第26話 思い出のレクイエム

 月夜の再会を果たした二人は、そこからしばらくの間、元エイビット王国の城で他愛のない時間を過ごすことになった。


 手始めに裏口で激戦を繰り広げていたライアンとノーナを止め、翌朝やって来たロベリアや庭師にも状況を説明。唐突に現れた国王に、ロベリアたちは腰を抜かさんばかりの様子で驚いていたが、最終的にはキアラの意志に従うと笑ってくれた。

 彼らは本当に、心からエイビット王家を慕っているのだろう。

 美しく修復された城や、王家自慢の庭、たくさんの薔薇が咲き誇る温室などをキアラと見て回るうちに、レイルはそれを強く実感していた。



 そして滞在二日目の朝。

 何気なく城内を散歩していたレイルは、厨房にキアラの姿を見つけ、目を丸くした。

 姫君が厨房というあまりにも場違いな状況に、思わず二度見してしまう。

「……こんなところで何をしているのだ?」

「レイル様! お、おはようございます。えっと……」

「これは…小麦粉に砂糖に、フランボワーズ……?」

「あの、その…お菓子を、作っておりました。今日は王家の墓に参りたいとお話ししておりましたので、そのために……」

 甘い香りが漂う厨房に足を踏み入れ、何やら手を動かすキアラに声を掛けると、彼女は木べらを持ったまま、しどろもどろに説明した。見つかることを想定していなかったのか、キアラは赤い顔で動揺を見せている。

 すると、そんな彼女の話に、レイルは純粋に驚いて言った。


「なんと。キアラにそのような趣味があるとは驚いた」

「いえ…趣味と申しますか、これは昔…塞ぎ込みがちな私の気分転換にと、養母ははが教えてくれたことでして……」

「……!」

「それで色々試した結果、料理は多少才能があったようで、時々、こうしてお菓子を作っていたのです」

 かわいらしいエプロンを身に着けた姿で、キアラは、なんとなくオブラートに包みながら、お菓子作りの理由をそう説明した。

 戦のあと、苦しい現実に塞ぎ込む彼女のため、フェルセディア夫人は様々なことをキアラに教えてくれた。

 もともと習っていたピアノや、一ミリも上達しなかったお裁縫、そして料理。

 どれも思い出深い、夫人との記憶――。


「……そうか。ところで今日は何を作ったのだ?」

 話を聞き終えたレイルは、自分の手で作ったものを家族の墓に添えたいと笑い、ミトンを手にした彼女に、いつも通りを装って問いかけた。

 何かで気を逸らさなければ過ごしていけないほど、苦に満ちた彼女の日々を思うと、心が辛くなる。

「今日は、ココアクッキーとフランボワーズのコンポートを作っておりました。フランボワーズは庭の端で栽培されていたもので、昔、クッキーに乗せて食べると美味しいって、弟が喜んでいたので……」

 すると、そんな彼に目を向けたキアラは、笑みと共にオーブンを開けて言った。

 中にはお花や動物など、様々な形をしたクッキーが美味しそうに並んでいる。


「よかった、上手く焼けているみたいです」

 火傷しないよう中身を取り出し、テーブルの上に移動させたキアラは、それらをざっと見つめながら、安心したように息を吐いた。

 正直、レイルが見ている前で失敗作が出てきたらどうしようと、内心心配していたようだ。

 と、彼女の肩越しにクッキーを見つめていたレイル(甘党)は、

「キアラ、私も後で食べてみてよいか?」

「えっ。ええ……でも私、イーヴェルさんほど上手ではありませんよ……?」

「フフ、本職に勝たれてはイーヴェルの立つ瀬がないだろう。純粋にお前の手作りを食べてみたいだけだ」

「……!」

 そう言って、嬉しそうな笑みを見せるレイルに、キアラは緊張なのか照れなのか、よく分からない感情のまま頷いた。甘党の彼に見つかったときからなんとなく予想はしていたものの、手作りを食べてもらうって、なんだか……。



「ライアン、ノーナ様。レイル様と一緒にお墓参りに行ってきますね」

 ふわふわとした感情を胸にラッピングを終え、朝食と諸々の準備を整えたキアラは、話し込む二人を見つけると、遠慮がちに声を掛けた。

 先日の激戦の折に何かあったのか、随分打ち解けた様子の二人は、昨日も今日も一緒にいる。

 もっとも、漏れ聞こえてくる内容を見るに、城の警備や敵襲への対処など、騎士の務めみたいなものばかり話しているようだが、今までにない組み合わせに、キアラは不思議な感じがしていた。

「姫様! それでは我々も……」

「ええ。お邪魔にならない程度に護衛させていただきますね」



 護衛を買って出た二人を連れ、キアラはレイルと共に、城の東側に位置する王家の墓へとやって来た。立派な墓石と丈の短い草が生い茂るこの場所には、歴代の王族たちが眠っている。


「……実は、ここに来たのは八年ぶりなんです。ずっと一人では、勇気が出なくて……」

 幾つかの墓を通り過ぎ、まだ真新しさの残る墓石の前に辿り着いたキアラは、徐に呟いた。

 美しい装飾が施されたそれには、両親と弟の名が刻まれている。

「無理はしなくてよいからな」

「いいえ。事実は受け止めなければ前には進めません。あなたが一緒にいてくださるなら、私は大丈夫です」

「……!」

 それぞれの墓に花束とお菓子を添え、墓石に刻まれた名前を見つめながら、キアラは静かに答えた。

 頭では家族の死を理解していても、実際にこれを見るのは辛いと思っていた。だけど、隣に彼がいることで、寂しさは幾分と和らいでいる。

 そんな気がして目を遣ると、レイルは一瞬目を見開いた後で、同じように墓石に目を移して言った。

「そうか。私もお前が一緒でよかったよ。お前の家族にはいくら詫びても足りぬ……。一人では苦しかったやもしれん」

 金の瞳に悲哀を滲ませ、レイルは過去の記憶に思いを馳せた。


 会った数こそ少ないものの、エイビット王家には様々な刺激を受けたものだ。

 徳の高い賢王に心優しき王妃、そして、やんちゃな王太子。叶うことならもっと長く、深い付き合いをして行きたかった、レイルの理想の王家……。


「私の弟は今年で十七歳でした。もし生きていたら、あの子はどんな大人になっていたかなって、今でも時々思うんです」

 すると、王家に想いを馳せ沈黙するレイルに、キアラは墓石に刻まれた弟の名を撫でながら、そっと切り出した。

 両親の死ももちろんだが、目の前で命を散らした弟の死が、キアラにとっては何より辛く、何より印象に残っていることだった。それこそ、「もしもあのとき」なんて考えてしまうほど、彼の最期は鮮明に、覚えている。

「ドリッシュ殿は活発な少年だったな。私は一度しか会ったことはないが、いやはや親睦会ではカエルに弱らされた……」

「ふふ、そうでしたね。あのときはちゃんと庭に返していましたけれど、別のパーティでは会場内にカエルさんが逃げてしまって、大騒ぎになったこともありました」

「それは…出くわさなくてよかった」

「いつも庭を駆けまわって、楽しそうで……」

 と、笑顔で話していたキアラの瞳から、涙が零れた。

 今でも脳裏に焼き付いて離れない弟の最期に、心が動揺しているのだろう。

 途端、心配げな眼差しを向けるレイルを見上げ、キアラは懺悔のようにあの日のことを語り出す。


「……私、最期に生きて会いましょうって、弟に約束させたんです。弟の死を認めたくなくて、死にゆく彼に、言い聞かせた……」

 もう少しで城を抜けられる。そんな気のゆるみに付け入るように降りかかった弾丸の雨。

 黄泉の色を滲ませながら必死に逃げてと願った弟は、キアラが去った直後に息を引き取った。

 叶わないと分かっていて約束させた姉の言葉を、彼はどんな気持ちで聞いていたのだろう。

「酷い姉ですよね。もっと言うべき言葉があったはずなのに、私は最後まで、希望に縋ってしまったんです……」

「……」

 オレンジ色に染まる景色の中、共に城を駆けた弟を思い出し、悲痛に表情を歪ませていると、レイルは何も言わずに抱きしめてくれた。

 こうして、彼に身を預けるのは何度目だろう。

 最初は傍にいるだけで嫌だったのに、今では傍にいるほど心地よい安心感に包まれる。

 このまま、傍にいたいと思った。


『生きて、幸せに、なって……姉上……』


 その途端、不意に頭を過ったのは、弟が呟いた最期の願いだった。

 自らが撃たれた直後、ドリッシュはそう言って、キアラの未来を願っていた。

 今までは、養母ははとの穏やかな時間こそが、キアラの幸せだと思っていた。何かを望むことで誰かの生活が脅かされるなら、何も望まずにいればいいと。

 だけど、弟が願った幸せは、特別な誰かと生きて行く未来のことで、変わらない平穏な日常ではきっとない。

 これが彼の願う未来だ。



「……レイル様」

「ん?」

「ありがとうございます。傍にいてくださって」

「何を言う。私は当たり前のことをしているだけだよ」

「ありがとうございます。……あなたが一緒なら、私、もう一つ、ずっと遠ざけていた場所に行けるかもしれません」

 弟が願う未来を想い、嗚咽を呑み込んだキアラはやがて、彼の胸に縋ったまま、呟いた。

 改まったように告げる彼女の声には覚悟が宿り、その表情は複雑だ。だが、懸命に頼ろうとする彼女を見つめ待っていると、しばらくしてキアラは囁くように、言った。


「レイル様、父の書斎へ行きませんか?」

「……!」

「あの場所には、戦で燃え残った当時のものが保管されていると聞きました。ですが、私一人では勇気が出なくて。でも、あなたとなら……」

 そう言って願うキアラに、レイルは目を見開くと、ゆっくりと微笑んだ。

 王家の名残りを残すそこはきっと、キアラにとって思い出であると同時に、辛い過去を蘇らせるかもしれない現実だ。

 だが、それでも立ち向かおうと手を伸ばす彼女に、レイルは力強く頷いた。


「分かった。お前が望むなら、どこへでも行こう」

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