第9話 いつかの王冠

「あの…陛下。私、本当に……」

「駄目だ。私の気が収まらん。さぁ……」

「……っ」


 人気のない石の塔。

足音だけがやけに大きく木霊するこの場所で、キアラは困ったように呟いた。


 ――…ことの発端は十分ほど前。

陛下に呼び出しをされたキアラは、先日のお茶会で汚れてしまったドレスの弁償と、醜態を見せてしまったことへのお詫びを兼ね、王宮の宝物庫を案内したいと言われていた。

もちろん、ドレスの件は彼のせいではないのだが、状況からスセリアたちの企みであることを見抜いていたレイルは「あんなのでも私の親族」を理由に譲らず、結局、宝物庫の手前まで連れて来られてしまった。

正直、こんな姿を見られたら、また何を言われるか分からないキアラとしては、一刻も早く傍を離れたいのだが……。


「私も宝物庫ここへ来るのは久しぶりだ。さぁ、参ろうぞ」

「……畏れ入ります」

 鍵を開け、扉に手を掛けるレイルを見上げながら、心の中でひとりごちていたキアラは、彼の声に諦めたように頷いた。

毎度のことながら、彼の厚意はキアラにとって日々訪れる災難そのもの。

もっとも、彼が国王である以上強く物言いなどできないが、この心情をそろそろ分かってほしいものだ。

「ふむ。多少埃を被っているが、好きなものを持って行って構わぬぞ」

「………」

 決して口にも態度にも出さず、陛下に続いて内部へと入ったキアラは、壁に取り付けられた燭台に火を灯す彼に合わせ、一先ず辺りを見回してみた。

そもそも宝物庫は、王宮に隣接する塔の地下に存在し、普段は誰も入ることができないようになっている。幾つもの鍵が掛けられ、塔の前には近衛兵を見張りにつけるほど厳重な場所へ、こんなに簡単に入ってしまってもよいのだろうか?

(好きなもの…ね。私は宝飾品にはあまり興味がないのだけれど、養母はパールが好きだから、お土産に……)

 なんてかすかな疑問はさておき、燭台の明かりと、天井付近にある明かり取り用の窓から差し込む光に照らされた宝物庫を見つめ、キアラはふとそんなことを思っていた。

流石、城で生まれ育った元王女は、目を見張るほど豪華絢爛な宝物庫を前にしても、さして表情を変えず、淡々としている。

普通であれば、ガラスケースや箱に飾られた数多の宝飾品に、息を呑んでもおかしくはないのだが……。


「……!」

 と。なんとなく辺りを見回していたキアラは、不意に飛び込んできたあるものに気付くと、大きく目を見開いた。

「これは……」

 そこにあったのは、周囲の宝飾品を威圧するほどの美しさを放つ、金の王冠だった。

差し込んだ陽の光を浴びてキラキラと煌めく王冠は、被る者の威厳を表すように輝き、彼女の視線を吸い寄せる。

「……この王冠に見覚えでも?」

「!」

 すると、を見つめ黙り込むキアラに、隣に立ったレイルは、苦しげな表情で問いかけた。

彼にとってこの王冠は、自身の権威を示すものではなかった。

なぜならこれは……。

「これは八年前、父が持ち帰って来た――…エイビット王家の王冠だ」

 そう。これはキアラにとっては見慣れた、彼女の王家に伝わる王冠だった。

あの日も、父がこれを被り、いつか王子に受け継ぐ日を楽しみにしていると笑っていた。

だがあの日の夢は幻となり、王国の消滅と共に、この王冠も永遠に失われてしまったと、そう思っていたのに……。


「……なぜそのようなものが…、ここに……」

 走馬灯のように巡る思い出に心を痛ませ、キアラはかすかに震える声で呟いた。

それはおそらく、レイルへの問いかけではなかったのだろう。

だが、明らかに動揺する彼女に対し、彼は一つ間を置くと、

「エイビット王国は遥か昔、アイビアの一部だった。つまり、あの国のものはもとよりアイビアのもの――」

「……っ!」

「――…それが父の言い分だったな。我が父ながら愚かしい男よ」

 低く澄んだ声に侮蔑を滲ませ、レイルは王冠がここに存在する理由をそう語った。

それはあまりにも高慢で、自分勝手な言い分……。

不意を突く答えも合わさって、つい己の立場を忘れたキアラは、彼が本心で言った言葉ではないと分かっていながら、彼をきつく睨んでしまった。

そして、静かな怒りの滲む声音で、王冠を見つめる彼に言い放つ。

「確かにエイビットは昔、アイビア王国の一部でした。でもそれは、五七〇年も前の話です。欧州国際連盟によって正式な独立国として認められているのに、今さら、そんな言い分が通じるわけ……っ」

「ああ、私もそう思う」

 珍しく感情的にレイルを見つめるキアラの怒りに、彼は決して反論しなかった。

それどころか、受け止めるように目を閉じた彼は、誰もが知る国の歴史を改めて口にする。


「遥か昔、この地は大帝国の影響下にあった。だが、それを武力で制圧した祖王ヘントゥス・ビルスは九八四年、この地の王位を神より賜り「ビルス」という国を築く。のちにビルスは、今に続く欧州の一大組織「欧州国際連盟」を立ち上げた十王の一つとして挙げられ、欧州での地位を確固たるものにしていった……」

「ええ。そして転機が訪れたのは、一二九五年。北東からの魔の侵略を防いだ時の王弟を称え、王は彼に土地の一部を譲渡することに。王弟は土地の広さではなく豊富な資源を望み、王は希望の土地を了承。そのとき兄弟王は国を改名したのです」

「兄の土地の名を彼のファーストネームにちなみ“アイビア”」

「弟の土地の名を“エイビット”」

「王家の名は彼のミドルネームに因み“グリフォート”」

「弟は“ロングビウス”……そう名乗り、二つの国は恒久の平和と同盟を誓い合った」

 まるで示し合ったかのように、二人は淀みなく王家の成り立ちを紡いでいった。

元は一つの王家から始まった、二つの王国が、長い時を経て形を変える。

争いごとは世の常で、人に欲がある限り、きっとなくなることはないのだろう。

それでも、神に誓った平和を破られたキアラは、少し間を開けた後で

「……はずなのに」悲しげにそう付け足す。

「ああ、父は誓いを犯したのだ。歴代国王に何と詫びればよいか分からない。本当に愚かしい。だが、それはもとより…――」

 すると、俯いた彼女の横顔を見つめ、レイルは続きの言葉を引き取った。

エイビット王国の侵略を決めた父は、周囲の反対をよそに部隊を集めると、一斉にかの国を攻めたと言う。そのときはまだ、レイルは何も知らず王宮ここにいて、父の行動の真意を知ったときには、もう何もかもが手遅れ。

激しいショックと後悔に苛まれ、今なお、聞くことも、語ることもできぬまま、八年という月日が流れてしまった……。

「……?」

「いつかこの王冠をかの国に…欲を言えばエイビット王家に返したい。それが叶わぬ願いなのは百も千も承知なのだが……」

 キアラから王冠へと視線を移し、レイルは間を取り繕うように呟いた。

彼の願いは、ないものねだりの虚しいもので。

それを誰よりも解っているキアラは、願いの言葉に首を振ると、震える声で言った。

「そうですね……。この世界にはもう…ロドル王陛下も王位を継ぐはずだったドリッシュ王子も、誰もいない…ですから……」

「………」

「………」


 事実を告げるキアラの言葉を最後に、痛いほどの沈黙が落ちた。

だけど、どれだけ願っても祈っても、エイビット王家キアラの家族は帰ってこない。

そう思うと、続く言葉が見つからなくて……。


「……万に一つ、可能性があるとすれば姫君」

「!」

「彼女が死した証拠は、今なおどこにもない。もし、どこかで生きていれば……」

 王冠を見つめたまま、家族に思いを馳せていたキアラは、不意を突く言葉に大きく目を見開いた。

諦めきれない眼差しでそれを語るレイルは、隣にいるキアラこそ、行方不明の王女「シャローナ・ロングビウス」本人だということには気付いていない。

だからこそ、そんな呟きを漏らしたのだろうが、彼女にとってこの王冠は、王位継承者の弟にこそふさわしいものだと思っていた。

そもそもエイビット王国の王位継承権は男児が優先で、姉であってもキアラは二番目。

自分が女王になるなんて考えたこともなかったし、ずっと、かわいい弟を立派な王様にしたいと思っていた。

だが、その夢を打ち砕かれた今、王冠だけ得て何になると言うのだろう。

「……いいえ。だとしても、もう何一つ返っては来ないのです。善良な提案が、必ずしも良い結果に繋がるとは限りません。だから……」

 彼の言葉に黙り込んでいたキアラは、静かに口を開くと、今さら姫を探し出すようなマネはしないでほしい、そんな意味を込めて彼の希望を否定した。

これはもしかしたら、キアラとしてではなく王女シャローナとしての、想いだったのかもしれない。

すると、そんな彼女を見つめたレイルは、

「そう、だな……。それは私も身に染みて分かっている。ならばジャックバード公に返す方が賢明か? 公はかの王家傍流だろう?」

「それも、賢明とは思えません。ライアンは今でもエイビット王家を大事に想っているようですから、王冠がこんなところにあると知れたら怒るでしょう」

「フフ…もし公が剣を取れば、私などひとたまりもないだろうな」

「………」

 重い空気を払拭しようとしたのだろうか。

わざとらしくうそぶくレイルに、キアラは苦笑を返すと、王冠から目を逸らした。

もう二度とここへ来ることもないだろうが、これ以上の話は、心の傷を抉るだけ。


王冠を巡る話は、一先ずここまでだ。


「さて、話が逸れてしまったが、欲しいものは見つかったか?」

「あ……」

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