第16話 常連と平社員とシナモンコーヒー①

「暑い」

「暑いっすねぇ」

「高木、お前、なんでしょっちゅうここに来るんだ? 仕事はどうした」

「今日は非番なんす」

「なら家にでもいろよ」

「俺は兄貴の舎弟なんで、休みの日には兄貴に会いに来るのが筋ってもんでしょう!」

「…………」


 大吉は隣を当然のように歩く高木に白い目を向けたが、高木は全く気にしていなさそうだった。

 大阪から上京して一人暮らしの大吉は、定期券を利用して大学がない日でもしょっちゅう日本橋にやってきては喫茶店でタバコをふかしている。

 それを知っている高木は、仕事終わりや仕事休みの日でもせっせと大吉に会いに日本橋まで来ているらしい。ご苦労なことだ。勝手に舎弟気取りの高木はばったり東京駅で出くわした大吉について喫茶店までの道のりを歩いていた。


「駅で張っていてよかったっす!」


 訂正。ばったり出くわした訳ではなく、待ち伏せされていたらしい。


「ストーカーかよ」


 思わず大吉は高木にツッコミをいれたが、高木は「へへへ!」と笑うばかりで全く気にしていなさそうである。


「ストーカーといえば、こないだ愛チャンと珪華チャンのこと後ろからつけてた奴、何なんすかね」

「さあな。五ツ宮さんの方は気づいてるっぽかったけど」

「やばい奴じゃないといいんすけどね」


 言いながら二人は喫茶店のあるれんげ通りに入るために通りを曲がった。


「あ。噂をすれば珪華チャン」


 曲がった途端にばったりと五ツ宮珪華に出くわす。夏休みだというのに今日も制服姿である珪華は、何やらスーツを着た若いビジネスマンと押し問答を繰り広げている様子だった。


「いいから、草太さん。受け取って下さいませ」

「いや、でも、ご両親に反対されてるんだろう」

「でも、わたくしは草太さんに来て欲しいんです」


 珪華はぐいぐいとビジネスマンの胸元に紙切れを押し付け、ビジネスマンはそれを拒もうとしている。


「わたくしは草太さんと一緒に学園祭をまわりたいんです!」

「五ツ宮さん、気持ちは嬉しいけど君と僕とじゃあやっぱり住む世界が違うよ」

「草太さんまでそんなこと言うのね!」


 珪華はショックを受けたように立ち尽くし、大きな瞳を涙で潤ませた。


「どうしてそんな酷いこと言うの? 何がそんなにいけないの? わたくしが、五ツ宮グループの娘だから? もっと普通の生まれだったらよかったの?」

「違う、君を責めている訳じゃ……」

「……草太さんのばか! もう知りませんわ!!」

「あっ、待ってくれ!」


 ビジネスマンこと草太の呼びかけも虚しく、涙を流しながら珪華は走り去っていく。草太は後を追ったが、珪華は永代通りで待っていたセンチュリーに乗り込むと、さっさと行ってしまった。

 がくりと肩を落とす草太。

 その背後から一人の男が忍び寄り、がっしりと肩を掴んだ。


「よーお、草太クン? ちょっとツラかしてくんねーかな」

「ひっ」


 眉毛を全て剃り上げ、白に近い金髪をし、地下足袋に赤いニッカポッカを履いた男に絡まれた草太は小さく悲鳴をあげて周囲を見回した。しかし日本橋という土地に不似合いな格好をした、明らかにやばそうな外見の高木に絡まれている草太を助け出そうなんて考える人間はこの街にいない。


「はいはいはーい! 大吉の兄貴、連れが一人増えたぜー」

「そのリーマン嫌がってんだろうが。放っておけよ」


 ご機嫌な顔で草太の肩を掴んで離さない高木を見て、大吉は苦言を呈した。


「えー? でもなんか面白そうだから、話くらい聞いてやりましょうよ!」

「完全に余計なお世話だろ」

「そうっすかね」


 大吉のことを兄貴と呼ぶ割に、高木は全く大吉の言うことを聞こうとしない。

 呆れた大吉は、しかし一刻も早くタバコが吸いたかったため、連れが増えたことは気にしないようにして足早にいつもの喫茶店へと向かった。

 からんからん、とベルの音がして扉が開くと、奥からいつものように縞猫の須崎が出てきて迎え入れてくれた。


「いらっしゃいませ」

「えっ、ねこ!?」

「須崎さん、今日は三人ね!」

「はい、お好きなお席にどうぞ」

「いやっ、なんで喋って歩いて接客してるんだ!?」

「いいからいいから」


 高木に指がめり込む勢いで肩を掴まれ続けている草太は、半ば無理やり喫茶店のテーブルの一つに座らされ、逃げないように真横に高木が座った。元チンピラの考えることはよくわからんと思いながら大吉も座ると、早速ポケットからマタバコの箱とライターを取り出し、着火して、灰皿を引き寄せる。


「……えぇ〜、今時分煙されてないんだ……」


 草太が驚いたようにボソッと呟いた。


「ご注文は?」水を置いた須崎が問いかけてくる。

「冷コー」「チョコパフェ!」

「ほらほら、草太クンもなんか注文しなよ」

「……シナモンコーヒー」


 大吉と高木が即答し、草太はメニュー表をぐいぐいと高木に押し付けられ、渋々注文をした。

 草太は須崎が前足で器用に伝票に注文を書き付けるのを見て、それから店の奥に去っていく須崎を凝視していた。

 諸々の疑問が頭の中で渦巻いているのが手に取るようにわかる。大吉は補足説明をしてあげた。


「あの人は店員の須崎さん。漢字は『必須事項』の須に山へんの崎ね」

「はぁ、その前になんでねこが人間のように接客しているのかをお尋ねしたいのですが」


 これに対して大吉は何も答えなかった。


「お待たせいたしました、冷コーとチョコレートパフェとシナモンコーヒーです」


 しばらくしてから運ばれてくる注文の品々。大吉は灰皿に吸いかけのタバコを置くと、アイスコーヒーを一口飲んだ。きちんとドリップしたコーヒーは冷やしていてもなお香りを失っていない。苦味の強いタイプのコーヒーを大吉は味わった。ここのコーヒーは美味い。新世界で飲んでいたものを思い出す。通天閣のお膝元にある大阪のディープスポット新世界は、喫茶店の宝庫である。


「で、草太クンと珪華チャンはぁ、どんな関係なの?」


 チョコレートパフェをパクついていた高木が、野次馬根性丸出しで質問した。


「はぁ……その前にお二人は五ツ宮さんとどういった関係なんですか」


 シナモンスティックでホットコーヒーをかき回しながら、草太は疑り深い目つきで逆に問いかけてきた。ニッキに似た独特の香りがタバコの匂いをすり抜けて大吉の鼻を突く。さもありなん。どう考えても怪しげな高木に、ベラベラ個人情報を喋る奴はいないだろう。しかも相手は五ツ宮グループの娘、五ツ宮珪華である。下手を打てば五ツ宮グループに睨まれかねない。


「俺と珪華チャンはぁ、この喫茶店で知り合った常連同士ってやつ。なっ、大吉の兄貴」


 大吉は高木の問いかけに応じず、タバコを手に取り一服した。草太はそんな大吉を見て、ますます疑わしげに目を細めた。


「五ツ宮さんがこんなうらぶれた喫茶店に来るなんて信じられない。失礼します」

「あーっと、待てよぉ草太クン」

「放せ。殴られようとも、僕は何も話さないぞ」


 草太は運ばれてきたばかりのシナモンコーヒーをかき回すだけかき回してから、全く口をつけずに席を立とうとした。妙に馴れ馴れしい態度の高木が両肩に指を食い込ませても、決然とした態度だった。


「これ以上引き止めるというなら、警察を呼ぶ」

「おぉ、怖っ。俺はただのゼンリョーな市民だよ、ネッ、大吉の兄貴」

「ふぅー」

「君はタバコ吸うペース早すぎじゃないか?」


 早くも二本目を吸い始めた大吉に草太がそんなツッコミを入れてきたが、お構いなしだった。


「とにかく僕は帰る」

「帰すと思うか、あぁ?」


 だんだん苛立ってきた高木が低い声で脅しをかける。猫背になり、わざと低い位置から相手を見上げてメンチを切る動作は非常に堂に入っており、センチュリーで爆走しようとした時同様に、封印されしチンピラの魂がまたも疼き出そうとしているのがありありとわかった。この封印、あっさり解けるなと大吉は思った。高木のチンピラから足を洗おうという意志が脆弱すぎるのだ。


「ちょっと話してくれりゃあいいだけだろうが」

「高木、やめろ」


 大吉は高木を諭した。高木が唇を尖らせた。


「だってよ、兄貴」

「話したくない人間に無理に口を割らせる必要ないだろ」

「では僕はこれで」


 高木の指の力が緩んだ隙に草太が素早く立ち上がり、出入り口に向かった。

 ドアノブに手をかける寸前で、内側に向かって扉が開かれる。からんからんとベルがなり、熱波が押し寄せると共に道路を走る車の音が聞こえた。


「あぁ、暑かった……あ、お帰りですか? すみません」

「愛チャン、その人帰さないで!」


 高木がしめたとばかりに、入店してきたばかりの愛を呼んだ。


「五ツ宮さんのことで話があるから!」

「え、珪華ちゃんの?」


 愛は後ろ手で扉を閉め、扉の前に立ちはだかる。草太は帰るタイミングを失い、その場に立ち尽くし、視線を彷徨わせていた。


「一体なんなんだ、あなたたちは。僕と五ツ宮さんはなんの関係もない。帰らせてくれ」


 草太は必死の声音で訴える。トトトト、と店の奥から出てきた須崎が、前足で草太の足を宥めるように叩いた。


「お客さん、お迷いですね。まずは座って、落ち着いたらどうでしょう?」

「…………」

「さあ、シナモンコーヒーが冷めてしまいますよ」


 須崎の言葉を前に、草太は迷ったように店の面々を見回した。謎の喋るねこ、チンピラ、ヘビースモーカー、そして聖フェリシア女学院の制服を着た素朴な女子高生。

 妙な組み合わせの店の客を前にして、諦めたように席へと戻った。


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