第5話 かつての騎士の過去と現在

(今日もまた喧騒の時間がやってくる。たまには一人で午後を楽しみたいものだ)


 洗練されたアイビアの王宮を歩きながら思う。

 まだわずかに寒さを含んだ四月の空気を感じながら、レイルは外を見つめ、息を吐いた。

 憂鬱の原因はこれから始まる、妃候補たちとのお茶会。

 彼女たちを集め二週間、レイルは一部のかしましいご令嬢方にすっかり嫌気がさしていた。

 もちろん、ひどく邪険にする気はないし、候補から外すのも気が乗らない。だが少なくとも、以前あった静かな時間を恋しいと思うほどに辟易しているのも確かだった。


(……!)

 すると、そんな彼の視界に、今では見慣れた金髪と、長いリボン飾りが映った。

 それは、レイルが今、唯一気にしている彼女のものだ。無意識に視線を上げた彼は、彼女の姿が見えなくなった辺りを見つめると、

(キアラか? そこは確か備品倉庫。一体何を……?)


 そう思って目を凝らした途端。

 一瞬見えた男の後ろ手に、レイルの表情が凍りついた。


(……!?)



「申し訳ございません……っ、姫様」

 そのころ。

 備品倉庫内ではキアラに立場を聞かれたライアンが、深々と土下座をしていた。

 埃っぽい地べたに頭を擦りつけ、謝辞を述べる彼に、キアラは呆然としてしまったが、仮にも公爵家の人間に、いつまでもこんなことをさせておいていいわけがない。

「落ち着いて、ライアン。顔を上げて、いちから説明してくれる?」

「……はい」

 視界いっぱいに広がる現状を見つめ、ふと我に返ったキアラは、慌てて彼を促した。

 おそらく彼がここにいるのには、よほどの理由があるのだろう。

 すると、彼女の声にようやく顔を上げたライアンは、今にも泣きそうな表情で、ぽつりぽつりと話し出す。


「あの戦のとき、私は、せめてもと、凱旋中がいせんちゅうだった将校の一人を討ち取りました。しかし、そこで捕らえられた私に、この国の前王は言ったのです。「お前が俺の忠実な部下となるなら、国民は助けてやる。さもなくば民の命はない。すべてはお前の気持ち次第だ」と……」

「……っ!」

「国民を人質に取られ、私には出来る選択肢がありませんでした。本当に申し訳ございません!」

 もう一度土下座しそうな勢いで謝意を示したライアンは、ローズピンクの瞳を見開いて固まるキアラを見つめると、苦しげに言葉を絞り出した。

 たとえそれが国民のためだったとしても、敵国に寝返ったなどと姫に伝えるのは辛かった。

 だが、包み隠さず告げたライアンに、しばらくして声を取り戻したキアラは優しく笑って、

「……酷い王様。あなたには苦しい思いをさせてしまったわね。でも…あなたの選択は間違ってないわ」

「姫……」


 決して責めることなく言う彼女に、ライアンは心底ほっとすると、わずかに表情を緩めた。

 この八年、罪悪感に苛まれない日はなかったが、姫に肯定されたことで、罪の意識がほんの少しだけ軽くなったように感じる。

 すると、安心した顔で自分を見つめる彼に、キアラは改めて問いかけた。

「つまりあなたは今、この国の騎士と言うことでいいのかしら?」

「はい。公爵家当主として、近衛騎士団・第二師団長を務めております」

「立派な肩書ね。それを踏まえつつ、私たちの役を決めましょう」



 同じころ。

 備品倉庫の前では、キアラを目撃したレイルが険しい表情をしていた。

 どうやら彼は、先程見えた男の後ろ手が気になっているらしく、眉根に皺を寄せては、金の瞳をかげらせている。

 もちろん、彼としても単に友人と話しているだけの可能性を考慮していないわけではない。

 だが、どちらにしろ、わざわざ倉庫に入った理由が分からなくて……。

(妃候補たちは、未婚で約束の相手もいないことが条件だったはずだ。だがあの手……。中で一体何をしている? キアラ……)

 自分でも驚くほど悶々とした気持ちのまま、扉を睨む。

 彼女が倉庫に入ってから既に十分以上経つが、まだ出てくる気配はない。



「――ライアンは、陛下と面識はある?」

 すぐ傍に陛下がいることなど知る由もなく。

 互いの役を確認する最中、キアラはふと彼にそんな質問をしていた。せっかくの機会、キアラには聞いてみたいことがあったのだ。

「いえ、直接的な面識はございません。なにか不都合な点でもございますでしょうか?」

「ううん、少し気になることがあって」

「と、言いますと?」

王宮ここで初めて彼と会ったとき、名前と立場を聞かれて、私は「戦のころに拾われた養女」と説明したの。そうしたら、彼……とても悲痛な表情をして、私を妃にするのが責務だなんて言い出したのよ」

「なっ!?」

「でも、私の発言に対して、責務と答えるのは不可思議だと思わない?」

 さらっと陛下からの求婚を説明するキアラに、ライアンは思わず言葉を詰まらせた。

 確かに、現在いまの彼女の立場は、陛下の妃候補で側仕え。かわいらしく優美な姫を見初めたくなる男の気持ちは分からなくもないが、既にそんな事態になっていたなんて……。


「それは、陛下がシャローナ様の正体に気付いている、ということでしょうか?」

「うーん、それが今のところそういう素振りはないのよね……。だから、あなたが陛下やあの戦について、知っていることがあればと思ったのよ」

 すると、目を見開いたまま硬直するライアンに、彼女は悩みながら言葉を続けた。

 どうやら彼女の本題は求婚ではなく、ずっと引っかかっている“責務”の意味のようだ。

「そうでしたか。お力になれず申し訳ございません。実は、私もあの戦については、公式で知られていること以外ほとんど情報を掴んでおらず……。お恥ずかしい話ですが、拘束され、意識を失った私が目を覚ましたときには、既に前王の意向で情報がまとめられた後だったのです」

「……王の判断、ね」

「申し訳ございません、私がもっと早く目覚めていれば……! いえ、今からでも情報収集を!」

「いいえ、大丈夫よ。それより、もう出ましょうか。倉庫こんなとろこに長くいるなんて、よくないわよね」


 俯くキアラの心情をおもんぱかってか、身を乗り出さんばかりの勢いで告げたライアンに、彼女は慌てて言うと、おもむろに時間を確かめた。

 気付けば随分と時が経ち、そろそろお茶会に向かわねばならない時間だ。



「……悪い子だ」

 逸る持ちを抑え、紳士らしくドアを開けるライアンに礼を言って外へ出る。

 その途端、キアラの耳に飛び込んできたのは、聞き慣れつつある彼の声だった。


「!」

 驚いて左に顔を向けると、そこには壁に背を預けるようにして佇むレイルがいて、彼は不機嫌そうにキアラを見つめている。

「こんなところで何をしていた? 妃候補が逢引きなど、感心できるものではないぞ」

「……っ」

 そう言って詰め寄ってくるレイルに、彼女は嫌な動悸を募らせると黙り込んだ。

 まさか一番見つかりたくない相手に出入りを見られた挙句、待ち伏せまでされていたなんて、流石に予想していなかったようだ。

「その件は私からご説明申し上げましょう」

「お前は……」


 すると、そんな彼の質問に答えたのは、倉庫内にいたライアンだった。間を置かずしてキアラの斜め後ろに立った彼は、まっすぐに驚く陛下を見つめている。

(……確かこの者は、ジャックバード公。かの国の騎士だった男だな。この男と二人でいるということは、やはり彼女は……)

「ここで何をしていた?」

 穏やかに見えて意志の強そうな彼を見上げ、レイルはひとりごちると、端的に問いかけた。

 キアラがなぜ彼といるのか、知りたいのはその答えだ。

「キアラ様が陛下の側仕えに選ばれた件について、話をしておりました」

「ほう。なぜそんな…お前たちの関係は?」

「昔馴染みと言ったところでしょうか。数年前、図らずも似た境遇の彼女と出会い、私の我がままで「敬うべき私にとっての姫」を演じて頂いております」

「お前にとっての姫……」

 決して隠すことなく、堂々と理由を語るライアンに、ふとレイルの声が暗くなった。


 この説明はもちろん、彼がキアラと決めた“役”だ。

 戦が終わり、知らぬ国でひとりぼっちの二人が出会い、ライアンは王族を守れなかった傷を埋めるため、キアラに姫を演じてほしいと願い出た。

 公爵の急な願いにも優しい彼女は応え、二人の関係は今に至る――。


「そうか」

 そんな作り話を顔色ひとつ変えずに説明すると、レイルは言葉少なに呟いた。

 キアラは陛下とは極力関わらないよう努力している、と言っていたが、もしかしなくても、彼は随分とキアラを気にかけているように見える。

 レイルと言葉を交わすのは実質初めてだったが、彼の態度からなんとなくそれを感じていると、

「おお、ジャックバード卿。ここにおられたか」

「!」

 不意に第三者の声が聞こえてきた。

 歩きざまにライアンを見つめるその文化省職員は、何か急を要する案件なのか、はたまた王の存在に気付いていないのか、はばかることなく語り出す。

「聞いてくださらぬか。エイビットとの戦の際、戦渦に包まれた廃城だが……」


「――私の前で、その話をするな……ッ!」

「!?」


 だが、文句のような彼の言葉はそれ以上続かなかった。

 突然大声で言葉を掻き消したのは、ただならぬ雰囲気で金の瞳を震わせた――レイルだ。

 彼は珍しく蒼白な顔で、驚く全員の視線を受けたまま息を荒げ……?


「……いや、すまぬ。私たちは茶会へ参ろう」

「は、はい」

 痛いほどの沈黙ののち、正気を取り戻したレイルは、それだけ言うと皆に背を向けて歩き出した。

 突然響いた大声に場は凍りついたままだが、彼に説明する気はない。


 一方、予想外の事態に、キアラはつい従いながらも混乱していた。


 エイビットとの戦の話。

 すべてを奪われたキアラたちが耳を塞ぐなら分かるが、レイルは戦勝国の人間だ。

 それも、当時戦の指揮を執っていた王の息子である彼が、何に動揺しているのか。

 分からないことだらけ。

 でも、それがきっと、彼がキアラを気にかける理由な気がして、彼女はこっそり陛下を見上げると、心の中で呟いた。


(……もしかして陛下は、あの戦について何かを知っているのかしら……?)

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