第15話 報いのエチュード

 正体を知られてから数時間が経った。

 結局一睡もできなかったキアラは、ハッキリしない頭のまま身支度を整え、今、他の妃候補と共にレイルの元へ向かっている。

 どうやら、昨日の夜会で予告なしに期日を公言した件について、改めて説明があるようだ。


「ふぅ……」

「あら、珍しく眠そうですね、キアラ様」

 すると、彼女たちの後ろを付かず離れず歩くキアラに、ノーナがそっと囁いた。

 茶色の瞳を陰らせた彼女は、どこかぼんやりした様子のキアラを、心配そうに見つめている。

「ええ…昨夜レイル様と……」


!?』


「……っ」

 そう言って、わざわざ自分を気遣ってくれるノーナに言葉を返そうとした、途端。

 いきなり大きな声を上げたのは、ほんの一瞬前まで、自分たちの話に夢中だったはずのスセリアたちだ。

 まるで、条件反射の如く振り返った彼女たちは、驚くキアラを尻目に詰め寄ると、まくし立てるように言った。

「レイル様と何をしたっていうの、キアラさん!」

「あ、いえ……」

「隠してないで正直におっしゃって!」

「そうよ~。一人だけ抜け駆けなんて狡いわ~。答えなさい~」

 飛び出さんばかりに目を見開き、必死の形相を見せる三人に、キアラは頬を赤らめると、回答に困ってしまった。

 本気で彼の妃の座を狙い続ける彼女たちに、本当のことを言うわけにもいかないが、かといって、この状況では上手い言い訳も浮かばない。

「も、申し訳ございません。どうかお聞きにならないでくださいまし……っ!」

「……!?」


 困るあまり俯いたキアラは、頬を隠すように両手で覆うと、照れ混じりに囁いた。

 彼女としてはどうしようもなくなった末の最終手段だったのだが、恥じらう姿は愛らしく、否が応でも何かあったことを予見させる。

 幸い、タイミングよく現れたドラーグスにより、全員が室内に招かれたおかげでそれ以上の追及はなかったものの、スセリアたちはそんな場合ではなくて……。

(な、何今の反応! レイル様と何をしたっていうのよー!)

(まさかキアラさん……いいえ、そんな……)

(はぁあ……つい口を衝いてしまったわ。きっと変に思われたわよね……。でもでも、「レイル様と結婚を誓い合った」なんて、口が裂けても言えないわ……)



「朝からすまないな、お前たち」

「!」

 口にしたくてもできない疑問に無言の嫉妬が募る中、一番後ろで反省していたキアラは、部屋の奥から姿を見せたレイルの声に顔を上げた。

 数時間前とは違い、三つ揃えのスーツをきちんと着こなした彼は、眠気を感じさせない凛とした表情で、彼女たちを視界に入れ、話し出す。

「今回お前たちを呼んだのは他でもない。昨日の夜会で期日を公言した件。お前たちに先に伝えられなかったのは落ち度だが、私はあの言葉を偽るつもりはない」

「……!」

「私はお前たちの中から妃を選ぶ。もちろん、期日まで誰と言うつもりはないが、心積もりのある者には相応の覚悟を求めたい。以上だ」

 低く澄んだ声で淡々と。

 それを伝える彼の視線は、誰を捉えてもいなかった。

 おそらく彼女の素性や昨夜の状況を加味し、まだ“誰”を伝える時期ではないと判断したのだろう。

 だが、彼が既に心の中に誰かを据えているのは皆気付いたらしく、ちらちらと互いを見合う瞳には期待と焦燥が浮かんでいる。



「……少し目が赤いな。眠れなかったのだろう」

「!」

 妃候補たちが去った室内で、この後予定されているライアンとの話に同席してほしいとの要望を受け、ひとり残されたキアラは、心配げな彼の言葉にふと目を瞬いた。

 寄り添うように隣に立ち、何気なくキアラの目元に指を滑らせるレイルは、愛しむように自分を見つめている。

「お、お気遣いありがとうございます」

 一方、突然の行為にキアラは少し頬を赤らめると、不器用に笑んで言った。

 事実上の妃であるせいか、彼の距離は昨日よりも近くて、つい戸惑ってしまう。

 だけどこの先、これが当たり前になるよう、努力しなければならないのも確かで……。



「失礼致します。お呼びでしょうか、陛下」

 寄り添いながらゆっくりと、会話を続ける二人の元にライアンがやって来たのは、それから五分ほど後のことだった。

 普段の三倍険しい顔で入室した彼は、眉間に皺を寄せたまま、レイルに視線を向けている。

「呼び立ててすまない。キアラから話は聞いているか?」

「ええ、伺いました」

 そんな彼をまっすぐに見つめ、レイルは単刀直入に問いかけた。

 数時間前、キアラがこの部屋を退室したすぐ後に、ライアンは彼女からすべてを聞いていた。

 正体を偽った報いとして、王の妻になる。

 その話を聞いたライアンは、人気のない廊下で三十分は土下座をしていただろう。

 キアラは「見つかったのは自分だから」と言ってくれたが、すべては自分が彼女の時間をもらおうなどと烏滸おこがましく思ったことが原因だ。

 ただでさえ八年前の戦で、アイビア王家には散々な目に遭わされたというのに、望まぬまま王家に輿入れしなければならない現状に、ライアンの自責は募るばかりだ。


「……ジャックバード公よ。私は、彼女の幸福を損なわないと約束する。だが、言葉だけでは何とでも言える故、騎士の心配を拭うには不十分であることも承知だ。そこで私から一つ、提案がある」

 すると、彼の心情を悟ったようにしばらく間を開けたレイルは、覚悟を決めた眼差しでライアンを見つめ、言った。

「お前には近衛騎士団の第一師団に移動をしてもらいたい。私の護衛を直接任せたいのだ」

「!」

「自らの目で見張れ。我々の行く末を」


 静かに、だがはっきりと、レイルは彼に提案した。

 ライアンは、レイルではなくキアラに忠誠を誓う騎士であり、彼女のためなら王を敵に回すことすらいとわない男だろう。

 そんな彼を自身の護衛に就ける。それがレイルの覚悟であり、ライアンを心から信頼するという彼なりの意思表示だった。

「……姫は、本当によろしいのですね」

 だが、彼の提案にひとつ間を開けたライアンは、レイルの隣に立つキアラを見つめると、ゆるしと最後の確認を乞うように問いかけた。

 そもそも彼が所属する近衛騎士団第二師団は、王宮と王立の主要施設警護が主な仕事である一方、第一師団は王族の護衛が仕事だ。

 本来第一師団に選ばれると言うのは誉れなのだが、彼にとって絶対なのはレイルではなく、自身の姫のみ。何よりも彼女の意志を優先したいと言うのが、彼の答えだった。

「ええ。だけど、あなたが近くにいてくれるなら、私も心強いわ」

「……! 承知いたしました。それでは不肖私めが全力で務めさせていただきます!」



「……姫の一声は絶大だな。もう少し迷うかと思うたが」

 キアラの言葉に最敬礼を見せ話を受諾するライアンに、手続きを依頼したレイルは、彼が去った後で苦笑交じりに呟いた。

 正直、自分一人では成し得なかったであろう提案に、随分と肩の荷が下りた気分だ。

「彼の忠誠心は王国一でしたから。あの、では私は……」

「騎士様との話は終わったようですね! レイル様!」

「!」

 ほっとした様子の彼に言葉を返し、役目を終えたキアラが退席を模索し始めた途端だった。

 突然バーンという音と共に扉が開いて、ずかずかと入り込んできたのは、まるでライアンの退室を見計らったかのようなスセリアだ。

 彼女は、なおもレイルの傍に立つキアラを見つけると、

「あーら。まだいらしたのね、キアラさん」

「いえ、あの……」

「レッイル様~! 本日のおやつ……うおおぉ~っ!?」

 嫌味ったらしく自分を睨みつけるスセリアに弁解の間もなく、キアラの声に被せるようにして今度はイーヴェルが飛び込んできた。

 昨日と同じく銀盆にお菓子を乗せた彼は、目の前の現状に目を見開いて固まっている。


「……おやつ? レイル様に?」

「あー、いえいえその~、これはですね~……」

 すると、目まぐるしい展開に言葉を失くすキアラたちをよそに、イーヴェルの登場に気付いたスセリアは、明らかな不信感を向けて言った。

 レイルをイメージ通りの完璧人間と思っているスセリアに、彼の甘党を知られるわけにはいかないが、さて何と答えよう。


「イーヴェルさん、ありがとうございます。私がお願いしたんです」

 と、突然の出来事に言い訳すら出てこないイーヴェルを見つめ、キアラは咄嗟に助け舟を出して言った。

 あくまで予定通りを装って笑むと、彼は慌てて頷いて、

「あー、うん。そうそう、そうなんです~。お紅茶もお持ちしようと思ったんですけど、今じゃない方がいいですか~? レイル様~?」

「いや構わぬ。……そういうことだスセリア。今は外してくれ」

「狡いですわ! キアラさんばっかり!」

「何を言う。デートの件はお前の提案を呑んだではないか? お前たちの要望と私の時間が合えば応える。それまでだ」

 冷や汗を浮かべながら、それでも話を進めるイーヴェルにレイルは頷くと、スセリアには毅然とした態度で対応した。

 途端彼女は悔しげな顔を見せたが、これ以上留まれないことだけは理解したようだ。

 呑気に「ささっ、行きましょうか~」なんて促すイーヴェルを睨みつけ、スセリアは怒りながら出ていってしまった。


「……助かったぞ、キアラ。あれには昨日、突然入って来るなと言ったのだが……」

 まるで嵐のような二人が退室し、静けさが戻った室内で、レイルは肩をすくめると小さく笑みを浮かべて言った。

 あの組み合わせはレイルの心臓には悪かったらしく、額には変な汗が滲んでいる。

「いえ。むしろ私のせいで、レッグラント様を怒らせてしまいました」

「構わぬさ。それにしても、お前の気遣いは素晴らしいな。流石私の妻だ」

「!」


 咄嗟だったとはいえ、怒りを買った事実に委縮するキアラを見つめ、レイルは何気ない調子で呟いた。

 柔らかな笑みを浮かべる彼は満足そうだが、妻だなんて、慣れない単語に、キアラの頬がほんの少し赤くなる。


 事実上の妃生活一日目。

 キアラの災難はまだまだ続きそうだ。

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