第14話 エイビット王国王女シャローナ・ロングビウス

「応えられては困るぞ、キアラ?」

「……!」


 月明かりが降り注ぐ深夜の薔薇園…――。

風がそよぐその場所で、キアラは突然現れたレイルの姿に、目を見開いていた。

白いシャツに、ウエストコートを身に着けたラフな格好で佇む彼は、言葉も出せずに固まるキアラを、険しい顔で見つめている。


「陛下っ! なぜ、ここに……!」

 すると、そんな彼女に代わり声を上げたのは、同じように動揺を滲ませたライアン。

わずかに震える声で問うた彼は、嫌な予感に冷たい汗を浮かべている。

「……キアラが庭へ出る姿を見かけた。お前との逢引きかとつけてみれば案の定。しかし……」

「っ……」

「これは予想外だ。キアラ、なぜお前がシャローナと呼ばれている? その名はかつて、エイビット王国の王女だった姫の名だ。かの国の王侯貴族はここにいるジャックバード公以外この世にいないはずだが?」

「それは……」

「正直に答えよ。偽りは許さない」

「……っ」

 ライアンへの答えも束の間。すぐさま視線を戻したレイルは、険しい口調で詰問した。

彼としても聞き及んだ話を上手く呑み込めていないのか、彼女を捉える金色の瞳が、わずかに揺らいでいるのが分かる。

「あの……」

「お前は黙っていろ、ライアン・ジャックバード。今はキアラに聞いているのだ。さぁ答えよ」

「………私、は。……っ」

 助け舟さえ許さず、キアラを見つめ、問う。

彼の気迫は、有無を言わさぬ王のそれ、そのもので。

幾度かの深呼吸ののち、言い逃れの不可を悟ったキアラは、一転、高貴な姫の振る舞いを見せると、まっすぐにレイルを見つめ、自らの正体をこう明かした。

「この身を偽っていたことをお詫び申し上げますわ。レイル様。私はエイビット王国第九代国王の娘、シャローナ・ロングビウス。かつてあなた方に焼かれた王族の生き残りですわ」

「……そうか」


 凛とした眼差しでレイルを見つめ、素性を明かすキアラに、大きく息を吐いた彼は、何とも言えない微妙な声音で呟いた。

それはまるで、歓喜と悲哀を混ぜたように曖昧で、彼の心情を推し量ることはできない。

だが、ポーカーフェイスを保ったまま彼を見つめていると、やがてレイルは、気を取り直したように言った。

「さて、シャローナ。お前は、私や多くの貴族の目を欺いた。そのことは自覚しておろう? ……報いを受けねばならないことも」

「ええ。ただし、ライアンには一切の手出しを禁じます。それをお守りくださると言うならば、この身をあなたに委ねましょう」

「姫……!」

 一切の怯えもなく、冷静に、当たり前のように彼の言葉を受け入れるキアラに、それまで二人のやり取りを見つめていたライアンは、途端焦りを滲ませた。

姫を守ることが役目であるはずの騎士が、姫に守られるなど、あっていいわけがない。

「いいのよ。あなたは変わらず、国民たちを守って。民を守ることが私たちの務めよ」

「しかし……っ」

 すると、そんな彼の心情を悟ったように、キアラはなおも言葉を続けた。

覚悟を宿した瞳は間違いなく高潔な姫そのもので、ライアンはそれ以上、声が出てこない。

と、二人の会話が決着したことを見たレイルは、彼女に手を差し出して言った。

「いい度胸だ、キアラ。お前はこちらにきたまえ」



「――…さて、私を欺いた罪は重いぞ、キアラ」

 淡い月明かりに照らされた私室で、レイルは決して平静を崩さずついて来たキアラに、低く呟いた。

真夜中をとうに過ぎた今、王宮内はとても静かで、いやに声が、響く。

そんな静謐せいひつな空気の中、彼の言葉に頷いたキアラは、わずかに笑みを浮かべ言った。

「承知しておりますわ」

「冷静だな」

「正体が露見してしまった今、足掻いたところで見苦しいだけですもの。打ち首でも投獄でもお好きにご判断くださいませ、レイル様。たとえそれがどのような屈辱でも受け入れますわ」

「そうか。……ならば、このまま私の妃になれ」

「!?」

 命を乞うことなく、高貴な眼差しに笑みを湛え宣言するキアラに、レイルは頷くと、自らの判断をそう告げた。

予想していたものと全く異なる判断に、キアラは思わず動揺したが、彼女をまっすぐに見つめたレイルは、なおも淡々と言葉を紡ぐ。

「キアラ。今までの態度を察するに、お前はこの国と関わりたくないのだろう? ならば、いやと言うほど王家に関わり続けることがお前にとっての報いとなる。私の妻として、私を愛してほしい」

「……っ」


 そう言って、愛を乞うレイルに、キアラは曖昧な表情を見せると口ごもった。

彼を愛することが自分にとっての報いだと言うならば、これはきっと運命さだめなのだろう。

とうの昔に…あの戦によって、この糸は焼き切れたと思っていたのに。


(――あぁ…やはりこれが私の運命。どれだけ足掻いても、変えることはできないのね……)


「あなたがそれを望むなら」

 糸が再び繋がるような感覚に、不思議と動揺が治まるのを感じながら、キアラはやがて、自らの答えをそう絞り出した。

彼を見上げる瞳には覚悟が宿り、彼女の高貴さを引き立たせるように、月明かりが優しくキアラを照らす。

「望むとも」

 すると、そんな彼女を真剣な表情で見つめ返したレイルは、一歩近付くと、その左手薬指に優しく口づけた。

今回は、心からの愛を乗せ、乞うように。

と、彼の行為を受け止めたキアラは、少し迷った後で、同じように彼の手を取った。

そして、自分の心臓に左手を当て、躊躇ためらいがちにレイルの左手薬指に口づけを贈る。

「……っ」

 これは「きみに指輪を贈りたい」そんな意味を込めた口づけに対する答えであり、

「指輪を受け入れ、私の心をあなたに捧げる」そんな意味があるのだという。

だけど、言わずもがな、こんなことをしたのは初めてで。

わずかに触れた肌の感触に、頬を紅潮させていると、徐にキアラを抱き寄せたレイルは、長い髪を撫でながら言った。

「これでお前は実質、私の妻だ。約束の期日まで、せいぜい惚れさせてやろう。大事にする」

「……!」

「だからどうか、お前も私を愛してくれ。愛しい姫よ……」

「………」



(妻…か……)

『――…今日はもう夜も遅い。明日またゆっくり話そう』

 しばらくの抱擁ののち、柔らかく笑む彼の言葉を受けたキアラは、どことなく覚束ない足取りで自室へと戻ってきていた。

わずかに開いたカーテンの隙間から、零れる月明かりに彩られた室内は暗く、まだ夜が明けるには遠い。

だが、美しい天蓋付きのベッドに寝転ぶ彼女は、微睡まどろむことすらせずに、その言葉を繰り返していた。

正直、なんとかお断りの口実を見つけようと思っていた矢先の事態に、心が追いついて行かなかった。

だけど、これが変えようのない事実なのは、分かっていて……。

(彼の妻として、彼を愛することが私の報いだと言うならば、私はこの先、レイル様を愛していると、思い込む努力をしていかなければならないのね。最初は偽物…本物になる保証なんてないけれど、それが彼の望みなのだから……)


 でも、そんなことが自分にできるだろうか。

戦のことがあったせいかもしれないけれど、キアラはこれまで、誰かを愛したことなんて一度もなかった。

養母との平穏な暮らし。それさえあれば、他には何にも要らなくて、この歳になっても結婚なんてものは、一度も、眼中にすら入れたことがなかったのに。

よりによって、彼女を選んだのは国王で、彼が望んだのは愛だった。

愛とは、どうしたら本物として捧げることができるのだろう。


(家族を慈しむ愛とは違う。相手を慕う気持ち…恋慕の情をいだくと言うこと。それがきっと、彼の望む愛。どうしたらいいか分からないけれど、一先ひとまず、今までのように彼の言葉を受け流すのではなく、素直に受け止めてみましょう。私の心が動くかも、しれないもの)


 終着点が分かっていても、そこに至る過程が分からなくて。

永延えいえんと宙を見上げ、思案に耽っていたキアラはやがて、一つの仮定を導き出すと大きく息を吐いた。

これから先は、事実上の妃として、仮定と検証の日々が始まる。


身を偽り続けた姫君の災難は、まだ、終わらない…――。

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