第3話 きみに指輪を贈りたい
「陛下、準備が整いました」
「分かった。今行こう」
妃候補である少女たちとの対面から数時間。
本日の公務を終えたレイルは、テールコートに身を包むと、広間へ向かい歩いていた。
今日はこれから彼女たちと共に、歓迎の宴が予定されている。
「……大臣方が二週間悩み抜いた妃候補はいかがでしたか?」
と、その途中、彼の後ろに付き従っていたドラーグスは、微妙な雰囲気を醸し出すレイルに気付くと、遠慮がちに問いかけた。
紳士的と言えば聞こえはいいが、実際は女性に対して消極的な彼のため、気を揉んだ大臣たちの計らいで催された今回の一件。まずは陛下が、彼女たちを気に入ってくれたかどうかを気にしているようだ。
「そうだな」
すると、従者の問いかけに対し、レイルは少し間を置いた後で、率直な感想を告げた。
「実に分かりやすい人選、と言ったところか。スセリア、ティニー、ヘレナ……王家に近い血族のものが半数、そして内務大臣ルッカの娘、ハルフィート嬢とあのキアラと言う娘は純粋に選ばれた者たち。フフ、大臣たちの思惑が見えるようだ」
「……畏れ入ります」
「だが、いい加減妃を迎えるべきだという大臣たちの言い分も分かっているつもりだ。しかし……」
可とも否とも言わず、彼女たちが選ばれた理由を推察していたレイルは、広間を前に口を閉じると、意を決したように室内へと足を踏み入れた。
途端自分を包むのは、いつもと変わらない黄色い声。
それに何となく応えながら前に進み出たレイルは、昼間とは違い、煌びやかな夜会服に身を包んだ彼女たちを見つめると、開幕を宣言した。
「待たせたな、お前たち。今宵の一時をどうか楽しんでくれたまえ」
ワイングラスを掲げ、簡素な挨拶と共に陛下が宴の開幕を宣言すると、立食形式の会場は、陛下と話したがる少女たちの声によって、とても騒がしいものになった。
自ら提案した手前、今回のレイルは少女たちを邪険にすることなく会話をしているようだが、それでも積極的なご令嬢方を前に、やや押され気味の様子だ。
(……皆、陛下とお話ししたくて仕方ないのね)
まさに飴に集る蟻の如き状況に、遠くの位置でこっそりワインを
一応、夜会に合わせ、彼女もリボンやレースを施した袖に大きく広がった裾、デコルテを出した淡いピンクのクリノリンドレスに身を包んではいるが、このまま行けば陛下と言葉を交わさずに済むどころか、こっそり会場を抜けても気付かれなさそうだ。
もちろん、
「こんばんは、キアラさん。あなたは陛下とお話にならないのかしら?」
「……!」
すると、誰にも相手にされないのをいいことに一人で食事を楽しんでいたキアラは、しばらくして、声を掛けてきたご令嬢の言葉に顔を上げた。
ノーナ・ハルフィート━━女性ながら軍に所属し、小隊を率いる侯爵家の令嬢で、黒髪と理知的な茶色の瞳が印象的な女性だ。
キアラにとってはほとんど面識のない女性だったが、ノーナの声掛けに彼女は少し間を置くと、遠慮がちに言った。
「ハルフィート様。……ええ、私は身分的にも前に出るわけには参りませんので」
「ノーナで構わないわよ。でも、陛下が一番お話ししたいのはあなたじゃないかしら」
「!」
「私も幼いころから陛下を存じているけれど、あんな風にお声掛けされる姿は初めて見た。あなたの何かに、陛下は惹かれたみたいね」
そう言ってノーナはキアラを見つめると、言葉を詰まらせる彼女をよそに自分の考えを吐露していった。
どうやら彼女は、他の候補者たちのように侮蔑や嫉妬を募らせたわけではなく、純粋に初対面時のやり取りを見て応援(?)のために声を掛けてきたようだ。
しかし、そういう援護射撃は全力拒否と言わんばかりに目を伏せたキアラは、
「……いえ、そんな。レッグラント様の仰る通り、単純に見かけない養女を
「私は父に乞われて家の名誉を守りに来ただけ。私の夢は王家を守る盾だもの。そのために剣を振って来た私に、王妃になるつもりはないわ」
「……素敵な夢ですね」
「それより、あなたも陛下とお話ししていらしたら? このままだと、せっかくの宴もお開きになってしまうわよ」
一刻も早く自分から話題を遠ざけるための問いかけに、ノーナは首を振ると、再びそれを提案してきた。
意図は分からないが、彼女はどうしてもキアラとレイルに接点を持たせたいようだ。
「……お気遣い痛み入ります。しかし、皆様のお邪魔をするわけには参りませんので」
だが、彼女の提案にキアラは小さく首を振ると、出来るだけ残念そうに言った。
彼は宴開始直後からずっと、他の候補者たちの猛アピールを受けているようだし、早くお開きになってくれないだろうか。
「ふふ、奥ゆかしい方ね、キアラさん」
「……!」
秘かに願いを込め、彼女たちが群がる方向を見つめるキアラに、ノーナはふと笑って言った。
そんなつもりはなかったのだが、キアラの言動が彼女の眼にはそう映ったらしい。しかし、予想外の発言に驚くキアラを尻目に、ノーナはなおも口を開き、
「私は陛下とあなたはお似合いだと思うわ。……ほら、陛下もあなたとお話ししたいみたいだし」
「!」
「よかった、私は外すから頑張ってくださいな」
期待を込めた眼差しでそう告げたノーナは、ちょうど彼女たちの輪を抜けたレイルと入れ替わるようにしてキアラの元を離れて行った。
もちろん、輪を抜けたからと言ってこちらに来るとは限らないのだが、彼はどういうわけか、まっすぐキアラの元へやって来る。
そして、逃げ出すのをやっとのことでこらえる彼女の傍に立ったレイルは、笑みを浮かべて言った。
「楽しんでいるか?」
「……はい」
「フフ、そんなに
「……」
陛下の声掛けに対し、わずかに俯いたキアラは、ある種の嫌悪と言う意味で緊張していた。
本当なら、他に倣って会話をすべきだと分かっているのに、彼がアイビアの国王だと思うだけで、上手く言葉が出てこない。
「なぁ、キアラ……」
すると、そんな彼女をしばらく見つめていたレイルは、やがて重苦しげな様子で口を開いた。
気付くと彼の表情は、またよく分からない苦悶に満ちていて、どこか苦しげに見える。
「?」
おそらく彼がキアラに向ける感情は、好意とは違う(と思いたい)何かなのだろう。
「……いや、先程の話の続きをしよう。私はお前を妃にすべきだと考えている。出逢ったばかりで不躾なのは承知だが……」
何とも言えない不安を抱え、口を開きかけるレイルを見上げていると、結局彼はその何かを飲み込んで言った。
対面してまだ数時間だが、本当に、この人の言動には疑問が募るばかりだ。
だがそれについて深く考えるより早く、代わりの言葉につい口を開いた彼女は、
「ご冗談を」
思わず、あしらうように言ってしまった。
「……!」
「私にとっては陛下にお声掛け頂いただけで、既に身に余る光栄。これ以上私を
途端、目を見開く陛下に気付いて理由を見繕ったが、今のは失言だと思った。
もし、今の発言が彼を怒らせることにでもなったら、
でも、妃になんてなりたくないもの事実で……。
「フフ」
しかし、一方の陛下は、そっと辞儀をするキアラの洗練された仕草に笑んでいた。
とても養女とは思えぬほど美しい――まるで人目を引く一凛の花のような仕草。そして、自分を見上げる瞳は力強く、高貴なもので。
「気に入ったぞ、キアラ。では私の発言が冗談でないと分からせてやろう。私はこの出逢いをよいものだと期待しているのだ」
そう言って、レイルは突然、彼女の左手を取ると、薬指に優しく口づけた。
「……っ!」
「私の意思だ。よいな?」
あまりにも不意を衝く口づけに、キアラは動揺したが、それ以上に問題なのは、行為の意味。
今のは“きみに指輪を贈りたい”そんな意味を持つ、求婚に等しい行為だ。
なぜ今の流れでこうなったのかは分からないが、口づけを贈られた事実に、キアラは頬を染めるどころか青ざめると、かすかに震える声で呟いた。
「……陛下」
「答えは今でなくて構わない」
「……」
「これから共に日々を過ごす中で、お前の答えを聞かせてほしい」
そう言って、力強く自らの意思を紡ぐレイルに、キアラはそれ以上反論できず、ほんのわずかに頷いた。
見知らぬ養女に対し、陛下が心を動かすことはきっとない。
(どうしてこんな……。私は、この国となんて関わりたくないのに……)
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