第13話 月明かりのセレナーデ
「今宵、私から皆に一つ報告がある」
それが伝えられたのは、王家主催の夜会の席でのことだった。
貴族たちが集まる大広間の最前へと姿を現したレイルは、こちらに目を向ける貴族たちを視界に入れながら、そう切り出す。
今宵は社交シーズン真っ只中と言うこともあり、地方に屋敷を構える貴族をはじめ、王国中の有力貴族たちが集結し、彼らは皆、神妙な面持ちで陛下の低く澄んだ声を聞いている。
「現在この王宮に、私の妃と成り得る娘たちが集められているのは、皆も承知のことだろう。出逢いからおよそ二ヶ月。私は今共に過ごす六人の中から一人を、必ず選ぶと宣言する」
「……!」
「期日は自身の祝いの日……つまりは九月二十三日だ。今までの漠然とした終わりの分からない催しではなく、必ずや妃を決めるための催しとして、今しばらく我々のことを見守ってほしい」
レイルの口から紡がれた言葉のすべてを、貴族たちは固唾を呑んで聞いていた。
彼の即位から三ヶ月と少しが経ち、国民たちは皆陛下の結婚を心待ちにしている。それに応えるための第一歩ともとれる宣言に、貴族たちの表情は知らず
「聞いた!? ついに、ついにね!」
「はぁ~楽しみ~。妃っていい響きね~」
レイルの挨拶が終わり、待機していた演奏家たちによる音楽が流れ始めると、会場は瞬く間に活気に満ちてきた。
あちこちで上品な笑い声が上がり、給仕たちがワインや軽食を運んでくる。
そんな中、広間前方で宣言を聞いていた妃候補たちは、それぞれにざわめいていた。
彼女たちにしても一切知らされていなかった宣言に、様々な感情が滲んでいるようだ。
「陛下がお心を決められたようね、キアラさん」
すると、いの一番に声を上げたスセリアとヘレナが、ティニーも連れて陛下の元へ行った途端、ノーナが喜びを露わにして言った。
長い黒髪を低い位置でまとめた彼女は、上品な笑みを湛えキアラを見つめている。
「ノーナ様……。ええ、そのようで」
「あら、どうして険しい顔をなさるの? 陛下の本命はあなたでしょう?」
「……!」
「あなたと陛下はお似合いだし、妃候補の中で一番愛されているのは間違いないもの。もっと自信をお持ちになって? 私が保証しますわ」
まるで自分のことのように微笑み、ノーナは微妙な面持ちをするキアラに、当たり前のようなエールを送った。
初志貫徹とでも言うべきか、彼女は未だにキアラを応援しているようだ。
(はああ……)
熨斗をつけて返却したいようなノーナの保証に何とか笑みを返し、彼女と別れたキアラは、会場の端に佇むと、心の中で大きくため息を吐いた。
幸いなことに、今宵は舞踏会ではなく、会話を楽しむのがメインの夜会。
中央付近ではダンスに興じる人の姿も見えるが、大半はワイン片手に会話を楽しんでいるようだし、今日くらいは終始壁の花でも問題ないだろう。
(……期日、か……)
と、天井に輝く幾つものシャンデリアを見つめ、キアラは困ったように呟いた。
確かに今までは期日すら漠然で、もし彼のお気に召す相手がいなければ、候補者を追加したり外したり、そういう措置が取られるものだと勝手に思っていた。
キアラとしては、それまでに彼の気を他の誰かに向けられればと考えていたのだが、このままでは、あと三ヶ月ほどで選ばれてしまう。
その前に、何としてでもお断りの糸口を見つけないと……。
「キアラ様」
「……!」
心の中で頭を抱え、難しい顔で考え込んでいたキアラは、不意に聞こえてきた声に気付くと、途端意識を引き戻した。
いつの間にか、彼女の斜め横にはテールコート姿のライアンがいて、彼は同じくらい険しい顔でキアラを見つめている。
「……大丈夫よ、ライアン。私は平気」
すると、その表情から彼の心配を悟ったキアラは、強がるように呟いた。
正直に言えばちっとも平気ではないが、姫として矜持か、彼に心配をかけたくなかったようだ。
「ええ、あなたはとてもお強い……ですが、これ以上の事態になる前に、手を打った方が良いかもしれません」
「……?」
「キアラ様、大変不躾なお願いとなりますが、今日の夜、私にお時間を頂けないでしょうか?」
彼女の想いを汲むように小さく微笑み、頷いたライアンは、何かを決めた顔でそう告げた。
強い意志を込めたワインレッドの瞳が彼女を捉え、精悍な顔つきは真剣そのもの。
意図は分からないが、彼がこんな風に願い出るなんて、きっと大事な話なのだろう。
そう思って頷いた、途端。
「……相変わらず、騎士は姫の傍か」
まるでタイミングを計ったかのように、レイルの声がかかった。
彼は、傍を離れようとしないスセリアたち三人に手を焼きながら会場を回っていたらしく、どこか疲れた目でこちらを見つめている。
「これは陛下。ええ。私は騎士ですから。私の姫の傍にいてはなりませんか?」
「そうは言わぬ。だが、キアラは私の妃候補なのだ。事情を知らぬ者も大勢いるこの場で、不用意な行動は感心できない。それだけだ」
「それは失礼。今はただお話をしていただけでございます」
わずかな
彼らの表情は穏やかで、笑みさえ見て取れる。だが、互いに視線を外さぬまま言葉を交わすその空気は、どことなくピリついて見えて。
いつもなら構わずアピールを続けるスセリアたちですら声を挟めずにいると、一つ間を置いたライアンは、まるで他愛のない会話をするように続けた。
「それはそうと陛下。今宵の宣言は大きな決断だったかと存じます。果たしてあなたの姫は一体どなたになるのでしょうね」
「それはこれから決めることだ。……キアラ」
時間にしてほんの数十秒。
一度も視線を切ることなく会話をしていたレイルは、ふと目を逸らすと、ライアンの後ろに隠れるように立つ彼女の名を呼んだ。
そして、不意に呼ばれた名に驚くキアラを見つめ、優しい笑みを見せる。
「今宵もまた愛らしいな。夜会を存分に楽しむといい」
「……!」
さりげなく髪に触れ、慈しむような笑みで囁く彼の表情は、何となくいつもと違う気がして。
柔らかい声音に心がざわつくのを感じながら、キアラは、それ以上滞在せずに去って行く彼の背を見つめ、小さく首を傾げた。
その夜。美しい月明かりが庭園を照らす深夜。
夜会は無事にお開きとなり、大勢の客で賑わっていた大広間も、無数の馬車が
そんな、どこか
胸元にフリルをあしらった桜色の室内着を纏う彼女は、まるで夜にだけ姿を見せる、美しい花の精のようだ。
「ライアン……っ」
すると、王宮からは少し離れた場所にある、美しい造形を誇る薔薇園で、キアラは自身を待っていた彼の背に声を掛けた。
振り返ったライアンは、こんな時間だというのに、いつも通りのきっちりとした軍服に身を包み、揺るぎない忠誠を宿す瞳でキアラを見つめている。
「こんな時間にお呼び立てして申し訳ございません、姫」
「いいえ。昼間はお互い時間を取りにくいもの。それで、どんな要件かしら?」
「本日陛下が仰せられた、候補の皆様から妃を選ぶと断言された件。これまでの状況を察しますに、シャローナ様が選ばれてしまう可能性は高いのではないでしょうか」
深々と頭を下げ、非礼を詫びるライアンに単刀直入に問いかけると、彼は深刻な表情で客観的事実を告げた。
ライアン自身、二人のやり取りを直接見たのは数えるほどだが、彼の好意は概ねキアラに向いている、というのが率直な感想だった。
「……ん。私も、不安に思ってる。もし万が一そうなってしまったら、どうお断りするのがいいか、ずっと、そんなことばかり考えてしまって……。もちろん、そうならないよう、他の皆様方に目を移していただける方がいいのだけれど……」
「ええ。姫がそれを望まない以上、早急に気を削いでいただく方が賢明でしょう。そこで私から一つ、ご提案があります」
不安を湛えた眼差しで、心の内を吐露するキアラに、ライアンは頷くと、こう言った。
「もし、シャローナ様がお許し下さるならば、私を伴侶に選んでいただけないでしょうか?」
「え?」
「もちろん形だけです。それがシャローナ様の安寧となるならば、私がお傍であなたをお守りいたします」
「……ライアン」
彼の口から紡がれた唐突な提案に、キアラは息を呑むと小さく彼の名を呟いた。
この提案の意味は文字通り。
それ以外の他意はなく、彼は純粋に、エイビット王家に忠誠を誓う騎士として、姫の安寧を守りたいと願っているのだろう。
正直に言えば、打開策の見えない四面楚歌の中、彼の提案は救いに見える。
だが、もうありもしない王家に忠誠を捧げ、姫とは名ばかりの養女のため、人生最大の選択ですら捧げようとする彼の厚意に、胸が痛んだ。
(これを受ければ、他に結婚を望む相手がいると言って、彼の気を削ぐことができるかもしれない。でも相手は国王。王の妃候補を
「ライアン、私……」
いくつもの逡巡を繰り返し、キアラはまっすぐに自分を見つめる彼の瞳を見つめ返した。
心はまだ決まらない。だけど……。
「――応えられては困るぞ、キアラ?」
「!」
と、そのときだった。
蕾がかすかに風に揺らぐ月明かりの元、響いたのは、低く澄んだ声。
驚いて振り返ると、そこには険しい顔をした、レイルが立っていた――。
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