第8話 舞踏会の夜

 王家主催の舞踏会の知らせが入ったのは、お茶会から数日後のことだった。

 妃候補たちが集められてひと月余が経ち、改めてお披露目を兼ねた舞踏会とのことだったが、キアラはこの催しが“陛下が現時点で誰を気に入っているのか”を確かめたい大臣たちの思惑だろうと推察していた。


 アイビア王国では通常、舞踏会の一曲目に妻や恋人、もしくはそうと望んでいる相手を誘う決まりがある。

 二曲目以降が自由な分、重要度は高く、一曲目に誘われると言うことは、相手から愛を囁かれているも同然。

 これまでの舞踏会で、レイルが一曲目に誰かを誘うことはなかった。だが、もし今回誘うようなことがあれば、そのご令嬢が王妃に一番近い存在となる。

 誰が陛下の寵愛を受けているのか、下世話な好奇心も含め噂が飛び交う中、キアラは――。


「お久しぶりです、お養母かあ様!」

 キアラは、無邪気な笑みで養母ははとの再会を喜んでいた。

 どうやら、自宅主催時以外社交界に出たがらないキアラも、養母ははと会える機会を無下にすることはできなかったらしく、彼女は今、会場の端で再会した夫人との会話を楽しんでいる。

「元気そうね、キアラちゃん。王宮での暮らしはどう?」

「今のところ不自由なく……できる限りのことをしております」

「そう。あなたが元気で何より。これからも妃候補、頑張ってね」

 普段とは違い、編み込んだ金の髪を二つ結びにし、リボンを付けた髪型に、お気に入りのシルキーピンクのドレスをまとった養女むすめを見つめ、夫人は破顔して言った。

 妃候補として、王宮で頑張っているであろう養女むすめが、夫人にとっては誇りだった。

「……」

 一方、優しく髪を撫でながら笑う夫人に、キアラは笑顔を返すと、心苦しそうに頷いた。

 養母ははが自分の幸せを願い送り出してくれたことは分かっているけれど、今の彼女にとって王宮ここは幸せからは最も遠い場所だ。もちろん、キアラの正体を知らない養母ははには何も言えないが、嬉しそうな笑顔に、少し胸が痛んだ。


「楽しんでおられるか?」


 と、そのとき。秘かに心を落とすキアラの横に、誰かが立つ気配がした。

 最初は、舞踏会に養母ははを誘いたい誰かかとも思ったが、今の声は、まさか……。

「これはレイル陛下。今宵はお招き感謝申し上げます」

「……!」

 嫌な予感と共に上目遣いで見上げたキアラは、いきなり現れた彼の姿に心の中で飛び上がってしまった。

 確かに、時間的にも会場にいておかしくはないのだが、仮にもここは端っこだ。大臣方や当主たちが集まる場所とは真反対のここへ、わざわざ何をしに来たのだろう。


「礼には及びません。それより夫人、今宵はあなたの養女むすめを私の相手に誘いたい。お許しいただけますか?」

「!?」

 すると、キアラの疑問に答えるように、レイルは突然そう言って養母ははに許しを請うた。

 時刻はちょうど招待状に記された午後七時を迎え、演奏家たちによる美しい音色が耳に届く。

 あとは、この場に相応しい主役の登場を待つのみ、なのだが……。

「……っ」

 わざわざ養母ははを介してその相手を願い出るレイルに、キアラは目を見開くと、顔を青くしたまま黙り込んでいた。

 普段であれば「ご冗談を。レッグラント様方に怒られてしまいますわ」などと言ってのらりくらりするのだが、嬉しそうに頷く養母ははの手前、拒否それはできない。

 そんな状況で一曲目に誘うなんて……卑怯だ。


「ではキアラよ、今宵は私と共に」

「……はい」

 しばしの沈黙の末、打開策などどこにもないと悟ったキアラは、改めて願い出る彼の手を取ると、エスコートされるがまま、広間の中央に躍り出た。

 途端、周囲からはざわめきも聞こえたが、気にはしない。

「私の我が儘に付き合わせて悪いな、キアラ。だが、今宵ばかりは一曲目これを踊らぬわけにはいかないのだ」

「……大臣方から念でも押されまして?」

「その通りだ」


 言葉のわりに嬉しそうな彼を見上げ、キアラは覚悟を決めると、陛下のリードに合わせてステップを踏み始めた。

 目立ちたくないが故人前を苦手とするキアラも、幼いころから慣れ親しんだダンスで緊張することはなく、くるくると踊りながら、優美な仕草を観客たちに見せつける。

 それは陛下の力強さと合わさって美しく、人々はただ彼らの円舞曲ワルツに見惚れるばかりだ――。



「上手いものだな。本当に他家の夜会には参加していなかったのか?」

 一曲目を終え、逃げるように広間中央から立ち去ったのも束の間。

 キアラは、なぜか一緒になってついてきたレイルに、そんな問いかけをされていた。

 舞踏会において一曲目は確かに重要だが、それが終わってなお、彼に誘われたいと願うご令嬢などごまんといるだろう。自分のことなど捨て置いて、早くそちらに行けばいいのに……。


「……はい。主催者の養女むすめとして、お誘いがあれば応じていた程度です。それより陛下、ここにおられてよろしいので?」

 滲みそうになる本音を隠しつつ、不躾を承知で尋ねる。

 すると、こちらをまっすぐに見つめた彼は、重苦しげな様子で呟いた。

「離れたくないのだ」

「!」

「お前の傍を離れてしまえば、次を誘わざるを得なくなる。大臣たちがダンスを終え話せるようになるまで、もう少しこのままがいい」

「……」

 真面目な顔をして何を言い出したかと思えば、キアラを避雷針扱いするレイルに、彼女は言葉を失くすと黙り込んだ。

 少し前から、彼が熱狂的候補者たちを遠巻きにしていることには気付いていたが、そんな理由で傍にいられるこちらの身にもなってほしい。

「それに、私の傍にいた方がお前も安全やもしれぬぞ? 先程から視線を感じるだろう?」

 と、返答に困るキアラに、レイルは意味深な様子で言葉を続けた。

 どうやら、こちらに視線を送る貴族たちの姿を見て言っているようだが、ここは王宮だ。たかが養女であるキアラに、誰が構うというのだろう。


「おたわむれを。確かに、見知った顔も見受けられますが、王宮こんなところで私に声を掛ける理由はありません。気のせいではないでしょうか?」

「……」

 熱を込め、一心にキアラを見つめる彼らに対し、彼女はさも当たり前のように言った。

 彼女と出逢ってひと月余。関わりたくない事情でもあるのか、キアラは人に対する興味関心が希薄だとは思っていた。

 だがこれでは恐らく、自分がだからこそ、レイルの妃候補に選ばれたことすら、自覚していないのだろう。

 そんな姿も初心で愛らしいが、鈍いと言うのも罪なものだ。

「フフ……キアラ。どうやらお前には自覚が足りぬようだ」

 そう思うとなんだか可笑しくて、レイルは「?」顔でこちらを見つめるキアラに、苦笑して言った。

「私の目には、彼らは皆お前を狙う者たちに見える。今は私が傍にいる手前大人しいが、離れた途端、声掛けの雨霰だろうな」

「……ご冗談を」

「どうかな」



「……はぁう」

 冗談とも本気ともとれる口調で笑う陛下に言葉を返してから、数十分後。

 大臣たちの登場により、ようやく彼の傍を離れることができたキアラは、今、会場の端に用意された長椅子に、寝そべるように座り込んでいた。

 彼の推察通りとでも言うべきか、レイルの傍を離れたキアラは、次の瞬間から立て続けに申し込まれたダンスの誘いに目を回し、十数人との果てにようやくここへ辿り着いた。

 本当なら、養母ははを探しに行きたいのだが、疲れのせいか思考が回らない。叶うものなら眠ってしまいたいものだ。


「お懐かしゅうございますね。キアラ様」

「ライアン!」

 心の中でそんなことを思いながら、ぼんやりと会場を眺めていたキアラは、不意に聞こえてきた彼の声に気付くと顔を上げた。

 夜会服に身を包んだライアンは、昔を思い出したように笑っている。

「ふふ、そうね……。昔はよく、ダンスに疲れてこうして眠っていたわ。お父様が笑って起こしてくれたのを……今でも鮮明に覚えているもの……」

「ええ。私もそのお姿を拝見しておりました」

「懐かしい、思い出ね……」

 かすかに微睡まどろみながら、キアラは笑みを返すと小さく呟いた。

 あのころは、貴族たちの前で眠ってしまっても怖くはなかったものだ。

 周りは皆キアラを守る味方で、怖いものなんて何もない。心を赦せる相手などほとんどいない今とは、真逆だった子供時代の、思い出……。



「私の夜会で眠るとは……いい度胸をしている」

「これは陛下!」

 味方であるライアンの存在に安心してしまったのか。

 すっと眠りに落ちた姫を守るように周囲を窺っていたライアンは、彼の言葉にどきりとした様子で振り返った。

 大臣たちとの話を終え、会場を回っていたらしいレイルは、苦笑を滲ませた顔で、キアラをじっと見つめている。

「どうかお見逃しを。キアラ様は立て続けに殿方と踊られてお疲れのご様子なのです」

「だから私の傍にいた方が安全と言ったのにな。貴殿はずっと子守を?」

「いえ、私は姫に不埒な輩が近付かないよう、見張りを……」

「フフ……正しく、姫と騎士だな」

 そう言って、以前話した役を疑うことなく笑う彼に、ライアンは無言のまま笑んで見せた。

 レイルが言うように、二人は姫と騎士。

 たとえ王を欺こうと、それだけはライアンにとって変わらない事実だった。


「……だが、舞踏会はじきに終いだ。私が直々に起こしてやろう」

 すると、そんな彼に目を向けていたレイルは、一瞬の沈黙の末、おもむろに彼女の頬に触れて言った。まるで、口づけでもしそうな態勢に、ライアンは思わずはらはらしてしまったが、下手な真似はできない。

 と、彼の囁きにゆっくりと目を開けたキアラは……。


「むぅ。………。……!??」

 間近で覗き込むレイルの姿に、思わず叫びそうになった。

 先程傍を離れたはずの彼が、なぜここにいるのか分からなくて混乱してしまう。

 だが、構うことなく彼女を見下ろしたレイルは、

「いい度胸だな、キアラ」

「陛下……っ。これはその……」

「フフ、愛らしい寝顔に免じて許してやるが、夜会で眠る者など初めて見たぞ」

「……」


 不敵に笑う彼を見上げ、キアラは恥じ入ったように俯いた。彼に寝顔を見られるなんて、不覚……。

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