旅する本屋【KAC2023 お題 本屋】

空草 うつを

異世界より

 約7万冊。

 この数字は、1年間で出版される本の数だ。

 その中で、私達が出会える本はほんの一部。きっと埋もれてしまっているけれど実は名作、という本もたくさんある。

 そういった隠れた名作を本屋を巡って探すのが楽しみでもあった。まだ出会ったことのない、まだ誰も読んだことのない、素敵な物語を。



 本屋だった建物の入り口に張り出されていたのは『閉店』の文字。

 ネットでも簡単に小説が読めるようになった今、紙媒体は虫の息なのかもしれない。本を買うにしても、ネットで注文すればすぐに届くのでわざわざ本屋に行かずとも良い。

 それでも私が本屋にこだわるのは、新たな本との出会いがあるから。本棚に並べられた本達を眺めながら、表紙のデザインや店員自筆の推薦ポップを見て、面白そうだと思った本を自由に手に取れる。

 それに、ふと視線を感じて振り返った場所にあった本に惹きつけられる不思議な体験をしたこともあって、大抵そうやって出会った本は面白かったりするからやめられない。

 閉店の文字に落胆し、心の中で残念だと呟いた時。


「残念ですねぇ」


 隣から男性の声がして思わず「ひいっ」と短い悲鳴をあげてしまった。隣にいたのは、燕尾服を着た黒髪の痩身の男。私に向かって、深く一礼してくる。


「失敬。驚かせるつもりはなかったのですが。僕を呼んだのはあなたでしたか」

「……呼ぶ? そんな覚えはないですし、あなた誰ですか?」

「名前は特に決めていません。適当に決めてもらっていいですよ。まあ、よく呼ばれるのは、ツバクラメですが」


 燕尾服着てるので、と言いながら後ろの長い裾を持ってひらひらとなびかせ、みせつけてくる。

 ナンパはお断り、と睨みつけて去ろうとすると、ツバクラメと名乗った男がひらりと軽い足取りで私の前に躍り出た。


「まあまあ、そんな怖い顔しないでくださいよ」


 ツバクラメの手には、片手に収まるサイズの寄木細工の箱があった。


「探しているんですよね? 隠れた名作を。まだ出会ったことのない、まだ誰も読んだことのない、素敵な物語を」


 何故それを彼が知っているのかとツバクラメを見れば、にやり、と不敵な笑みを浮かべていた。


「探し物はこの木の箱の中にあります」


 ツバクラメが人差し指を箱の上に持って来ると、鍵を開ける仕草をした。

 すると、寄木細工の模様がひとりでに動きだした。手のひらサイズだった箱は、あれよあれよという間に私の背丈ほどの本棚に姿を変えていく。

 本棚にはびっしりと本が並べられている。ざっと見ただけでも100冊はあるだろう。

 これだけの本を収納するスペースが、あの小さな箱のどこにあったのだろうと、訳もわからず唖然としてしまった。


「これは、魔法ですか?」

「初めて見ましたか? そうですか、では魔法は存在しないのですね」


 ツバクラメの言葉に、思考が止まる。


「魔法が、使える世界があるんですか?」

「ええ。むしろ、魔法が使えない世界の方が少数派ですけど」


 本当は魔法の使える云々の話も聞きたかったのだが、ツバクラメが両手を叩いて話を本筋に戻した。


「さてさて。今日のラインナップは、あなたがお探しの本ばかり。どれでもお好きなものを一冊だけ差し上げますが、その際にあなたのとびきりの一冊と交換していただきます」


 この本棚にあるのは誰も知らない埋もれてしまった物語だけなのだと思うと、胸が異常に高鳴っていく。


「あなたが求めていたのは、まだ出会ったことのない、まだ誰も読んだことのない素敵な物語、でしたよね?」


 例えばこれとか、とツバクラメが差し出したのは、重厚な表紙の異国の本。一見したら何語かは判別できない。


「全く読めないんですが……?」

「ええ、読めないと思いますよ。なにしろ失われた文字で書かれていますから」

「確かにまだ誰も読んだことのないものですが、私が読めないんじゃ意味ないじゃないですか!」


 肩を落としていると、ツバクラメは次の本を取り出した。


「それではこれはいかがでしょう? この国の公用語の……日本語で書かれているので読みやすいかと思います」


 青い表紙に書かれていたのは異国語のタイトルだったが、その下に小さく日本語で『とある漂流者の異世界放浪記』と書かれていた。パラパラ、とページをめくり、あらかた内容を理解して顔を上げた。


「異世界転生の本ですか?」

「ただの異世界転生の本ではありません。これは、実際に異世界に転生した方の自伝です」

「自伝ってどういう……異世界に転生した人に、会ったということ?」

「僕は旅する本屋。どうしても読みたい本がある人のもとへ、その人が求める本を本棚に積んでかけつけます。世界にもの世界にも、呼ばれたらすぐに」


 世界はひとつではない、この世界とは別の世界が確実に存在しているのだとツバクラメは説明した。

 小さい箱が本棚に変化した魔法を見せられた今、魔法が使える世界線があってもおかしくないのではと思う一方で。そうであってほしいとどこかで願う私もいた。


「……この本、読んでみたいです。異世界に本当に転生した人の物語。事実は小説より奇なり、という言葉があると思いますが、きっと想像で書いたもの以上に奇想天外な物語がありそうな気がします。それに、日本語ですし」


 ツバクラメは満足そうに頷くと、片手を伸ばしてきた。


「では、先ほども言った通り、あなたの特別な一冊をこちらにお渡しください。ここにある本はありとあらゆる世界から集められたものですが、本と本を交換することによって、また新たな本棚が作られます。あなたが面白い、楽しいと思った本が、別の世界に住む顔も知らない人を楽しませるなんて、なんだか素敵な話ではないですか?」


 本を読むことで、頭の中でいろんな世界を冒険できる。知らない世界の話なら尚更、ページを捲る手が止まらずに胸が躍って仕方がない。それはきっと、他の世界の人も同じはずだ。

 ずっと肌身離さず鞄に入れていた、思い入れのある本を差し出した。

 源氏物語。長編小説としては世界最古とも言われている、私が物語にのめり込むきっかけになったお話。


「ほお、これは実に興味深い。早速、こちらを本棚に納めさせていただきます」


 ツバクラメと別れると、私は近くのベンチに座って本に顔を埋めた。かすかに、異国のスパイスの香りが漂ってくる。


「これこれ、紙媒体はこれが良いのよ」


 ネットでは味わえない、五感を使った読書。胸の高鳴りはそのままに、私は本を開いた。



###



 女性を見送った後、僕は彼女から受け取った本を本棚にしまった。本棚をまた小さな箱の姿に戻して胸ポケットに突っ込むと、南西から風が吹き込んでくる。

 風は僕の耳元で、本を探している人がいて、その人が求めている物語がどんなものなのかをこっそり教えてくれる。


「次はそちらの世界からお呼び出しですか」


 ここは魔法の使えない人々が暮らす世界なのだと、先ほどの女性の反応から察したので、周囲に誰もいないのを確認してから服の後ろの裾を大きく広げた。


 皆が燕尾服だと思っているのは、実は僕の背中に生えた燕の翼。

 魔法の使えない国でも、獣人のいない国でも、こうして燕尾服のふりをしていれば不審がられることはない。

 肩慣らしにその場で翼をはためかせてから、地面を蹴って大空へ飛び立った。

 僕は、旅する本屋のツバクラメ。本を求める人あれば、例えどんな世界でも迷わず飛んで駆けつける。

 さあて、あなたはどんな本をお求めかな。



(おわり)

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