第22話 姫君の帰郷

 王宮から連れ出されたキアラが、ノーナと共に移動を始めてから三日と半日が過ぎた。

 馬を急がせた旅路は順調に進み、元々国境であった森を抜けた馬車は、着実に元エイビット王国の城へと向かっている。


「双子の妹を身代わりに置いて来た……!?」

「はい」

 その途中、キアラはノーナから自身の不在を誤魔化す方法として、そんな説明をされていた。

 どうやら医者を呼ぶという名目で妹を招いたノーナは、彼女に身代わりをさせつつ、風邪で寝込んでいることになっているらしい。

「双子とはいえ、身代わりが堂々と王宮内を闊歩するのもどうかと思い、そのような方法を取らせていただきました。部屋には侍女を残してありますので、生活は問題ないかと思います。ただ、あなたの身代わりを探すことはできませんでしたので、今ごろは捜索と言った話が出ているかもしれません」

「そうですね……。レイル様とライアンに、心配をかけているのかしら……」

 ノーナの行動力に驚きながら、キアラは彼女の言葉に、小さく呟いた。

 彼女の判断に賛同し、戻るという選択をしなかったのはキアラ自身だが、普段からあれだけ気遣ってもらっている彼らの心配を思うと、少しだけ心が苦しくなる。だけど、今はどんな顔をして会えばいいのか、分からなくって……。



「……見えてきました。立派な城ですね」

「!」

 それからさらに三時間ほどが過ぎた。

 時刻は昼を回り、頭上には晩夏の太陽が輝いている。

 そんな折、会話をしながら視界の端に外を入れていたノーナは、白壁にグリーンの屋根装飾が印象的な城を捉えると、静かにそう切り出した。

 勢いよく走る馬車は街を駆け抜け、ぐんぐんと城へ近付いているようだ。


「……!」

 やがて城の近くで馬車を降りたキアラは、覚悟を決めると視線を上げた。

 八年前、たくさんの火矢が放たれ、崩れてしまったはずの城がどうなっているのか……不安を懐きながら見上げた城は、昔と変わらない荘厳な美しさを湛え、そこにいた。

 それはまるで、時が戦の前に戻ってしまったかのような錯覚を覚えるほど、昔のままで……。

(そういえば、戦渦に包まれた廃城を、国民たちが勝手に修復して困っていると、文化省の職員がぼやいていたって、前にライアンが……。だけど、これほどまできちんと修復されているなんて、思いもしなかったわ……)

 城を見上げ、キアラはライアンが教えてくれた情報を思い出すと、ひとりごちた。

 この美しい城はすべて、国民たちによって修復されたものだ。

 確かに彼らは、昔から王家を慕ってくれていたけれど、その結果がこれなのだと思うと、涙が出てきそうだ。

「参りましょう、キアラ様」

「ええ」


 ノーナに促され、キアラは敷地内に用意されている四つの入り口のうち、城に最も近い北門から内部へと足を踏み入れた。

 この城には今や誰でも出入りが可能なようで、鍵はかかっていなかった。

「……まぁ」

 そして舗装された石畳の小道を進むと、途端広がっていたのは、色とりどりの花たちだった。

 鮮やかな色合いを見せるトルコギキョウをはじめ、向日葵やリンドウなど、産地も様々な花たちが太陽の光を浴びて、大きく花を咲かせている。


「懐かしいです。とても」

 その景色を懐かしく思いながら、キアラは隣で呆気にとられた様子のノーナに語り出した。

「私の母は花が好きで、この庭園には季節ごとに世界各地の花が集められ咲いていたのです。育て方の異なる花たちに庭師が苦悩する姿を、よく見かけていました」

「まぁ。ふふ、ではこの美しい風景も昔のままなのですね」

「ええ……。ここまで再現されていたなんて、本当に驚きました。この様子だと、南にある温室にはもっと珍しい植物が……」

「姫、様……?」

 そう言って、思い出話を続けていた、ときだった。

 不意にがさりと葉のざわめく音がして、低木の間からハンチングを被った老人が姿を見せた。

 突然の出来事に、ノーナは咄嗟に剣を構えてキアラを庇ったが、その老人は怯える様子もなく、まっすぐにキアラを見つめている。と、その瞳から涙が零れた。

「もしやあなたは…、姫様ではありませぬか?」

「……っ」

「ああそうじゃ。間違いない。陛下譲りの金の髪に王妃様によく似たその瞳…ああ、今日はなんと喜ばしい日じゃろう。姫様がご帰還なされた……!」

 震える足取りでキアラに近付き、そっと跪いた老人は、滂沱の涙を流しながら嬉しそうに微笑んだ。どうやら彼は城に仕えていた庭師の一人で、王家が去った後もずっと、この美しい庭園を守り続けていたらしい。


「……そうでしたか。あなたたちには辛い思いをさせてしまいましたね。ですが、お母様が大好きだったこの庭を守ってくれてありがとう。懐かしい気持ちになれました」

 そう言って、彼の話を聞き終えたキアラは、嬉しさと同じくらいの心苦しさを募らせると、優しく言葉を返した。

 もう二度と還ってこないはずの王家を待ち続け、欠かさず手入れを行う彼らの心を思うと、胸が詰まるようだ。

「もったいないお言葉です。姫様……!」

「いいえ……。それよりあなたに一つお願いがあります。実は今回ここに来たのはお忍びで、出来れば私がここにいることは口外しないでいただきたいの」

 キアラを見上げたまま跪き、涙を流す老人に、彼女は少し屈むと遠慮がちに切り出した。

 レイルたちに黙って出てきた手前、姫の帰還が噂になるのは芳しいことではないだろう。

 すると、キアラの事情を何となく察したらしい彼は、力強く頷いて言った。

「もちろんです。あなたがどのような理由でご帰還を決断されたのかは分かりませぬが、こうしてご尊顔を拝することが叶っただけで、身に余る光栄。ごゆるりとお過ごしくださいませ」



 彼と別れた二人は、しばらく庭を回った後で、今度は城内へと足を進めていた。

 こちらも定期的に誰かが掃除をしているのか、埃が積もった様子はない。だが、あまりにも昔と変わらない情景に、キアラは不思議そうに辺りを見回して言った。

「内部も、正確に修復されていますね。流石に絵画は模造品でしょうけれど、過去の夢の中に迷い込んだようです……」

「それほどエイビット王国の国民たちは、王家の皆様を愛してらっしゃったのでしょうね。先程の庭もそうですが、すべてに愛情を感じますわ」

「ええ、本当に……」

 過去のような現実を見つめ、内部を進んだキアラは、やがて三階の西にある一室の前で立ち止まると、そっと扉に手を掛けた。

 ここは、八年前まで自分の部屋だった場所だ。

「……!」

 扉を開けて中に進むと、そこにも昔と変わらない光景が広がっていた。

 猫足のかわいらしいテーブルと椅子に、花模様のカーペット。ベッドの上には赤とピンクのうさぎのぬいぐるみが二匹置かれ、クローゼットにはドレスまでたくさんしまわれている。

 まるで本当に、エイビット王家が、今でもここに住んでいるかのようだ。


「……」


 記憶の景色とあまりにも合致する風景に、キアラは思わず涙を零すとそっと椅子に腰かけた。

 嬉しくて悲しくて、様々な出来事に、感情が不安定になってしまう。

 すると、そんな彼女を気遣うように、ノーナは声を掛けると一旦傍を離れて行った。


「……」


 一人きりになったキアラは、開けた窓から入る風を感じながら、声を殺して泣き続けた。

 ノーナの前では気丈に振舞っていたけれど、ショックを受けた心の傷は癒えなくて。

 今見ている昔と変わらない景色を前に、感情が涙となって溢れ出す。


 キアラの心は、ぐちゃぐちゃだった。

 今まで知らなかった事実を目の当たりにし、湧き上がってくるこの感情は憎しみだろうか?

 確かにすべてを知った今、キアラがアイビア王家を許すことはできないだろう。

 そして、両親を直接手にかけたフェルセディア伯を、許すことも。

 でも、恨んではいけない。

 恨んだところで、どうにもならない。

 もう誰にも血を流してほしくはない。

 だから、恨んではいけない。

 それに、恨んで復讐を思い立ったところで、それが一体何になるというのだろう?

 その復讐に意味があるのなら、それもきっと一つの選択肢。だけど、国を奪った前王も、両親を殺した伯も既にこの世にはおらず、唯一その矛先を向けられるのは、心を捧げると誓った、レイルただ一人。

 だが、もし国王レイルの身に何かがあれば、その影響は国民だけでなく他国にも及ぶだろう。

 たとえなけなしの矜持だとしても、王族として、周囲に意味のない迷惑をかけることだけはしたくなかった。


(……私は、これからどうしたら……)

 心の中に渦巻く葛藤を抱え、涙に頬を濡らしたキアラは、先を見据え考えた。

 こんなところにまで逃げてしまったけれど、いずれは何かしらの決断を余儀なくされるだろう。だが、レイルの元に戻るにしろ、今の立場を放棄して伯爵家に戻るにしろ、キアラを待つのはいばらだらけの道ばかり。

 キアラにとってフェイルセディア伯爵夫人は、大事な、大好きなお養母様だ。

 一方のレイルはキアラにとって、まだ正確に、言葉では表せないような存在で……。

 最近は彼に甘い言葉を囁かれるたび、心の奥がざわつくような、不思議な感覚に襲われることも増えてきたけれど、これが恋や愛なのかは分からなかった。


 でもそれは、片や両親を殺した男の妻で、片や戦の引き金の一つとなった男。

 これから先も彼らの傍にいることが、キアラにとっての運命さだめだというならば、神はあまりにも残酷だ。引き裂かれるような感情の中心に立たせて、運命に翻弄されるキアラをわらうほど、生き残ってしまったというのは赦しがたいことなのだろうか――。

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