第19話 驚愕の事実

 涙に滲む視界で、キアラは王宮を歩いた。

行先は、毎日のように通っている図書室…――。

この場所には、八年前の戦の詳細資料が収められている。


 それを知ったのは、わずか数週間前のことだった。

ほとんど日課となっている読書中、不意に扉が開いて、陸軍大臣が従者を連れやって来た。

偶然死角にいたキアラが気付かれることはなかったが、従者に幾つかの本を渡した大臣は、おもむろに従者にのみ退室を促した。

そして、理由を問う彼に、大臣はこう言ったのだ。

「この部屋のある場所には、八年前の戦の当時の資料が保管されている。陛下の判断でここにはわししか出入りが許されていないのだよ」と。

 あのときは、不法侵入などというはしたない真似をして、お養母かあ様や家の名に泥を塗っては大変、と興味は惹かれつつも様子を見るだけに留めてきた。

だが、一つの事実を知った今、キアラはすべてを知りたいと願ってしまった。


(……確か、ここの奥の書棚を動かしていたのよね。うーん)

 図書室は、いつものようにがらんとしていた。

最早慣れた様子で書架を進み、左手の奥にある、分厚い宗教本が幾つもしまわれた本棚の前で、キアラは陸軍大臣がしていた手順をなぞってみた。

本棚の下部を少し持ち上げるようにして、左から右へ。

すると、驚くことに本棚の下半分だけが右側の壁の中に吸い込まれていった。

どうやら壁に穴が開いているらしく、こうして収納できる仕組みになっているようだ。

「……!」

 凝った仕掛けにやや度肝を抜かれつつ、キアラはしゃがみこむと、本棚がなくなったことでできた空洞を見遣った。

そこには人一人がやっと通れるような大きさの扉があり、厳重に鍵が掛けられている。

だが、決して迷うことなく髪に手を遣った彼女は、髪留めとして使っていた針金を取り出すと、それをカギ穴に向けた。

(……まさか、誘拐対策のためにと習ったピッキングを、侵入のために使うなんてね……)

 カチャカチャとカギ穴に針金を差し込み、キアラは皮肉そうにひとりごちた。

これは昔、自国にいたころライアンに習った、誘拐対策の一つだった。

縄抜け、ピッキング、乗馬…もし万が一、自身に何かが起きたとき、一人でも逃げ出せるようにと、弟と一緒に、習ったものだ。

だけど……。



 一分ほどで鍵を開けるに至ったキアラは、内開きの扉を開けると、中の様子を窺った。

どうやら隠し部屋らしく窓すら設けていない室内は、暗いようだ。

だが、真実を知りたい願いの前には、暗闇もはしたなさも些末なことで、キアラは這うように中に入って行った。

途中、腰に着けていたスカートを広げる器具クリノリンが引っ掛かりそうになったが、何とか事なきを得たようだ。

(真っ暗。風の音すらしないなんて……)

 それはさておき、部屋の中で立ち上がったキアラは暗闇に目を慣らすと周囲を見回してみた。

装飾的な要素を一切持たない石造りの室内には、物もほとんど置かれていなかった。

あるのは木枠を組み上げただけのような本棚が一つと、机と椅子が一つずつ。

机には燭台が置かれ、傍には蝋燭ろうそくとマッチ。

おそらく、手ぶらで入って手ぶらで出てくることで、他の者たちにこの部屋の存在を悟られないように、あらかじめ置かれているのだろう。

そう思いながら、キアラは覚束ない手でマッチを擦り、蝋燭に火を灯した。

そして、ぼんやりと明かりが灯る中、机の上に置かれた一冊の本に気付いたキアラは、一八五七年の記録、と書かれた表紙に、目を見開いた。

一八五七年は、ちょうど戦が起きた年……。

きっとこれが、の記録なのだろう。


「……」

 かすかに震える手で、キアラはページをめくっていった。

そこには前王が武器を取るまでの経緯や軍の編成、王の行動など、様々な出来事が事細かに記されていた。

そして、思わず目を背けたくなるような文言に続き、キアラが見つけたのは、ページに貼られていた一枚の写真……。

口髭を蓄え、厳めしい顔つきで撮られた写真の下には、こう記されている。


“エイビット王国国王ロドル・ロングビウスを討ち取ったガレッタ・


「……!」

 その文字に、キアラは眩暈がするほどの衝撃を覚えた。

不意にあの日、燃える城の中で王を討ち取ったと声高に叫んでいた男の声が甦る。


 当時、キアラは弟と共に騎士たちに囲まれて別の場所にいた。

そのせいでキアラは今まで、実際に誰が父と母を討ち取ったのかさえ知らなかった。

……でも、この顔は知っている。

なぜなら、家のエントランスと当主の書斎に、肖像画が、飾ってあるもの。


「お養母かあ様……」

 声を震わせ、キアラは思わず養母ははの名を呟いた。

この八年間、フェルセディア夫人がキアラの素性を聞こうとしないように、キアラもまた、夫人の夫である伯爵のことを聞こうとはしなかった。

それは夫人と伯爵だけのもので、よそ者であるキアラが何かを聞くには値しない。

……そう思っていたのに、実の両親を殺したのが、まさか養母ははの夫だったなんて。

そして、そのフェルセディア伯を討ち取ったのがライアンだと、本には記されていた。

確かにライアンは再会したとき、凱旋中だった将校の一人を討ち取ったと言っていた。

だがおそらくはライアン自身も、それが誰であったのかを、今なお知らないのであろう。

そうでなければ、キアラがフェルセディア伯爵家の養女となったと聞いたとき、もっと動揺し、この事実を教えてくれていたはずだから。


「くすん……」

 本を閉じたキアラは、今目にした数々の事実に大粒の涙を零していた。

キアラの両親を殺したのは養母ははの夫で、その夫を殺したのはライアンだった。

この事実はあまりにも、彼女の心を深く抉る。

頭が痛くて、今にも倒れてしまいそうだ。



 そこから先は、どれほどの時間が経ったのか分からない。

声を押し殺し、ずっと涙していたキアラはやがて、ふらふらとした足取りで立ち上がった。

なけなしの理性が、いつまでもここにいてはいけないと、訴えかけてくる。

「……」

 入って来たときよりもずっと時間をかけて、キアラはゆっくり隠し部屋を後にした。

きちんと扉に鍵をかけ、壁に収納されていた本棚を戻し、ゆっくりと歩き出す。

それは最早本能に近いもので、ショックを受けた彼女の心は、決して安定などしていなかった。



「……キアラ!」

「!」

 観音開きの扉を閉め、図書室を出たキアラは、途端耳に届いた彼の声にピクリと肩を震わせた。

息を切らし、駆け足で彼女の元へやって来たのは、謁見を終えたレイルだ。

彼は、涙に濡れた蒼白な顔でうっそりと自分を見上げるキアラに、

「すまない、キアラ。唐突な事態だったとはいえ、お前を泣かせてしまうなど……」

「レイル様……」

「……?」

「私の両親を討ち取った人物が、フェルセディア伯爵だと、あなたは知っていましたか?」

 心配の眼差しを向け、弁明を展開しようとするレイルの言葉を遮り、キアラは抑揚のない声で問いかけた。

「……っ!」

 途端、言葉を詰まらせるレイルの表情に、答えは見えた気がした。

だけど、それを言葉で聞きたくて、徐に彼のジャケットを握りしめたキアラは、なおも声を絞り出す。

「お願いです。もうこれ以上、私に隠し事をしないでください」

「……」


 そう言って俯くキアラの切実な願いに、レイルは迷ったように視線を彷徨わせた。

正直、これ以上のショックを彼女に与えたくなくて、言い淀んでしまう。

だが、答えを待つキアラに覚悟を決めたレイルは、やがて心苦しげに言った。


「……ああ。知っていたとも」

「!」


 それは予想通りの答えだった。

だけど、どれだけ分かっていても、言葉を聞くのは辛くって。

ショックが限界を超えたキアラは、その場で昏倒してしまった。

倒れ行く彼女を受け止めたレイルは、眉根に皺を寄せ、彼女を抱きしめる。

これから先、キアラを襲うのは辛い事実との闘いだろう。

それは、あの場にいなかったレイルには計り知れないほど恐ろしいことで、どうすれば彼女の心を癒やせるか、今はまだ見当もつかない。


 だけどレイルは決めていた。

この先、彼女からどれだけ責め立てられようと、傍にいると。

ゆっくりで構わない。今深く抉られた彼女の心を、埋めてあげたかった。


それが、レイルができる罪滅ぼしであり、キアラに対する愛だから。

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