第2話 国王レイル・グリフォート

(陛下との対面。とても億劫だわ……)


 陛下の妃候補として彼の側仕えをするため、王宮へとやって来たキアラは、鉛のように重たい足を引きりながら、陛下がいると言う部屋を目指し歩いていた。

 彼女の前には、同じ目的で選ばれた五人の少女が並び、皆、陛下との対面を心待ちにしている様子だ。


(お会いするのは九年ぶり、かしら……)

 そんな彼女たちを見るともなしに見つめていたキアラは、これから対面する彼について、心の中で呟いた。

 実のところ、キアラは昔、彼と会ったことがあるのだ。

 あれはまだ、彼女が王女として生きていたころ。

 ヨーロッパの一大組織である欧州国際連盟のパーティで出会い、それから数年後の同盟国の親睦会でも少し言葉を交わした。子供ながらに王家としての矜持を胸に抱く彼は、囂々ごうごうと爆ぜる業火のような赤い髪をした、力強くもあでやかな少年だったことを憶えている。

(懐かしいわね。あのときは、この国とも良い関係を続けていけると…そう思っていたのだけれど……。それに、もしかしたら――)


 ふと過去に想いを馳せながら廊下を進んだキアラは、しばらくして目的の部屋に到着すると、従者に促されるがまま室内へと足を踏み入れた。

 朝日が降り注ぐ室内には、年月を経て、さらに美しく、艶やかな青年へと成長した若き国王、レイル・グリフォートが佇んでいて、彼は切れ長の金の瞳で、まっすぐに妃候補に選ばれた六人の少女を見つめている。

「よく来たお前たち。……ドラーグス、これで全員だな?」

「はい、レイル様」

 すると、彼の一挙手一投足にざわめくご令嬢方を前に、レイルは一言だけ告げると、おもむろに従者を仰ぎ見て言った。

 囲まれ慣れているとでも言うべきか、彼は自身の妃候補を前にしても平静を崩す様子はない。


(……そういえば、陛下はどうして自国から妃を選ぶことにしたのかしら?)

 と、何かを確認するように、従者と話す彼の声をなんとなく聞きながら、隅に隠れるようにして立っていたキアラは、不意に心の中でひとりごちた。

 欧州屈指の美青年と名高いレイルは、見た目もることながら、落ち着いた物腰と紳士的な態度も併せ持つ、非の打ちどころのない青年として、ご令嬢方から絶大な人気を誇っている。きっと、国内だけでなく、国外からも山のように縁談が来ていたことだろう。

 それに、王族の婚姻はそれだけで政治的にも影響は大きく、同盟国や牽制けんせいし合う国々との駆け引きとして、国外から妃を迎えると言うのは常套手段だ。

 いくらこの国が欧州屈指の大国とはいえ、他国の姫君を妃に迎えるという考えはなかったのだろうか。


(いえ、きっとえてね……)

 だが、そこまで思案した後で、キアラはすぐに自分の考えを否定すると、再度ひとりごちた。

 先程も言ったように、王族の婚姻には大きな影響力がある。

 だからこそ、美しい陛下がどこか一国の、たった一人の姫君を妃に選んでしまったら、選ばれなかった国々はどう思うだろう。下手したら嫉妬を買いかねない状況を避けるため、敢えて自国の貴族から選ぼうという判断には納得だが、美しい陛下というのも難儀なものだ。

 もっとも、そのせいで今ここにいるキアラに同情はなかったが、少女たちの後ろに隠れるようにして考えにふけっていた彼女は、そっと陛下に目を遣った。


「……!」

 と、次の瞬間。

 ちょうど話が終わったところだったのか、こちらを向いた彼と目が合ってしまった…気がした。

 気のせいだと思いたい。


「……」

 ゆっっくり視線を逸らしながら、突然の出来事に息を詰まらせたキアラは、

「では皆様、順番に自己紹介を……」なんて従者が言い出したことにも気付かず、ただただ表情を引きつらせていた。

 正直、今の接触があまりに唐突過ぎて、何かに反応している余裕はない。だけど、どうか、今の出来事が気のせいで済みますように……。


「そこの娘よ」

 嫌な意味で心臓を高鳴らせるキアラの一方、従者の言葉を「大体知り得ているから」と遮ったレイルは、徐に足を進めると、少女たちの奥にいた彼女の前で足を止めた。

 そして、ローズピンクの瞳でまっすぐにこちらを見上げる彼女に、そっと声を掛ける。

「見かけない娘だ。名は?」

「……キアラ・フェルセディアと申します」

「フェルセディア伯の娘か?」

「いいえ、伯のことは存じ上げません。わたくしは先の戦のころ、夫人に拾われた養女でございます」

 彼の問いかけに、キアラは心を無にして一礼すると、優美な仕草とともに淡々答えた。

 うっかり目が合ってしまったせいか、気まぐれかは分からないけれど、一刻も早くこの状況を脱したい。「養女」と聞けば、多くの貴族がそうであるように、彼も興味を失くすだろう。

 だから……。


「そうか……」

 早急にレイルの興味を削ぐため、キアラが考えを巡らせていると、彼女を見つめていた陛下はやけに重たい調子で呟いた。

 その表情は悲痛に彩られ、とても苦しげに見える。

「……?」

 まるで、心の底から後悔している何かに出遭ってしまったかのような謎の表情に、キアラは思わず視線を上げると、それ以上どうして良いか分からず黙り込んだ。

 最初は、養女に声を掛けてしまったことを後悔しているのかとも思ったが、彼の様子は身分違いを憤っているようには全く見えない。だが、そうすると、苦悶に満ちた表情の意味が分からなくて……。


「――ではお前を私の妃にしてやろう。それが私の、だ」


 理解できない現状に不審感を募らせたまま瞳を揺らしていると、しばらくして彼は、苦しげな表情でその言葉を絞り出した。


 それはあまりにも唐突で、突拍子のない告白。

 予想外の言葉に、キアラは目を丸くすると、

(……セキム?)

 思わず、意味を理解できないと言った顔で、瞬きを繰り返した。

 キアラの耳がおかしくなければ、彼は今、キアラを妃にする、それがだと言った。しかし、キアラとは初対面の彼に、一体何の責務があると言うのだろう?


(私が、養女だから?)

 最初に思い浮かんだのはそんな理由だったが、養女であることに対し、陛下が責務を感じると言うのは意味が解らない。

(……なら…もしかして、気付かれ…た?)

 そう思って意見を却下したキアラが次に行きついたのは、自身のこと。

 王女時代、キアラは二度、彼と会ったことがある。

 どちらも長い時間を共にしたわけではないし、そもそもあの戦で「王女」は行方不明ののち死んだと認識されていたはずだ。

 戦のころ拾われたという理由から、彼女が主戦場だったエイビット王国の出身である可能性に行きついても、キアラ自身の正体に気付くわけ……。

(でも、本当にそうだったらどうしましょう……)


「あ、あの……」

「ちょっと、レイル様! いつまでそんな物珍しい子に構ってるのよお!」

「……!」

 告白の意味も分からないまま、心の奥底にあるアイビア王家への拒絶を胸に口を開くと、それに被せるようにしてふと横から甲高い少女の声が飛んできた。

 驚いてそちらに視線を向けると、数名が怖い表情でキアラを見ている。

 どうやら、一刻も早く陛下とお近付きになりたい他の候補者たちが、しびれを切らし始めたようだ。

「……スセリア」

「やっとお話しできそうね、レイル様。その子が伯爵家の、しかも養女の分際で王宮ここに来れた度胸に驚嘆するのは分かるけど、揶揄からかうのは十分じゃなくって?」

 紅茶色の髪を複雑に編み込み、碧の瞳に熱を込める少女に、レイルはひとつ間を置くと、彼女の名を呟いた。

 スセリア様は確か、レッグラント公爵家の令嬢で、陛下のはとこでもある幼馴染みだ。彼女との会話が始まれば、きっとレイルの意識はそちらへ向くだろう。

 今のやり取りがうやむやになることを期待したキアラは、優雅な仕草ですっと身を引くような辞儀をすると、先の会話を待った。


「……ふむ。私は冗談を言ったつもりはないのだが……まあよい。しかし、そろそろ公務に向かわねばならぬ故、お前たち一人ひとりと話している時間はなさそうだ」

 すると、そんな彼女たちの姿に、レイルは思案をすると傍を離れながら言った。

 さっきの言葉が何かの気まぐれだとしても、妃を決めるための催しに、彼自身あまり積極的ではないように見えるのは気のせいだろうか?

 だが、王家の名で集めた責任か、紳士としての矜持か、城の案内を従者に指示したレイルは、徐に少女たちに笑いかけると、決して邪険にしているわけではないと付け足すように、

「その代り、今宵は歓迎として宴席を設けようではないか。お前たちとの会話はそのときまで取って置こう。楽しみにしているよ」

『……!』

 そう言って妖艶な笑みを浮かべる彼に、少女たちは頬を染めるとざわめいた。

 彼女たちは本当に心から陛下を慕っていて、純粋に妃になりたいと望んでいるのだろう。養母ははのためだけにやって来た自分とは大違いだ。

 彼女たちの姿に改めてそれを実感したキアラは、陛下の気まぐれがこれ以上自分に向かないことを願いながら、一先ひとまずこの場を切り抜けたことにこっそりと胸をなでおろした。


 滞在時間はほんの数十分。

 だけどその内容は不可解な言葉に彩られていて……。


(……あの告白は一体、何だったのかしら……?)


 謎と拒絶と戸惑いと、あとよく分からない何か。

 関わりたくないと願っていた王族との対面を終えたキアラの側仕え生活は、まだ始まったばかりだ。

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