第25話 噂の糸を手繰り寄せ
晩夏の風が柔らかく吹く昼下がり。
過去に思いを馳せていたレイルは、不意に届いたライアンの声に顔を上げた。
随分と長い間考えに耽っていたらしく、イーヴェルが置いて行ったティラミスは、手つかずのまま放置されている。
「……どうかしたのか?」
それを見るともなしに見つめながら、レイルは、急ぎ足でこちらにやって来たライアンに、いつもの調子で問いかけた。ここ数日、成果のない報告ばかりを聞いているせいか、彼の声に覇気はない。
すると、そんな彼をまっすぐに見つめ、ライアンは珍しく息を弾ませて言った。
「姫様の居場所に関して、ひとつ、可能性の高い噂を入手しました。現在、元エイビット王国の王都エカンタにて“シャローナ姫が帰って来た”との噂が、秘かに囁かれているそうです」
「……っ。まことか!?」
「はい。つい先程、実家の管理を任せている使用人が、城下でそんな噂を聞いたと、電報を寄越しました。いかがなさいますか?」
「……!」
そう言って、ライアンは懐にしまい込んでいた電報を手渡すと、期待を込めた眼差しで、レイルの意見を仰いだ。
彼としても、捜索開始から一週間でようやく手に入れた具体的な可能性に、かすかな希望を見出しているようだ。
「言うまでもない。エカンタなら、汽車で一日もあれば着くはずだ。すぐに支度を整えよ」
「はっ!」
ライアンの報告にすぐさま行動を決めたレイルは、一通の電報と、幾つかの指示を従者に言い置くと、彼と共に汽車へ乗り込んだ。
アイビア王国の王都から元エイビット王国までは、寝台列車を使っても丸一日はかかる。それでも、噂に一縷の望みを託し、二人はかの地へと向かう。
「……懐かしい光景だ」
二人が元エイビット王国の城へ到着したのは、翌日の夕暮れ時のことだった。
修復された城は、レイルが過去にこの地を訪れたときと変わらない美しさを保ち、門の周辺にも木々が青々と生い茂っている。
その姿をどこか不思議に思いながら眺めていると、しばらくして、偵察に出ていたライアンが戻りながら言った。
「現在庭師が数名、それとなく門の見張りについているようです。念のため、入城は陽が落ちきるまで待った方が良いかもしれません」
「そうか。庭師が騎士とは恐れ入るな。だが、住む者のいない城門を見張る必要はない。やはり、ここにいる可能性は高そうだ」
辺りを
その間、レイルは城の構造やキアラがいそうな部屋など、内部の情報をライアンに尋ね、入城の手筈を整えて行く。
そして、庭師が帰宅し、空に浮かぶ三日月が淡い光を落とすころ、彼らは静かに、城の敷地内へと入って行った。
さわさわと葉のざわめく音が期待と不安を掻き立て、いやに心が逸る。
「裏口から中へ入りましょう。こちらです」
「うむ……」
庭を横切り、ライアンの案内のもと、レイルは石畳の道を進んだ。城が近付くほど、キアラに逢えるかもしれないという期待が高まり、落ち着かなくなる。
それでも、いつも通りを装って裏口の手前まで足を進めていた、そのとき。
「……!」
暗闇の中で、不意に何かが動いた。
それはまっすぐに二人の元へ向かい、大きく振りかぶる。
「曲者っ!」
咄嗟に剣を抜いたライアンに切りかかって来たのは、黒髪の女性だった。
キィンと刃が重なる甲高い音が響き、周囲の空気がわずかに震える。
「……っ、あなた方は……!」
「やはり、お前が協力をしていたのか、ハルフィート嬢」
「……!」
そこにいたのは、軍服に身を包んだノーナだった。
黒髪を低い位置でまとめた彼女は、一瞬驚いた後で、慌てたように剣を構え直す。
ノーナはレイルの傍にいることでキアラが苦しむならと、彼女をここへ連れてきたのだ。
絶対に通すわけにはいかない。
「陛下、ここは私にお任せください」
すると、剣を構えたまま強い意志を見せるノーナの前に、ライアンが距離を詰めて言った。
彼女は彼女なりにキアラのことを考えて連れ出したのだろうが、こちらとしても、ここで引くわけには行かないのだ。
「ジャックバード卿……」
「おひとつ手合わせいただけますか、ハルフィート嬢」
すらりとした長剣をノーナに向け、ライアンは騎士らしく願い出た。
ワインレッドの瞳で彼女を見据え、剣を構えるライアンには、静かに相手を威圧するような気迫がある。これが、エイビット王国一と
「……っ」
その気迫に負けまいと、ノーナは強く剣を握りしめた。
途端、戦闘態勢を見計らったかのように、レイルが脇をすり抜けていくのが分かったが、この状況で目を逸らすことはできなくて。
次の瞬間。火花を散らすほどの勢いで、刃がぶつかり合った。
「く……っ、あなたは、キアラ様をお守りする騎士ではないのですか! ジャックバード卿!」
「無論! 今の姫様にとって、陛下は必要な存在。だから私は、あの方をお連れしたのです」
「そんな、はずは……っ!」
刃をぶつけ合い、互いに譲れぬ思いで二人が激戦を繰り広げていたころ。
裏口から城の内部へと足を踏み入れたレイルは、静かに階段を上っていた。ライアンの話では、三階に姫の自室があり、彼女がいるとすればそこか、二階の談話室辺りだろうと予想していたのだ。
「……レイル様?」
「!」
と、三階に上がった途端、不意に彼の耳に柔らかな声が届いた。
それはこの一週間、逢いたくてたまらなかった愛しい彼女の声――。
急いでそちらに目を向けると、月明かりが淡く落ちる廊下に、白いふわふわのネグリジェに身を包んだキアラが、驚いた顔で立っていた。
「キアラ。逢いたかった……っ」
「……!」
突然現れた彼の姿に目を見開くキアラに、レイルはすぐさま駆け寄ると、強く彼女を抱きしめた。
甘く柔らかな香りとぬくもりに、彼女の存在を実感する。本来なら夜着の女性に気安く触れるべきではないと分かっているのに、キアラに逢えたことが嬉しくて、溢れた感情を止めることは、出来なかった。
「……私を、連れ戻しに来たのですか?」
すると、自分を強く抱きしめる彼に身を預けながら、わずかに頬を染めたキアラは、感情の乗らない声で問いかけた。
よもや、レイルの方からこんなところにまで逢いに来るとは予想していなかったが、こうして彼が現れた以上、そのつもりなのだろう。
「いいや」
だが、呟くように問う彼女の予想とは裏腹に、そっとキアラを離したレイルは、真正面から彼女を見つめ、言った。
「ただ、いなくなったお前が心配で、どうしても逢いたかった」
「……!」
愛おしそうに頬に触れ、キアラを見つめるレイルに、彼女は目を瞬くと、さらに頬を赤らめた。
優しい手の温かさに、つい、心が緩んでしまいそうになる。
「……私も、お会いしたかったのかも、しれません」
と、しばらくの沈黙ののち、躊躇いがちに彼の手に触れたキアラは、小さく呟いた。
まるで、ぬくもりを求めるように、自分の頬に触れる彼の手に細い指を添えた彼女は、照れと憂いと愛に、少しの戸惑いを混ぜたような顔で、頬を染めている。
「上手く、言えないのですが、私も先程…そう、思ったので……」
「……!」
自らの感情に悩みながら、たどたどしく言葉を紡ぐキアラに、レイルは目を見開くと、思わず唇を近付けた。
彼女が自ら望んで触れてきたのは、初めてで。
あまりの愛らしさに、口づけをしてしまいたくなる。
だが、驚いた彼女に我に返ったレイルは、少し迷った後で、キアラの目元に口づけた。
再会した途端唇を奪おうだなんて、そんなことを平然と思ってしまうほど、自分は強く彼女を求めているのだろう。気恥ずかしさに胸の奥がむずがゆくて、たまらなかった。
一方、目元に触れた唇の感触にどきどきしながら、キアラは柔らかくはにかむ彼を戸惑ったように見上げていた。
あんなにも慈しむような表情で、間近に見つめられたのは初めての経験だった。
美しく整った顔立ちと、魅入られそうなほど綺麗な金の瞳に、心が落ち着かなくなる。だけど、不思議と嫌な感情ではないと思った。
「……レイル様。もう少しだけ、私にお時間をいただけますか?」
「む?」
「私……きっと帰ります。でも、まだどうしたらいいか、分からないところがあって……」
互いに見つめ合ったまま、甘く穏やかな時間を共有していたキアラは、ふと視線を逸らすと、レイルにそう問いかけた。
こうして彼に会えたことで、キアラの心は少しだけ変わったような気がした。だけど、事実を知って以降、ずっと胸に
すると、そんな彼女をもう一度引き寄せたレイルは、優しく髪を撫でながら言った。
「もちろんだとも。お前の心が良いと言うまで待とう。……だが、代わりに傍にいることを許してほしい」
「……はい」
彼の胸に顔をうずめ、キアラは小さく頷いた。
こうして彼の傍にいると、一人のときに感じていた虚無のような寂しさが、ゆっくりと埋まっていくようだ。
上手く言葉では言い表せないけれど、もしかしたら自分は、こうして寄りかかる相手が、欲しかったのかもしれない。
淡い月光が照らす中、キアラはふと、そんなことを思った。
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