第21話 然るべき場所

 頭の中を巡る過去の音は遠ざかり、意識がゆっくりと現実へ戻ってきた。

 図書室の前でレイルと話してから、どのくらいの時間が過ぎただろう。近くから聞こえてくるガラガラという車輪の音に、キアラは薄く目を開ける。


「目が覚めまして?」

「……!」

 その途端、彼女の視界に入ったのは、心配を滲ませたノーナの顔だった。やや釣り目がちの端正な顔をひそめた彼女は、まっすぐに自分を見つめている。


「ノーナ、様……?」

 意外な人物の登場に目を瞬いたキアラは、ようやくここが、馬車の中だと気付いた。

 レースのカーテンが窓を遮る薄明るい中、彼女はふかふかの座席に寝かされていたようだ。

「あの…ここは一体……? どうしてノーナ様が……?」

「突然のご無礼をお詫び申し上げますわ。キアラ様……いいえ、シャローナ姫様」

「……!?」

 ゆっくりと体を起こし、困惑したように尋ねるキアラに、ノーナは頭を垂れると、突然その名前を口にした。

 不意を突く実名にキアラは目を見開いてしまったが、彼女の正体を知る者はライアンとレイル、そしてイーヴェルの三人だけのはずだ。

 あの三人が誰かに話すとは考えにくいのだが、なぜ、それを知っているのだろう?

「……やはり、そうだったのですね。今のは少し、私の賭けでした」

「えっ」

「さぞ困惑されていることでしょう。順を追ってご説明させていただきます」



 上品な笑みを浮かべ、ノーナは目を丸くするキアラに説明を始めた。

 ノーナが彼女の正体について可能性を悟ったのは、もうずっと前のこと。四月も終わりゆくあの日、茶会のため王宮内を移動していたノーナは、偶然、見てしまったのだ。

 それは、キアラに対し、恭しく膝をつくライアンの姿だった。

 エイビット王国出身の騎士が膝をついて敬う、自分と同い年の女性……その光景を目にした彼女の脳裏に、まさかという疑問が過った。

 実を言うと九年前、エイビット王国で親睦会が開かれたあの日、ノーナは父に連れられてその場にいた。故にシャローナ姫を、この目で見たことがあったのだ。

 金髪にローズピンクの瞳……確かに容姿の特徴は当てはまる。

 だが、目の前の彼女が、あのシャローナ姫だなんて、あり得るだろうか。


 そんな疑問を胸の内にいだきながら、ノーナはキアラの傍に味方として居続けた。

 そのうち疑問はおおよその確信へと変わり、ならばなおのこと、レイルの妃として相応しいのは彼女しかいないと思うようになった。

 そして、そんな彼女を守る騎士になりたいと、ノーナは願っていた。

 だが、隠された事実を前に涙するキアラの姿を目撃したノーナは、考えを改めた。彼女がレイルの傍にいることでこれから先も苦しむのならば、彼女の居場所はここじゃない。

 もっとしかるべき場所に連れ出して、キアラを守ろうと、ノーナは今ここにいるのだ。


「……」

 ノーナから聞かされた話に、キアラは現状、驚くほかなかった。

 確かにライアンとの再会は偶然で、あのときは人目を気にしていなかったのも事実。

 だけど、あの日の再会をノーナにも見られていたなんて……。

「本当は、折を見てお話させていただこうと思っていたのですが、時機を逸し、このような判断に出てしまったこと、心よりお詫び申し上げます。……しかし、今あの城へは戻られない方がよろしいかと……」

「で、ですが、これではノーナ様のお立場が……」

「私はあなたを守りたい。それが私の意志なのです」

「……」

「キアラ様、私をどうか、あなた様の騎士にしていただけないでしょうか? 必ず、あなた様を苦しみからお守りいたします」


 心配そうに瞳を揺らすキアラをまっすぐに見つめ、ノーナはそう願い出た。

 彼女の夢は王家の盾で、将来は王妃様を守る騎士になりたいと、ずっと口にしていた。

 だけど、今の彼女が守りたいのは、目の前にいるキアラただ一人。たとえ王妃にならずとも、自分の決めた姫のために忠を尽くしたかった。

「ノーナ様……」

 そう言って力強くこちらを見つめ願うノーナに、キアラは小さく彼女の名を呟いた。

 ノーナの瞳に宿るのはライアンと同じ、強い忠誠。

 それに触れてなお、キアラはこの厚意を無下にすることができなくて……。

「……ありがとうございます。ノーナ様。どうぞよろしくお願いします」



(……キアラはどうしているだろうか。きちんと眠れていればよいのだが……)

 同じころ。

 朝食の場に姿を見せなかったというキアラを案じ、レイルは王宮の廊下を足早に歩いていた。

 行先は、彼女に与えた自室。

 昨日のことを思うといささか気は引けるのだが、顔が見たくてたまらなかった。


「キアラ? 私だ。部屋に入ってもよいだろうか?」

「……」

「……キアラ?」

 部屋の前に立ち、ノックと共に語り掛けるレイルの声に答えはなかった。

 とうに起きていて不思議ではない時間なのだが、昨日受けたショックに、体が起きることを拒否しているのだろうか?

 もしそれだけならばいいのだが、不意に不吉な予感がして、レイルはもう一度声を掛けると、そっと室内へ足を踏み入れた。


「……!」

 室内は、昨日彼女を運んだときと何ら変わらないように見えた。

 カーテンは閉め切られ、隙間からわずかに漏れた光だけが、整頓された室内を照らす。

 だがそこに、キアラの姿はなかった。

 天蓋付きのベッドには、身代わりのようにリボン飾りだけが残されていて……。

「これは昨日の……」

 水色のリボン飾りを取り上げ、レイルは困惑したように瞳をうろつかせた。

 キアラがいつも髪に着けているこれの外し方が分からず、レイルは昏倒した彼女をそのままベッドに寝かせ、立ち去った。

 だが、自然に取れたにしろ、こんなところに放置しておくなど考えられないし、そもそも、カーテンも開けず、朝食にすら出てこなかった彼女が、どこか別の場所に出向いているなんて、あり得るだろうか……?



「……っ。ライアン! すぐに近衛騎士を招集させるのだ!」

「いかがなさいましたか、陛下?」

 拭いきれない不自然さに部屋を飛び出したレイルは、すぐさまライアンを呼び出すと、焦りを滲ませ言いつけた。

 彼の表情には余裕がなく、よほど深刻な何かを予見させる。

 そう思ってライアンが問うと、レイルは口早に状況を語り出した。

「キアラが部屋にいないのだ。朝食にも来なかった。部屋はカーテンが閉め切られ、リボン飾りは放置。おかしいと思わぬか」

「なんと! まさか姫様の身に、何か……!」

「分からぬ、ともかく王宮内を隈なく探すのだ。合わせ、昨日の夕方から今にかけ、城への不穏な出入りがなかったかもだ。私は、妃候補たちから話を聞く」

「畏まりました。至急、対応いたします!」

 レイルから話を聞き終えたライアンは、脱兎のごとく駆け出した。

 流石、キアラのことになるとその動きは迅速で、隙がない。

 その姿をどこか頼もしく思いながら、レイルは自身もまた話を聞くべく歩き出した。



「……キアラさんが、いない?」

 妃候補たちはすぐに談話室へと集められた。

 レイル直々の招集に何事かと足を運んだ彼女たちは、突然説明されたその話に、目を丸くしている。

「ああ。何か知っている者はおらぬか?」

「私は見てませんねぇ。逃げたんじゃありません? 今のお立場から」

「あらやだ~。そんなんじゃ、妃候補失格よねぇ~」

 てっきり何かいいお知らせでも期待していたのか、彼の話に頭を振ったスセリアとヘレナは、嫌味ったらしく声を上げた。南塔での一件後、少しは大人しくなっているかと思えば、彼女たちに懲りるという概念はないらしい。


「……そういえば、ハルフィート嬢はどうした?」

 そんな二人の嫌味を無視しつつ、辺りを見回したレイルはここでノーナの不在に気付いた。

 全員招集と伝えたはずだが、彼女の姿だけがないようだ。

「あァ、ノーナ様でしたらァ、お風邪を召されたようでしてェ……」

「なに?」

 すると、彼の問いに、ユイリスは恐る恐る手を上げながら言った。

「先ほどお声掛けしたのですがァ、出向けそうにないと言われてしまいましたァ。ただ、昨夜お家の方からお医者様がいらっしゃったようで、お薬はもらっているそうですゥ。しばらくは部屋で安静にしていたいとォ……」

「そうか……」

(一瞬、ハルフィート嬢がキアラを連れ出したのかと……。彼女の性格ならやりかねんからな。だが、部屋にいるのなら、別の誰かがキアラを……?)

 独特な口調で話すユイリスの態度に不自然さは見受けられず、口元に手を当てたレイルは困ったようにひとりごちた。

 彼女たちから情報が得られない以上、あとは捜索に出ているライアンの報告を待つばかりだ。



「ご報告いたします、陛下」

 私室へ戻ったレイルの元に報告が入ったのは、キアラの不在を確認してから一時間ほどのことだった。

 現在王宮にいる近衛騎士を総動員させたライアンは、王宮内から庭、果ては馬小屋まで捜索を行い、さらには門衛に話を聞いて現状を把握してきた。

 だが、その表情は苦難に彩られ、結果が芳しくなかったことを予見させる。

「どうだった?」

「残念ながら、王宮内で姫様を発見することは叶いませんでした。合わせて門衛にも話を聞いて来たのですが、昨夕から今にかけての馬車の出入りは、買い出しの使用人三件と、法務大臣宛ての来客が一件、ハルフィート家の医者が診察目的で一件、以上になります。なお、徒歩で外出した者もおりましたが、戻ってこなかった者はないと……」

「……っ、では一体、どこへ……?」



「ノーナ様。そういえばこの馬車はどこへ向かっているのですか?」

 大規模な捜索が行われていることなど知る由もなく。

 ガラガラと車輪の回る音を聞きながら、窓の外を眺めていたキアラは、ふと気になったように問いかけた。

 地理には詳しくないせいか、今どこを走っているのか、彼女には見当もつかない。

 すると、キアラの問いに笑みを見せたノーナは、行先をこう告げた。


「あなたにとって然るべき場所…元エイビット王国の城です」

「……!」

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