第20話 遠い過去の記憶

 あの日の出来事は、今でも鮮明に覚えている。


 八年前の夏――。

 あの日は国王陛下の即位十年を記念したパーティが催され、国中の貴族が城に集まっていた。

 城下でも国民たちが思い思いに楽しみ、危機感が薄れていたことは否定しようもない。

 だけど、こんな喜ばしい日に国が終わるなんて、誰が想像しただろう。少なくとも私は、ただ無邪気にパーティを楽しんでいた……。



「お父様、ご即位十年おめでとうございます」

 シャンデリアの輝きと優雅な音楽に彩られた大広間で。

 弟と共に会場を回っていたシャローナは、玉座で王妃とワインをたしなむ父に声を掛けた。

 姫に受け継がれた朝日のような金の髪に、ネイビーブルーの瞳をした王は、やって来た子供たちの声に笑みを見せている。

「ありがとう。十年か……早いものだな。お前たちも大きくなった」

「私、もう十一歳ですもの。ドリッシュももうすぐ九歳ですし、大人でしょう?」

「ふふ。ではこの王冠を安心してドリッシュに受け継げそうだ。楽しみだな」

 両手で子供たちの髪を撫でながら、王は自身の頭に輝く王冠を見るように、目線を上げて言った。


 キラキラと輝くこの王冠は、代々王家に伝わる大切な宝。

 もちろん、家族ほどではないが、大事な王冠を心に浮かべ話をしていると、シャローナは私も楽しみです、と笑った後で身を乗り出す。

「ねぇ、お父様。今度こそ私を街へ連れて行ってくださいな。お父様みたいに、私も街を見てみたいですわ」

「んー。それだけは応えられないなぁ~。シャローナは我が王家二百年ぶりの王女。もし万が一何かあったら大変じゃないか。まだ駄目だ」

「むぅ。ではいつになったらお許しいただけますの?」

「そうだなぁ。正式な社交界デビューデビュタントをしたら、かなぁ~」

「そんなぁ。まだ五年もありますわ。お父様のケチ」


 家族と過ごす他愛のない時間。

 これが“当たり前”なんかではないことに、誰が気付いていただろう。

 シャローナの言葉に両親が笑い、弟が何かを言ってまた笑みが零れ、幸せそうな家族の姿に、居合わせた貴族たちは微笑ましそうに頬を緩めている。



 そして、時刻は間もなく午後七時半になろうとしていた。この時間が、平和と絶望の分かれ道。


 急を告げたのは、突然大きな音を立てて割れた窓ガラスと、息も絶え絶えに飛び込んできた血塗れの騎士だった。

 自身もまた困惑した様子で周囲を見回した騎士は、駆け寄ってきた王に報告する。

「ご報告いたします、陛下! アイビア王国の軍が攻め入って参りました!」

「なんだと!?」

「国境は既に破られ、すぐにでもこの城に到達するでしょう。お逃げください……!」

 瞳孔を開き、必死の形相で報告する騎士に、王は動揺したように顔を強張らせた。

 アイビアとは血を分かち、恒久の平和と同盟を誓い合った仲。これまで何があろうと協力し合い、様々な苦難を乗り越えてきたアイビアが、前触れも宣戦布告もなしに攻め込んでくるなんて、信じられない。


「……!」


 だが、報告を裏付けるように、突然無数の火矢が飛んできた。

 カーテンやテーブルクロスに引火したそれは、瞬く間に大きく爆ぜていく。

 会場のあちこちで悲鳴が上がった。

「皆の者、落ち着け! 今すぐ城中の衛兵に知らせ、何としても止めるのだ! 諸君も武器を扱える者の半数は敵兵の進行阻止、もう半数は城下に下りて国民たちの避難を! 急げ!」

「はっ!」

 悲鳴にも負けないよく通る声で、王は貴族と使用人に迅速な指示を出した。

 火矢が飛んできたと言うことは、城を狙える距離に敵兵が迫っていると言うこと。

 ならば自ずと、城下の国民たちも危ない。


(なんということだ。アイビアとの国境に我が国の王都を構えているのは、貴国への信頼の証。だが、攻め込まれてはこうも脆い……! なんということだ……)

 王命に応えるべく、慌ただしく動く人々の姿を視界に入れながら、彼は絶望したようにひとりごちた。

 五百年以上もの年月をかけて積み上げた信頼が足元から崩れゆく音に、心が追いついて行かなかった。



「ねぇ、ライアン! お父様とお母様は?」

 そのころ、一足先に大広間を後にしたシャローナとドリッシュは、数名の王国騎士と共に城内を移動していた。既に城の門は破られてしまったらしく、あちこちで悲鳴と、剣がぶつかり合う音が響き、時折銃声も聞こえてくる。

 そんな中、姉の手をぎゅっと握りしめたドリッシュは、怯えたように隣を行く騎士を見遣った。

 長剣を握りしめ、険しい顔をしたライアンは、王子の問いに視線を向けると、

「陛下と王妃様は、我々とは別ルートで城を脱出する予定となっております。ともかく今は、あなた方の安全が最優先……!」

「大丈夫よ、ドリッシュ。お姉ちゃんがついてるわ」

「うん……」

 火が放たれた城内はオレンジ色に染まり、瓦礫が散乱していた。

 恐怖するなという方が無理な状況の中、二人の言葉にドリッシュが頷いた、ときだった。


「王を討ち取ったぞ! 我々の勝利だ!!」


 どこか遠くから、声高に叫ぶ男の声が聞こえてきた。

 続いて聞こえるのは、アイビア軍の雄叫びと、皆殺しにせよとの命令。

 様々な音が響く中であってはっきり聞こえた声に、衝撃が走った。


「お父様、が……?」

「ドリッシュ、立ち止まってはだめ……」

 思わずその場に立ちすくんだ弟の手を、シャローナは無理に引っ張った。

 声の真偽は分からない。だけど、もし万が一本当に、あの優しかった父が討たれたなら、この国の希望は、王位継承者であるこのドリッシュただ一人。

 何があっても絶対に、守らなければと、シャローナは騎士たちに誘導され、城を進む。



 そして、敵兵を打ち倒しながら、一行は裏口へと到達した。

 おそらくここを越えても、敵兵は無数にいることだろう。早急に馬を奪取し、城だけでなく王都からも離れなければ。


(もう少し……早く、ドリッシュを……!)

 わずかに見えた希望の欠片に手を伸ばそうと、シャローナは隣を走る弟を見遣った。

 泣きながら、それでも姉の手を握りしめたドリッシュは、このとき確かに生きていたのに。

 次の瞬間、後ろから一行を襲った弾丸の雨に事態は一変した。


 ほんの一瞬前まで隣を走っていた弟の胸元から、赤い花びらが舞ったのだ。

 どうっと俯せに倒れるまで、シャローナはかわいい弟に何が起きたのか、分からなかった。気付くと、共に走っていたはずの騎士も半数が倒れ、二人が迎撃に向かう姿が見える。


「ド、リッシュ……?」

「あ、ね、うえ……。逃げて……」

 炎のせいで景色がオレンジ色に染まる中、それでもはっきりと分かる赤い花びらを散らし、ドリッシュは、か細い声で囁いた。

 その声音に力はなく、今にも掻き消えてしまいそうだ。

「なに、言ってるのよ……。ドリッシュも一緒に……!」

「ぼく、は、後で、行くから……。生きて……幸せに、なって……姉上……」

「……!」

 そう囁くドリッシュの、父によく似たネイビーブルーの瞳に、黄泉の色が過った。

 きっとこの命は、もう数分も持たないことだろう。

 だが、一つの希望もなく、ここを離れることはできなくて。

「ドリッシュ、必ず生きて会いましょう……。待っているから」

「……う、ん」

「ライアン、弟をお願い。私は行くわ……っ」


 弟の手を強く握り、自分と弟に言い聞かせたシャローナは、傍で姉弟最期のやり取りを守るライアンに言い置くと、駆け出した。

 その間も無数の銃弾が飛び交い、腕や足に掠っては傷を作っていく。

 それでもシャローナは走った。

 なぜこんなことが起きたのかは分からないけれど、弟と生きて会うと約束したから。死ぬわけにはいかない。

「はぁ、はぁ……」

 転んで靴が脱げ、ボロボロになっても、彼女は決して止まらない。

 途中、見つけた馬を借りて城の外へと飛び出したものの、地図でしか見たことのない王都を、どうやって進めばいいのか、分からなくて。泣きながら、ガムシャラに駆けるシャローナの記憶は、いつしかなくなってしまった。




「……ん?」

 次に気付いたとき、シャローナは温かいベッドの上にいた。

 差し込む光は太陽で、ここにはもう炎も悲鳴も銃声も、何も聞こえない。

「お目覚めかしら?」

「!」

 ここはあの世だろうか、白い天井を見上げ、ぼんやりと思っていた彼女は、不意に横から聞こえてきた女性の声に、目を見開いて飛び起きた。

 柔らかい声音だと分かっていても、聞き慣れぬ声に、自然と体が震え出す。

「安心なさい。ここはもう戦場じゃないわ」

 そう言って笑みを見せたのは、灰色の髪に濃い青色の瞳をした女性だった。

 高い位置で髪をまとめた女性は「エミー・フェルセディア」と名乗り、国境近くの森に倒れていたシャローナを、伯爵家の屋敷に連れてきたのだと説明した。


「……」


 話を聞き終えたシャローナは、わずかに警戒しながら、戦のことを問いかけた。

 どうやら永い眠りに落ちている間にすべては終わり、既に戦からひと月半が経っていた。


 そこで聞かされたのは、王国の滅亡と家族の死だった。

 改めて告げられた話にショックを受けたシャローナは、そこからまたしばらくの間、抜け殻のようで。

 口を利けるようになるまで、半月はかかっただろうか。

 献身的に彼女を支え続けた夫人は、ここでようやく名前を尋ね、彼女は咄嗟に「キアラ」と名乗った。これは、自身のミドルネームの一つだった。

 正式名、シャローナ・リリアンズ・ユール・キアラ・ロングビウス。

 普段は名乗らない、でも親しみのある名前を名乗る彼女を、夫人は決して疑わなかった。


 そして、そんな生活が半年と過ぎたころ。

 シャローナ改めキアラは、夫人の勧めで養女となった。何も聞かずかわいがってくれる彼女の優しさに、キアラは少しずつ心を回復させていった。

 あのときは、この優しい養母との生活だけが、心の安寧だと信じていたのに。


 こんな事実なら、知りたくなかった……。

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