第4話 偶然の再会

 陛下と妃候補たちが対面したあの日から二週間が経った。


 初日から薬指に口づけを贈られるという謎展開に直面したキアラは、今も彼の寵愛を受ける一方、熱烈に彼を慕う候補者たちからは嫌がらせを受けるという状況に頭を悩ませていた。

 とりわけ彼女の苦悩は陛下からの寵愛だったが、同席を嫌うご令嬢方を避けるため、キアラは今、人気のない図書室で読書に興じている。


(……はぁ。今日は午後から陛下と皆様とお茶会……。とても気が重たいわ……)

 その途中、読んでいた本から顔を上げた彼女は、ため息を吐くと疲れたように呟いた。

 側仕えという名目で王宮に集められたとはいえ、国王陛下の妃候補でもあるキアラたちが、実際に侍女のようなマネをすることは、今のところなかった。

 だが、大臣や従者たちの(無駄な)気遣いにより、レイルが公務を終えた午後、ティータイムや散策など、思った以上に接触する機会が多くて……。

 日々目立たないよう、隅の方に隠れてはいるはずなのに、いつも彼に声掛けされてしまう状況が、キアラにとっては本当に、心の底から迷惑で、苦悩は溜まるばかりだ。


(おそらく陛下は、私がエイビット王国の王女であったことには気付いていない。なら、どうして彼は私に構うのかしら……? 結局、責務の意味は分からないまま……。でも、今日こそお声掛けされないよう、頑張らないと)

 そう言って、キアラはため息を吐くと心の中でひとりごちた。

 陛下が仕事をしている間、側仕えたちは与えられた客間か、自由に使用を許可された談話室などの限られた場所で思い思いの時間を過ごしているのだが、彼女の日課は図書室に籠り「目立たない方法」を探すことだった。

 もっとも、今のところそんな本には出会えていないのだが、彼女は今も本にかじりついては熱心に先人たちの知恵を学んでいる。

(うーん、姿を消してはいけないのよね……あくまでその場にはいて、存在をあまり気取られない方法……。存在感を虚ろにする方法……)


(――なかなか見つからないわね。でも、そろそろ支度に戻らないと……)

 ページをめくるかすかな音だけが木霊こだまする、誰もいない図書室。

 キアラの読書はそれから一時間以上続いていたが、彼女はやがて、聞こえてきた鐘の音に気付くと諦めたように腰を上げた。残念なことに、今日もリミットが来てしまったようだ。


「はぁ……」

 本を棚に戻し、図書室を出たキアラの表情は、先程よりも憂鬱そうだった。

 本当のことを言えば、この後予定されているお茶会まではまだ時間があるのだが、スセリアを始めとした一部の熱狂的候補者の前乗りはすさまじく、変に目を付けられないためにもキアラたちは時間を合わせる必要があった。

 早すぎず遅すぎず、目立たない順番を維持するのも正直辛いのだが、目立ちたくない、関わりたくないが最優先のキアラにとって、他に順ずるのは欠かせない項目だ。

(お茶会だし、今日はシンプルに、パステルイエローか、グリーンのドレスで……)


「――様……?」

「!」


 すると、お茶会に着ていくドレスを思案しながら廊下を進むキアラの耳に、ふと懐かしい言葉が聞こえてきた。


 “シャローナ”


 それは、もう二度と耳にすることもないと思っていた――だ。

 国が滅んで以来、八年もしまい続けてきた名前を不意に呼ばれ、視線を上げた彼女の向かいにいたのは、近衛騎士団の軍服に身を包んだ、背の高い青年。

 青年は、ワインレッドの瞳を大きく見開き、まるで亡霊でも見たかのような表情で、キアラを見つめている。

「あぁ、やはり……。大変ご無沙汰しております、姫」

 彼女の存在を確かめるように、一歩一歩キアラの傍まで歩み寄った青年は、彼女を見つめると、徐に恭しい仕草でって膝をついた。

 キアラには一瞬、この青年が誰か分からなかったが、彼女に対してその名を使うのは、彼女がかつてエイビット王国の王女であったことを知る者のみだ。

 だが、八年前の戦で、自国の王侯貴族は攻め込んできたアイビアの兵たちによって皆殺されてしまったはずだし、王女時代、キアラがアイビア王国に来たことはなかったから、この国に知り合いなんていないはず。でも、この焦げ茶色の髪とワインレッドの瞳は、どこかで……?


「……あなたは、ライアン?」

「覚えておいででしたとは、至極光栄。正しく、ジャックバード家のライアンでございます。姫様がご無事でしたとは、こんなに喜ばしいことはございません」

「……!」

 胸に手を当て、恭しく声を掛ける青年の正体は、かつてエイビット王国で、公爵の地位を持っていた名門武家の長男、ライアン・ジャックバード。

 弱冠十五歳にして王国一の剣の使い手とうたわれていた、キアラの昔馴染みだ。

「しかし、姫…なぜこの城に……?」

「あなたこそ、どうして……?」

 あの戦のとき、王家の盾として最後までアイビアと交戦していたはずのライアンの姿に、キアラは喜びと同じくらいの疑問を募らせると、問いかけた。

 互いに生きているなどとは微塵も予想していなかったせいか、言葉の端々には動揺が滲んでいる。



「伯爵家の養女として、陛下の側仕えに……!?」

「ええ」

 アイビアの王宮で堂々と祖国の話をするわけにもいかず、慌てて近くの備品倉庫へと移動した二人は、互いの事情をゆっくりと話していった。

 畏れ多くも姫君と二人きりになるという状況に、ライアンは初め、畏れ入った様子でどぎまぎしていたが、内鍵まで掛けた倉庫内で話を聞くうちに、彼の緊張は悲痛へと変わっていく。

 そんなライアンの姿を視界に入れながら、キアラはこれまでのことを簡潔に語り出した。

「八年前のあの日、ドリッシュおとうとと、別れて……」

「……」

「それで、城から逃げた後、私はこの国のフェルセディア伯爵夫人に拾われたの。戦に参加した夫の訃報を聞いた夫人が、駆け付けた国境近くの森で倒れていた私を見つけたと言っていたわ。優しい夫人は事情も聞かず私を家においてくれて、そのまま養女に……」

「しかし姫、陛下の側仕えというのは……?」

「それは……」


 気丈に振舞ってはいるものの、現状を語るキアラの表情は悲しげだった。

 だけどライアンは、この国に来て八年、初めて身を偽らなくていい相手だ。久しぶりに見せるありのまま、キアラは丁寧に言葉を紡いだ――。


「――そう、でしたか……。お辛い選択でしたでしょうに……」

 戦のこと、夫人に拾われた八年、そして陛下の側仕えに選ばれてしまったこと。それらの話を聞き終えたライアンは、悲痛な表情を見せると、苦しげに言葉を絞り出した。

 本来ならば、あの戦で王国騎士であった彼らが王族を守り抜くはずだった。

 にもかかわらず、すべてを奪われ、今なお姫に苦しい思いをさせていることが、ライアンにとっては悔しくて、身を切られる思いだ。

 しかし、忠誠心の高い彼の性格を見透かすようにわずかに笑んだキアラは、

「平気よ。大切なお養母かあ様のためだもの」

 気負うべきではないと言って、彼を見つめる。

 今も昔も、彼女は誰かのために自分を犠牲にできる、高潔なお姫様だ。


「シャローナ様……」

「ねぇ、ライアン。これから先、私のことは「キアラ」と呼んでちょうだい。私はもう姫ではなく伯爵家の養女。本当なら敬語もやめてほしいのだけれど……」

 改めてそれを感じながら呟くと、キアラは不意にそれを提案してきた。

 だが、どんなに立場が変わろうとも、ライアンにとって彼女は姫だ。

 できるわけがない。

「そ、そんな……!」

「……そうよね。今のはちょっと軽率だったわ。わたしを知るあなたに、いきなりそれを頼むのも難しいわよね。なら……そうね。役を決めましょう」

「役、ですか?」

「そう。陛下や他の貴族たちに不審がられない、役。そうすれば、隠れなくてもお話しできるでしょう? そのために、まずはあなたの立場を正確に教えてくれるかしら?」

「!」

 本当の立場を隠すため、あたかもそれらしい設定を考えて演じるというキアラの提案に、ライアンは初め納得の表情を見せていた。

 だが、続けざまに問われた立場に彼は色を失くすと、


「……私は、その、申し訳ございません……っ!」

 彼女の前で突然、土下座をした。

 そして、意味の分からない謝罪に戸惑うキアラの前で、彼は地面に頭を擦りつけたまま、悲痛な叫びのように言った。

「私は……っ、この国の前王の命で、アイビアに寝返らざるを得なくなってしまったのです。本当に申し訳ございませんっ!」


「……どういうこと?」

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