第27話 最後の秘密

 戦で燃え残った当時のものを保管しているという書斎は、見晴らしのいい塔の上層にあった。景色を眺めることが好きだった王はここで、静かに国のことを考えていたという。


「私もドリッシュも普段は入ることができなくて。なので、どんなものがあるのかは、私にも分からないんです」

 ロベリアから預かった鍵を回し、扉に手を掛けながら、キアラは当時のことをそう語った。

 ここは、父が一人で考えに耽りたいときに使っていた場所だった。その景色を八年越しに見られるのだと思うと、なんだか少し、不思議な感じがする。

「キアラ。もし何かあったときは、遠慮せず言うのだぞ?」

 すると、毅然とした態度でノブを回すキアラに、レイルは心配げに呟いた。

 頼ることを得手としない彼女には、予め釘を刺しておかないと、我慢されそうで不安になる。

 と、彼の気遣いに笑みを零したキアラは、覚悟と共に扉を開けた。


「……!」

 途端、かすかに漂ってきたのは、煤のようなきな臭いにおいだった。

 当時のものを納めて以来、誰も立ち入らなかったというここは、まさに、八年前のあのとき、なのだろう。

「……すごいな、これは」

「ええ、私も驚きました。本当に、懐かしいものばかリ……」

 閉じ込められた空気に一瞬たじろぎながら、二人はゆっくりと中に足を踏み入れた。

 室内には大きな書物机や、部屋の両脇に並ぶ本棚、ふかふかのソファにローテーブルなど、品の良さが一目で分かる上質なものばかりが揃えられている。

 そんな書斎には、一部が煤こけたような本や写真など、多くのものが所狭しと並んでいた。

 これこそが城の修復にあたり国民たちが見つけた、王家の名残りなのだろう。


「自由に見て構わぬのか?」

「はい。もう何が出てこようと、思い出ですから」

 過去を前に圧倒されながら問うと、キアラは片耳が取れてしまったボロボロのうさぎのぬいぐるみを持ち上げて言った。

 もう今さら彼に何を見られたところで、すべては過去の出来事だ。機密だろうが告発文だろうが、効力はない。

 そう、思っていたのだが……。



「これは……」

 しばらくしてレイルが見つけたのは、だった。

 封筒の端が焦げてしまったそれには、エイビット王の名と共に自分の名が書かれている。

「……っ」

 思わぬ形で見つけた手紙に、レイルは目を見開くと、思わずキアラの方へ目を遣った。

 部屋の奥で煤こけたアルバムをめくる彼女は、レイルの発見に気付いていない。勝手に中身を見ても、構わないだろうか。


「……」

 しばしの逡巡ののち、そっと封筒に手を掛けたレイルは、やはり一部が焦げてしまった二枚の便箋を取り出した。

 透かし模様が入った便箋には、丁寧な筆跡と共に、こう書かれている。



『レイル・グリフォート殿


 先日は我が国にお越しいただきありがとう。

 きみの話は非常に興味深く聞かせてもらったよ。きみのような立派な王太子がいるのなら、アイビア王国はきっと、より良い国に発展していくのだろうね。

 今後とも、我が国と懇意にしていただけることを願っているよ。


 また、うちの子供たちとも仲良くしてくれてありがとう。

 歳の近い王族との交流は、将来のためにも大事なことだから、嬉しい限りだ。

 王子の方はまだまだやんちゃで、ご迷惑をおかけすることもあると思うけれど、これから先も仲良くしてもらえると幸いだ。


 そして、ここから先は、娘を想う親馬鹿な父の戯言だと思って聞き流してくれて構わない。だが、いつか大人になったとき、この話を思い出してくれたら嬉しいな。

 実を言うと、私はきみに、うちの娘をもらってほしいと考えている。

 シャローナは我が王家待望の王女であり、彼女を幸せにしてくれる相手の元へ、嫁がせてあげたいと思っているんだ。

 もし将来、きみが娘を気に入ってくれたなら、そのときは――』



 エイビット王からの手紙は、書きかけのまま止まっていた。

 だが、手紙の内容は、レイルの心を揺さぶるには十分すぎるほど、衝撃的なもので。

 これが書かれたのはおそらく、エイビット王国で開かれた親睦会の後だろう。あのころ欧州は不安定で、大規模な戦の予兆が漂っていた。

 その対応のため一旦保留になっていた手紙が、年月を経てレイルの元へ届く。

 キアラを求め、この地へ赴いたことも、運命の導きだったのだろうか。


「……キアラ」

 自分たちを巡る運命を感じながら、レイルはアルバムに見入る彼女に声を掛けた。

 不思議そうにこちらを見つめるキアラは、まだレイルの発見に気付いていないようだが、これを問わずにはいられなくて。

「あの戦があろうがなかろうが、やはりお前は、私の元へ嫁ぐ運命だったのだろうか?」

「……っ!」


 真剣な眼差しを向け、真正面から問いかけると、彼女はやけに動揺した様子で目を見開いた。

 それを少し疑問に思いながら手紙を見せると、彼女は頬を赤くして、

「やだ、お父様ったら、本当に手紙をしたためていらしたのね……!」そう呟く。

「んん? よもや知っていて、今まであの態度だったのか?」

 囁くような彼女の言葉に、目を細めたレイルは、動揺する彼女を見つめ問うた。

 出逢ったときから彼女の正体が露見するまで、キアラは一貫して塩対応だった。

 こっちは散々もどかしい思いをさせられたというのに、当のキアラは、この運命を初めから知り得ていたのだろうか?


「……えっと」

「キアラよ。言い訳をするくらいなら、その唇を塞いでしまおう。正直に言うのなら、もう少し、我慢しておいてやる」

「……!?」

 明らかに言い淀むキアラに、レイルは一歩近付くと、間近に彼女を見つめて言った。

 妖艶な笑みを浮かべ、冗談とも本気とも採れる言い方で唇を撫でる彼の姿に、キアラの頬がさらに赤くなる。

 だが、これ以上の沈黙は、無駄のようだ。


「はい……。存じておりました」

 それを悟ったキアラは、目を逸らしたまま、小さく呟いた。


 キアラがその運命を示唆されたのは、親睦会からしばらくが経ったある日のことだった。城にもう一つある王の書斎に呼ばれた彼女はそこで、父にこんな話をされたのだ。


『シャローナ、きみに一つ話しておきたいことがある』

『何ですか? お父様』

『先日会ったアイビア王国のレイルくんは、国や民のことをよく考えてくれる素敵な王太子殿下だ。きっと、きみのことも幸せにしてくれるだろう』

『……?』

『もし将来、きみたちが今よりも近しい関係になれていたら、私はかの国への縁談を申し入れたい。許してくれるかい?』

 そう言って、優しく髪を撫でる父を見上げ、彼女は曖昧に頷いた。

 当時のキアラにとってレイルは、炎のようなあでやかな少年という印象だったけれど、父が言うのなら、きっとそれが自分の幸せだろうとなんとなく思っていたのだ。


「……ならば、なぜあんな態度を取っていた?」

 その話を聞き終えたレイルは、間近に彼女を覗き込んだまま、もう一度問いかけた。

 自国を滅ぼしたアイビア王家に関わりたくないと思う彼女の心情は理解できる。だが、運命を悟っていたのなら、もう少し、友好的になってくれてもよかったはずだ。

 ずっと、笑顔一つ見せようとしなかった彼女に悩まされていた身としては、なんとなく腑に落ちなくて。

 すると、彼の質問に、キアラは少し拗ねた様子で言った。

「だって、悔しいじゃないですか。私は、戦のせいですべてを失ったのに、なのに、あなたとの縁だけは、どうしても変えられないなんて。だったらあんな戦、なければよかったのにって、思ってしまって……」

「……!」


 屋敷に手紙が届いたときから、キアラはなんとなく分かっていた。

 彼女にとって、レイルと結ばれる未来は運命さだめなのだと。


 妃候補として、初めて彼と対面するとなったあのときも、もしかしたら自分は、とうにこの国に嫁いでいたかもしれないと、過去の思い出と共に思ったものだ。

 そして、正体が露見し、妃になるよう求められたあのとき、やはりこの運命は変えられないと理解した。

 戦によって焼き切れたはずの糸すら、再び繋がる運命を前に、抵抗は無駄なのだと。

 だけどアイビアは、八年間ずっと関わりたくないと思っていた王家だ。頭では分かっていても心は納得しきれない。

 だからずっと、レイルに対して塩対応を崩せなかった。

 あれは、キアラの王家に対する、ささやかな意趣返しだ。


「……なるほどな。よく分かった」

 心の内に抱えていた彼女の本音を聞かされ、レイルは肩をすくめると呟いた。

 彼女の態度にはやきもきさせられて、ずっと自分だけが好きでいる状況が辛かった。

 だけど、運命だから抵抗していた、なんて話す彼女が一筋縄ではいかない相手だったからこそ、レイルは様々な感情を経て、心から彼女を愛しいと思えるようになった。

 少し前までは人を想う資格などないと、妃を選ぶことすら、億劫に思っていたはずなのに。

「キアラ、もう一つだけ、お前に聞きたいことがある」

 すべての過程はすべての必然。

 ようやっとすべての秘密を聞きそれを理解したレイルは、最後に願うように問うた。


「すべての事実と運命を知った今、お前は私をどう想っている?」

「……!」

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