第16話 スセリアの計略

「なんか最近、お二人ってよく一緒におられますよね~」


 そう言ってイーヴェルが首を傾げたのは、夏の香り漂うある日のことだった。

 今日も今日とて部屋に乗り込み、レイルのためのお菓子を届けにきた彼は、一緒にいるキアラとレイルを交互に見つめ、不思議そうな顔をしている。


「ん? そうだな。できるだけ共にいたいとは思うているが……」

「えっ、なんですそれ? まさかレイル様~、この間あんなこと言ってたのに、ぐふふ……進展された感じですか~?」

「まあ、な」

「えーっ! わ~、そうですか、そうですか~」

 すると言葉少なに呟くレイルに、イーヴェルは嬉しそうなにやにや笑いを浮かべて言った。

 流石、幼馴染みとでも言うべきか、二人はそれで通じているようだが、一緒にいるキアラは置いてきぼりだ。

 もちろん、二人を邪魔する気はないので黙っていると、イーヴェルはなおもレイルを見つめ、小躍りせんばかりの様子で語り出した。

「いやー、よかったですよ! レイル様はてっきり、を追いかけたまま、二度と恋はしないかと思ってましたんで~」

「む? なんだそれは」

「えー、そっちも自覚なしですか~? ほら、十年くらい前、レイル様が隣国に出向かれたことがあったじゃないですか~? そこのお姫様!」

「……!」

「名前は……ほら、なんだっけ~? あっ! シャローナ様だ! 仲良さげなお二人を見て、貴族様方みんな噂してたんですよ~。五年後のお妃様はあの方じゃないかって!」


 生き生きとした様子で楽しげに、イーヴェルはその名前を口にした。

 十年くらい前、隣国の姫、その時点でなんとなく察しがついていたものの、突然出された実名にキアラの目が思わず逸れた。

 彼とは親睦会で挨拶を交わした程度のはずだが、その様子が貴族たちの目にはそんな風に映っていたなんて、もちろん初耳なうえに現状が合わさって、何だが気恥ずかしい気分だ。


「な……っ。あのときはたいして話など……。そ、その前に、そのようなことを本人の前で言うでない!」

「本人?」

 すると、目を逸らしたキアラに気付いたレイルは、彼女の心情を悟ったのか、同じように頬を赤らめて言った。

 もし仮に、そんな噂が自分の知らないところで流れていたのだとしても、本人に知られてしまっては、まるでレイルが、本当に初恋を追いかけたように見えるではないか。


「本人んん~っ!?」


 一方、さらりと出た発言に、イーヴェルは瞬きをした後で、大きく後ろに吹き飛んだ。

 全く予想だにしなかった言葉にあんぐりと口を開けた彼は、滑稽こっけいなびっくり顔をレイルに向け、

「えっ!? キアラ様が? 本人? 確かエイビット王国の出身かもって……え? キアラ様がシャローナ様なんですか? ええ~っ!?」

「声が大きい。まだこれは極秘事項なのだ」

「いやいやいや、これは騒ぐなってほうが無理です! なんでいつもレイル様は秘密をさらっと言いますかね~。黙っておくこっちも大変なんですよ~?」

 困惑を通り越した混乱顔で、イーヴェルは普通に注意するレイルに、文句の如く言った。

 二人の温度差はいつも以上に大きいが、彼の素朴な疑問にふと首を傾げたレイルは、真面目に悩んだ様子だ。

「んん? そうさな…お前は見た目のわりに口は堅い。だからつい気兼ねなく話してしまう」

「いやいやまあ、光栄ですけど~。でも、はー……そうですか~。レイル様はやっぱり初恋を追いかけて成就されるんですね~。では! 今後はお二人のために甘いお菓子を作りますっ★」

 レイルが寄せる信頼の言葉に、ぽりぽりと頬を掻いたイーヴェルは、一転気を取り直すと、満面の笑みを浮かべて宣言した。

 勝手に初恋成就扱いされるのは恥ずかしいのだが、お邪魔とばかりに出ていく彼に、反論は間に合わず……。


「騒々しい奴だ……」

 仕方なく肩をすくめたレイルは、座っていたソファに背を預けると、おもむろに向かいに座るキアラを見遣った。

 最近は、笑顔や照れといった感情を、少しずつ出してくれるようになった彼女だが、まだまだ恋人とか夫婦とか、そう言った関係にはなり切れていなくて。

 愛しさのあまり、レイルは終始睦言を囁きたくなるのだが、何を言えば彼女が喜んでくれるのかは分からないし、苦しいようなもどかしいような気持ちが、胸に溜まるばかりだ。



「……レイル様、少しお話よろしいでしょうか」

「!」

 と、そのとき。不意に扉の向こうから聞こえてきたのは、レイルを呼ぶスセリアの声だった。

 普段よりしおらしい雰囲気で声を掛ける彼女は、珍しく回答を待つように扉をノックしている。

「スセリアか。悪いが少々立て込んで……」

「少しでいいのです。お話を聞いてください」

「……」

「お願いです」

 いつもなら、構わず乗り込んでくる彼女のしおらしさに首を傾げつつ、室内にいるキアラに配慮して言葉を返すと、スセリアはなおも食い下がった。

 彼女の声はどこか切羽詰まった様子で、切実さが滲んでいるような気もする。

「……仕方ないな」

 そう思うと断り切れず、ひとつ息を吐いたレイルは、キアラに目を向けて言った。

「キアラ、しばし向こうに隠れていてくれ。すぐに済ませる」

「は、はい」




「それで、どのような要件だ?」

 仕切られた奥の部屋へキアラが移動したのを見計らい、入出を許可すると、いつになく真剣な顔をしたスセリアが、レイルの元へとやって来た。

 その途中、彼女の視線がふと奥へ向いた気もするが、すぐに視線を戻したスセリアは、

「レイル様。私は心からあなたをお慕いしております。どうか私を妃に選んでほしい……」

「……っ」

 そう言って彼にそっと取り付いた。

 彼女の言葉は告白だった。

 想定外の出来事にレイルは驚いたが、スセリアはなおも取りすがると、今にも泣きそうな様子で声を絞り出す。

「レイル様がキアラさんを気に入っておられるのは知っていますわ。でも、私だって、ずっと子供のころからお慕いしていましたのよ。だからどうか……」

「……」

「あなたが最後に私の手を取ってくれる、信じておりますわ、レイル様」


「……」


 一筋の涙と共に傍を離れ、去って行くスセリアの告白に、レイルは予想以上に動揺していた。

 もちろん、いつだって自分勝手で強引な彼女のしおらしさにほだされたわけではない。

 問題なのは、こんな場面をキアラに聞かれてしまったことだ。

 スセリアの本気を改めて知り、罪悪感をいだかれでもしたら、少しずつ開いて来た彼女の心が、また、閉じてしまいそうで怖くなる。


「キアラ……」

 長い沈黙の末、ふと我に返ったレイルは、すぐさま奥の部屋へと足を運んだ。

 ビロードのカーテンが掛けられたそこは、前の部屋より少し薄暗い。

 そんな場所で壁に寄りかかったまま目を閉じていたキアラは、レイルの表情に気付くと、

「ご安心ください。私は何も聞いておりませんわ」

「……っ」

 そう言って首を振るキアラの様子は、いつもと同じ平静を保ったままで。

 聞こえていなかったわけがないのに、仮にも結婚を誓い合った相手が、同じ妃候補とはいえ、別の女の子に告白されていたと言うのに、どうしてそんなにも平然としていられるのだろう。立場が逆だったら、レイルはきっと、耐えられない。


「嫉妬すらしてくれないとは寂しいものだ。私はこんなにもお前を好いているのに」

「……!」

 自らが命じた報いとは言え、愛を乞うてなお心を傾けてもらえない現状に、レイルはたまらなくなると、思わず感情のままに彼女を抱きしめた。

 途端キアラは驚いた顔でレイルを見上げたが、彼の言葉に、自分がまた塩対応で済まそうとしていたことには気付いたらしい。

 慌てたように腕の中でもぞもぞと動いた彼女は、そのまま小さく呟いた。

「いえ、その……レッグラント様のお気持ちは存じていましたし、あのような場面に居合わせてしまうなんて、申し訳ないとは思っております。ですが、その、私は、こういうときに、どうしたらいいか分からなくて……。嫉妬だなんて、そんな……」

 戸惑いながら、でも正直に、キアラは自分の気持ちを言葉にしていった。

 歯切れも悪く不器用に、心内を語る姿は愛らしく、レイルはそっと彼女を離すと、真剣な表情で見下ろした。

 態度を一変させることは容易ではないけれど、彼女は彼女なりに、きっと努力をしてくれているのだろう。

 ならば、今はまだ、ゆっくりと愛を語り続けよう。

「良いか、キアラ。誰に何を言われようと、私の妃はお前しかいない。だからお前も心を開いてくれ。私ばかりが好きでいるのは苦しいのだ」

「……っ。が、頑張ります……」




「――どう~? レイル様のお心は掴めそう~?」

 荒々しく扉を開け入って来たスセリアに、いつもの調子で問いかける。

 今日は二人だけの秘密のお茶会。

 そして、秘密の作戦の決行を見極める、実験日だ。

 そのためにスセリアにはと、のだが、表情を察するに、あまり芳しくはなさそうだ。

「駄目ね」

 すると、のんびりとお茶をたしなむヘレナの予想を証明付けるように、向かいに腰を下ろしたスセリアは苛立ちの滲む顔で言った。

「なんか一層キアラさんとの仲を深めたみたいで嫌になるわ」

「そう。でも、レイル様のお心が動かないなら、いくらキアラさんに罪悪感を懐かせて離れさせようとしても無理ね~」

「そうね。だとしたら方法は一つ。レイル様が離れてくださらないのなら、キアラさんを退場させるしかない。……決行はいつにする?」


 揺るぎない決意を秘めた顔つきで腹に一物を抱え、スセリアはヘレナの意見を仰いだ。

 と、しばらく間を開けた彼女は、歌うように、


「……あと十日もすれば、夏風の季節になるわ。南塔から海を望むにもいい季節だけど、うっかり風に煽られたりしたら、よねぇ……」

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