第1話 予期せぬ転機

「お、王宮で陛下の側仕え……? 私が、ですか?」


 ゆったりと春の空気が流れる、暖かな昼下がり。

 地中海に面した欧州の大国・アイビア王国は、今日も活気に満ちていた。

 王都のあちこちで商人たちの掛け声や、子供たちの笑い声が上がり、人々は平和なときを過ごしている。


 そんなアイビア王国の王都・ビルス郊外に建つフェルセディア伯爵家の屋敷では、養女となったキアラが養母ははから意外な話を聞かされていた。

「そうなのよ。先月、前の国王がお亡くなりになって、王太子だったレイル様が即位されたでしょう? まだお若い方で、確か今年で二十一歳になるとか……。まだご結婚はされていないから、妃選びの一環として、王国で評判の娘たちを集め、側仕えとして一緒に過ごさせることを大臣たちがお決めになったらしいわ」

「……そ、そのうちの一人が私ということですか、お養母かあ様」

 白を基調としたリビングでティータイムを楽しむ夫人から出された話題に、キアラは力なくソファに座り込むと、綺麗なローズピンクの瞳を瞬かせ、少しばかり震える声で問い返した。

 その表情は衝撃に凍りつき、それだけで彼女のショックの大きさが見て取れる。

「ええ。養母かあ様はとっても鼻が高いわ。うちのかわいい養女むすめが王宮に招かれるなんて」

「……」

 しかし、花模様のクッションを抱えて動揺するキアラの一方、夫人は、王家の紋章印が入った手紙を見つめると、嬉しそうに目じりを下げて微笑んだ。

 出会って八年、大切に育ててきた養女むすめが、王宮に招かれるほど評判のいい娘として成長してくれたことを、心から誇りに思っているようだ。


(……ど、どうしましょう……。王宮へだなんて、そんな……)

 だが、養母ははとは違い、キアラは自身に舞い込んできた衝撃的な話に黙り込むと、困ったように俯いた。

 養母ははは知らないことだけれど、その王家は、かつて自分の国を、家族を、すべてを奪った者たちだ。関わりたくはない。


「……あぁ、とは言っても、このお話は強制的な招集ではないから安心なさい。少しでもその気のある者は明後日の王家主催の舞踏会でその意を示すように、って書いてあるわね。だから、キアラちゃんがもし……」

 朝日のように煌めく長い金の髪を、ショックと恐怖に揺らして黙り込むキアラに、夫人は少し間を開けた後で、慌てたように付け足した。

 養母ははとしても家としても、王家からのお声掛けは喜ばしいことだけれど、当の本人が喜んでいないなら、無理はさせたくはないと思っているようだ。

「……お養母かあ様は、私が陛下の側仕えになると嬉しいですか?」

 そんな養母ははの気遣いに、キアラは自分が散々黙り込んでいたことに気付くと、気を取り直したように問いかけた。

 養母ははは自分の正体も、身分も聞かずに養女にしてくれた優しい人だ。この人が望むなら、たとえ、それがどんな屈辱であろうと、応えたかった。

「毎日こうして、一緒にお茶を楽しんだり、お話したり出来なくなってしまいますが、陛下の妃候補になれたら、嬉しいですか……?」

「え、ええ。それはもちろん。でもね、無理強いはさせたくないの。養母かあ様はキアラちゃんに幸せになってほしいからね」

「……」

(お養母かあ様が喜んでくださる、なら、応えたい……。でも、でも……)

 滲みそうになる不安もショックも恐怖も、すべてを表情の下に押し込み、養母ははの意思を確かめたキアラは、しばらく間を開けた後で頷いた。そして、決して本心は出さないよう、ポーカーフェイスを装った笑顔で答えを出す。


「……分かりました。お養母かあ様。私、(断固拒……いえ)王宮へ参りますわ。私などに側仕えが務まるか不安もありますが、挑戦もせず諦めるなんて、陛下に失礼ですもの(本当は断固拒否)」

 表面上はかわいらしい笑顔で答える彼女の言葉と心情は、見事なほどに真逆だった。

 自分で肯定的な発言をしておきながら心の中では断固拒否という、ある意味器用な回答に、キアラは一瞬、心の声が出ていないか、不安になった顔で養母ははを見遣る。

「ふふ、嬉しいわ、キアラちゃん」

 だが、彼女の心配は杞憂に終わったようだ。

 その証拠に、満面の笑みを見せた夫人は、誇らしげに胸を張って言った。

「流石、私の自慢の養女むすめ。そうと決まれば早速、舞踏会への準備をしましょう」

「……(断固拒否)」



 数日後。

 心の中の断固拒否とは裏腹に、しっかり側仕えとしての意を示してしまったキアラは、この日、国王陛下と対面するため、王都の中心に建つ王宮へと出向いていた。

 流石、欧州屈指の大国だけあって、アイビアの王宮は美しく、洗練された風格が漂っている。

 もっとも、そんなものには目もくれず、内部へと足を踏み入れたキアラは、王宮独特の雰囲気をどこか懐かしく思いながら、待機室だという一室に通された。中には公爵家のご令嬢をはじめ、錚々そうそうたる顔触れが揃っているようだ。


(……流石、王家がお声掛けしただけあって、どのご令嬢も有名な方ばかりね。目立たないように隠れておきましょう)

 淑女らしく丁寧な辞儀をし、ご令嬢方に目を遣ったキアラは、端の方に身を寄せると、思わず心の中でひとりごちた。室内にいるのはいずれも社交界で名を馳せる公侯こうこうの娘たちで、自宅主催時以外は社交界に出ないようなキアラとは大違い。

 入出した途端蔑むような幾つかの視線然り、早くも王宮ここへ来た選択を後悔しそうだ。


「ようこそ、皆様」

 だが、これも養母ははのためと心を無にしてじっとしていると、しばらくして、黒髪をオールバックにした壮年の男が現れた。

 男は、室内に招いた六人の少女たちが揃っていることを確認すると、恭しい仕草でって一礼し、改めて今回の件の説明を始める。

「この度は、陛下の側仕えとしてお越し頂いたこと、心より感謝申し上げます。わたくしは陛下幼少のみぎりより従者をしております、ドラーグスと申します。皆様にはこれより、陛下と対面していただき、約半年間、側仕えとして王宮でお過ごしいただくことになります。もし、何かご不明点がございましたら、何なりとわたくしにお申し付けくださいませ」

 ドラーグスと名乗ったその従者は、少女一人ひとりを見つめると、細面の顔に笑みを浮かべ、柔らかい口調で説明を続けた。

 まるで、少女たちを安心させるような穏やかな笑みに、キアラは一瞬、現状を忘れて話に耳を傾けたが、陛下の元へ案内するという彼の言葉を聞くと、途端に表情を硬くした。

 そして、浮足立つ少女たちをよそに、心の中で葛藤を始める。


(……陛下と対面…あぁ、断固拒否したいわ)

「さて皆様、どうぞこちらへ」

(いいえ、でも……)

 逃げ出したくなる心を抑え込むように一度目を閉じたキアラは、自分を落ち着かせるべく、大きく息を吐いた。

 これが側仕え生活の幕開けで、今日は陛下と対面するために王宮ここへ来たというのに、足が鉛みたいに重たくて動かない。正直に言えば、陛下になんて会いたくない気持ちが、小さな体を縛り付けているようだ。

(でも、でも…これはお養母かあ様のため……。頑張るのよ、キアラ……!)


 沈黙の末、従者について我先にと部屋を出て行く少女たちを見遣ったキアラは、覚悟を決めると、一番後ろをゆっくりと追って行った。

 そして、美しい絵画や彫刻が飾られた廊下を通り過ぎ、ついに陛下がいるという部屋の前に辿り着く。


「レイル様、側仕えの皆様をお連れしました。失礼してもよろしいでしょうか」

「……ああ、入れ」

 慣れた手つきで従者が扉をノックすると、間を置かずして、中から低く澄んだ美しい声が聞こえてきた。

 何も知らなければ、聞く人を魅了するような、とても綺麗な声。

(これが、私の家族を奪ったアイビア王国の、現国王の声……)

 だが、一方で彼の声を耳にした途端、キアラを襲ったのは、緊張と、嫌悪と、よく分からない不安だった。

 妃候補として側仕えに来たのは自分なのに、もう本当に、断固拒否したくてたまらない。

 陛下との対面に、早くも黄色い声を上げる少女たちとは裏腹に、逃げ出すのをやっとのことでこらえたキアラは、従者に促されるまま、ゆっくりと室内に足を踏み入れた。中には陽光が燦々さんさんと降り注ぎ、思わず目を細めたくなるほど、眩しい。


「……!」


 そんな光に彩られた、広い部屋の中央付近。

 朝日を背に受け、やって来た少女たちを見つめていたのは、業火のような赤い髪に、切れ長の金の瞳をした、野性的で美しい顔立ちの青年――レイル・グリフォート。



 ――この若き国王との出逢いが、キアラの過去と現在を巡る災難の始まりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る