたのは、その子のためだったのね。レイル」
彼らのやり取りに、多くの重役たちが言葉を取り戻しつつあった、そのとき。
不意に彼らの後ろから聞こえてきたのは、品のある女性の声だった。
驚いて振り返ると、ウェーブを描くピーチベージュの髪に、淡い緑色の瞳をした美しい貴婦人がいて、彼女はまっすぐにレイルと、寄り添うキアラを見つめている。
「これはこれは母上。わざわざお出迎えとは痛み入りますね」
「何を言っているのよ。あなたが『大事な用があるからしばらく
すると、笑みを浮かべ呑気に告げるレイルに、その女性――皇太后コルヌ・グリフォートは腰に手を当てて言った。
どうやら、レイルが城を出る直前送っていた電報は、カントリーハウスに移っていた母に、代理を願うためだったようだ。
「それは失礼。いつ戻って来れるやもしれない状況でしたので、長期不在を見越し、あのような電報を送らせていただいた次第です。急な願いに応えていただき、感謝いたします」
「まぁ、あなたにしては珍しいお願いだったから、驚いたけど、許してあげるわ。……それで、この子があなたの答えなのね?」
実は数年ぶりとなる親子の再会に、文句を言いながらもどこか嬉しそうな皇太后様は、ここで、様子を見守るキアラに視線を向けて言った。
突然話の中心に立たされたキアラは、驚いた顔で挨拶を述べていたが、そんな彼女を抱き寄せたレイルは、母にも堂々と報告する。
「ええ。私が巡り合った運命です」
「そう。何よりだわ。またこうしてシャローナちゃんに会えるなんて、驚きね」
「……私もそう思います、皇太后様」
「あら、お
「……シャローナちゃんに会うのは、もう十一年ぶりねぇ」
皇太后様に誘われるがまま、彼女とティータイムを共にすることになったキアラは、王宮のテラスで、彼女にそんな話をされていた。
キアラが皇太后様に会ったのは、両親と共に参加した欧州国際連盟のパーティ。
レイルと出逢い、初めて言葉を交わしたあの夜、彼女とも少しだけ話をした記憶がある。
「そうですね。とても懐かしい記憶です」
「あのときは、うちの馬鹿亭主が不愛想でごめんなさいね。せっかく懇意にしてくれたエイビット王家の皆様になんて態度~って、内心思っていたのよ」
「あ、いえ……」
優雅にお茶を楽しみながら、一切悪びれた様子もなく前王を馬鹿呼ばわりする皇太后様に、キアラは目を丸くすると、返答に困ってしまった。
そう言われれば、前王と皇太后様は不仲だなんて噂を聞いたこともあったけれど、周りが仲良し家族ばかりだったせいか、夫の文句を言う妻というものに、思わずどぎまぎしてしまう。
「私ね、ここから西にある王国の公爵家から、政略結婚で嫁いできたの」
「……!」
すると、彼女の心情を悟ったのか、皇太后様は笑みと共に自分たちのことを語り出した。
「それが今から二十五年前。最初は大国との縁に胸が躍ったわ。だけど結局、高慢なあの人とそりが合わなくてねぇ。レイルが生まれた後は、ずっとカントリーハウスで暮らしていた。公の場でだけ、夫婦の仮面を被ってね……。だけどあの日、無理にでも家族を取り繕って参加したパーティであなたたちと出逢えて、私はよかったと思っていたの」
「……」
「あなたたちと会ったことで、レイルは幸せな未来のためにもっと勉強したい、なんて言い出して。あの子はエイビット王家に憧れて、あなたたちのような家族を夢見ていた……」
今よりもずっと無邪気に笑う息子の姿を思い出し、彼女は愛しげに笑った。
だが、その憧れの結果招いた戦に、彼女としても辛いものがあるのだろう。次の瞬間、ぐっと表情を歪めた皇太后様は、心苦しそうに告げる。
「だから……あなたがレイルを選んでくれてとても嬉しい。そして、同じくらい申し訳なく思っているわ。馬鹿亭主の愚かな判断が、あなたを苦しめてしまった……」
「……。そう、ですね……。私は一生、前王様を許すことはできないと思います」
「……!」
「でも、恨みに固執していては、自分の心を蝕むだけ……。だから決して恨みはしません。私はこれから先、レイル様と一緒に、同じ悲劇を繰り返さないため、生きて行こうと思います」
苦しげな眼差しで想いを吐露する皇太后様に、キアラは静かに答えを出した。
事実を知った直後は、どうしたらいいか分からなくて、途方に暮れて、たくさん泣いた。
でも、レイルと再会し、運命といろんな話をして、出した答えが今だから。
「なんていじらしい子。あなたが
「はい」
「……準備はいいか? キアラ」
「はい。少し、緊張しますね」
「なに、案ずることはない。私が傍にいるのだから」
帰城してからの日々はあっという間に過ぎて行った。
あの日、会議の間に重役たちを招集させたレイルは、突然城を不在にした理由や、キアラのことを説明し、彼女との結婚を皆に納得させていた。
レイルは何も言わなかったけれど、おそらく、前王の行動に賛同した重役の何名かは、亡国の姫を妃として迎えることに、抵抗感を見せたのだろう。
長い会議にキアラはちょっとだけ、不安になったものだ。
そして何より、キアラの正体にショックを受けていたのは、フェルセディア夫人だった。
帰城から数日後、夫人を王宮に招いた二人は、彼女にもすべてを打ち明けた。
自分の夫が
そんな今日は、貴族たちに妃を発表する祝いの日。
無数の円卓が置かれた庭園は、
華やかな衣装に身を包んだ彼らは、今や遅しと陛下の到着を待ち、その隙間を柔らかな秋風が吹き抜けていった。
穏やかな秋晴れの午後――。
「今日の良き日……皆にこうして会えたこと、非常に嬉しく思う」
すると、心待ちにする貴族たちの元に、しばらくしてレイルが姿を現した。
キアラと手を繋ぎ現れた彼は、貴族たちの前に立ち、そう切り出す。
「ここに集まった者たちは皆、承知のことと思うが、今日は以前約束をした祝いの日。その通りに私は、皆に妃となる者を紹介しよう」
「……っ!」
「キアラ……かつては固い同盟を誓い合っていたエイビット王国の王女たる彼女こそ、私に相応しい存在。私は彼女を妻とし、共に人生を歩んで参ろうと思う」
よく通る澄んだ声で、それを明かすレイルの言葉に、場は一瞬静まり返った。
だが、次の瞬間二人を包んだのは、大きな歓声と拍手。
澄んだ空気に響く彼らの音はまさに福音となり、二人を夜明けへと導いていく。
「……認められたようだな」
「ええ。本当にほっとしました」
「だが、これから先は忙しいぞ? まずは妃選びのために延期していた私の戴冠式。そして、結婚式の準備もしなければ」
割れんばかりの歓声と拍手に包まれ、レイルは嬉しそうに笑った。
そんな彼を見つめ返したキアラは、握る手にもう片方の手を重ね、微笑む。
「大丈夫です。あなたと一緒なら」
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