第20話 先に進め

 立っていたのは当然だが幸太ではなかった。

 顔を向ければそこにいたのは、地下足袋に赤いニッカポッカを履いて、眉毛を剃った顔に人懐こい笑みを浮かべている高木がいた。


「兄貴!」


 大吉は落胆する気持ちを抑えられず、かと言って邪険にするのも気が引けた。壁に寄りかかったままに胡乱な目を向け、投げやりに問いかける。


「お前、何してんねん」

「いやぁ、兄貴が忘れ物したから届けにきました」

「忘れ物?」

「愛チャンがくれた招待券っす。はいこれ」


 高木が差し出したのは、聖フェリシア女学院の学園祭招待券である。大吉が受け取らずにじっと見つめていると、高木は大吉に一歩近づき、ズボンのポケットに無理やり招待券をねじ込んだ。


「俺、ずっと思ってたんすけど、兄貴って実はスッゲーアツい人っすよね」

「何でやねん。そんな訳ないやろ」

「だってそうじゃなかったら、駅で俺に絡まれる愛チャンを助けたりしないっしょ」

「…………」

「俺、兄貴のこと尊敬してるっす!」

「お前俺に鼻火傷させられたの忘れたんか」

「それも含めて、尊敬してるっす!」

「何でやねん。お前ホンマもんのアホやな」


 大吉の暴言に高木は「へへへ!」と笑った。その笑顔を見ていると、意地張っているのがアホらしくなった。

 脱力し、壁に背中を預けて天井を向き、大きくため息をついた。無機質な鉄筋コンクリートの天井は、何の面白味もなかった。

 あの時、高木に絡まれる江藤を助けた時から、自分の気持ちというものをわかっていたのだ。

 本当に関わりたくなければ知らんぷりするべきだった。しかしできなかった。

 東京の片隅に、時代に抗うようにして存在している小さな喫茶店。静かな店内にはなぜか縞猫の店員がいて、「なんじゃワレェ」が口癖の変な老人がいて、常時胃が痛そうなサラリーマンがいて、妙に人懐っこいチンピラがいて、そして大吉と同じく上京して居場所がない江藤がいた。

 皆、この大都会に疲れて癒しを求めて喫茶店にやってきた常連客たちだ。

 江藤愛の「友達になってください」というセリフをきっかけにして奇妙な連帯感が生まれた常連たちを、大吉は嫌いではなかった。

 だからこそ江藤を助けたのだろう。


「兄貴」

「何や」

「学園祭にストーカーが出たら大変っすよ」

「せやな」

「俺たちで、止めましょうよ」


 大吉は高木を見た。いつもアホ面でアホなことばっかり言っている高木が真剣な表情をしていた。


「学園祭、成功させてやりたいじゃないっすか」


 久しく忘れていた感覚が胸の中にやって来る。何かに真剣に全力に打ち込む江藤の姿は、紛れもなくかつての自分と重なって見えて、だからこそ。


(守りたい。成功させてやりたい) 


 大都会東京で一歩を踏み出し、居場所を作りつつある江藤の笑顔を守りたい。

 だから大吉は短く答えるのだ。


「せやな」

「っしゃあ!!」


 高木が東京駅構内の無機質な天井に向かって大きくガッツポーズをした。


「じゃあ、そうと決まれば作戦会議っすね! 何しましょう!? 俺と兄貴の二人なら、どんな犯人だって捕まえられますよ!!」

「お前はホンマにアホやな」


 この短いやり取りの中で、何度口にしたかわからない「アホ」という単語を再び口にした。高木によってねじ込まれた招待券を見ながら、高木にわかるように説明をする。


「こんなもん、学校と警察に相談すりゃあそれで解決やろ。招待券見ろ、江藤さんの名前入っとる。多分、受付で券を渡すんや。なら、江藤さんが自分で招待していないのにやって来た奴、そいつこそが犯人や。受付で一発でバレんで」

「まさかの俺らの出番ナシ!?」


 犯人を自分で確保する気満々だった高木は、そりゃあもう凄まじい勢いでショックを受けていた。

 高木のオーバーアクションがあまりにもアホらしすぎて笑えた。大吉は我慢できなくなりぷっと吹き出し、そのまま腹を抱えて大笑いした。心の底から笑ったのはいつぶりだろうか。

 幸太の代わりに現れたのが、このチンピラ高木というのは解せないが、大吉を慕ってくれているのは確かだ。ならば。 

 ――そろそろ先に進んでもええんかな。

 心の中で問いかける。きっと幸太はこう答えるはずだ。


『ええに決まってるやろ! ったく、いつまでウジウジしてるつもりや』


 出会った時の健康的な幸太の弾けるような笑顔が、脳裏に浮かんだ。

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