第15話 お嬢様と両親
六本木ヒルズ森タワーの最上階、五十二階。通称東京シティビューは展望室になっている。
ラグジュアリーな空間は東京タワーなどの観光客向けの俗世間めいた場所とは異なる、大人のための空間だ。
この展望室の一角にはレストランが存在している。テーブル同士の間隔は遠く、ゆったりとした空間でアフタヌーンティーやコース料理が頂ける。
爆走するセンチュリーでどうにかこうにか約束の時間に間に合った珪華は今、両親と三人でディナーの真っ最中であった。
親子三人揃うのは久しぶりだった。
何せ父は大手五ツ宮グループの代表取締役社長であり、スケジュールは分刻みでびっしりである。母は母で様々な付き合いがあり、常に方々を飛び回る生活をしている。
同じ家に暮らしていても月に一、二回しか顔を合わせることはなく、こうして全員で食事をするなんていつぶりのことなのか思い出せなかった。
今日の目的は、二つある。
珪華はまず一つ目の目的を果たすべく、学校指定の鞄からチケットを二枚取り出して、テーブルの上に置いた。
細長い真紅のチケットは上質な厚紙でできており、少しざらついている。表面には「聖フェリシア女学院 学園祭招待券」と書かれており、つまりそういうことだ。天下に名高い聖フェリシア女学院の学園祭は招待制だ。生徒一人につき十枚が手渡され、券には生徒の名前が書いてある。もらった方は受付でこの招待券を出してから記名をするので、誰が誰を招待したのかが一目瞭然になるという寸法だった。
偽装防止の加工さえ施された招待券は、一般人や妙な連中が学園内に入らないようにするための必要な措置である。
何せこの学園祭には娘の晴れ姿を見ようと、各界の大物たちがこぞってやってくる。そんなところで事件や事故が起こっては一大事なので、セキュリティはかなり厳しい。
両親は招待券を受け取ると、鞄にしまった。
「珪華のクラスは今年は何をやるのかしら」
母がワイングラスを傾けながら、にこやかに問いかけてくる。
「喫茶店ですわ」
「あら、喫茶店?」
グラスと共に小首を傾げる母の髪が揺れた。年齢を感じさせない母は、巷で「美魔女」と呼ばれているが、シャープな顔つきをしており、可愛らしい顔立ちの珪華にはあまり似ていない。かつてはスーパーモデルとして名を馳せ、パリコレにも出ていたらしい。
「ええ。クラスの子が提案したのですけれど、面白そうなアイデアだったので。それに最近では昭和レトロがブームで、昔懐かしい喫茶店にも脚光が当たっているらしいんですわ」
「確かにそうした話はたまに聞くな。大手の外食チェーンでも、昭和レトロをコンセプトにした店を出そうという動きも増えている」
父は黒目がちの二重の瞳を瞬かせながら相槌をうった。隙間なくびっしりと生えている長いまつ毛は自然に上向きになっており、くりんとした瞳をより一層引き立てていた。
三十にも及ぶグループ会社を持つ五ツ宮グループの代表取締役社長である
幼少期から見慣れている珪華は、今更父の顔をまじまじと見るような真似はせずに会話に応じる。
「でしょう? それに、ただの喫茶店では面白みがないので、ちょっとした工夫をしておりますの。楽しみにしてて下さいまし」
「それで、この招待券は他にどなたに渡すつもり?」
母が父とは対照的な切れ長の瞳を細めて尋ねてきた。
きたわ、と珪華は思う。
今日の目的その二。ここからが正念場だ。珪華はなるべくさりげなく聞こえるように、Aランクの牛フィレ肉をナイフで切り分けながら短く答えた。
「
「まあ」
「なんと」
途端に飛んでくる、否定的な声色。珪華は怯まなかった。
「構いませんでしょう?」
「しかし彼は、お前の相手にふさわしくない」
「なぜ? 立派に働いているわ」
「一般企業の平社員としてね」
母の言葉には明確な蔑みと棘が含まれている。珪華の肉を切り分ける手が止まった。母は血のように真っ赤な赤ワインの入ったグラスを傾けている。珪華は肉から視線を上げて母を見た。
「一般企業の社員として働いている彼の、どこがいけないの」
「いけないってわけじゃあないわよ。真面目に働くのは素晴らしいと思うわ」
「なら」
「でもねぇ、あなたの相手には不十分だわ」
「お母様」
「珪華、
母の意見に味方をする父が厳しい声で珪華をたしなめる。
「この五ツ宮グループの一人娘であるお前には、輝かしい将来が約束されている。そんなお前に、一般企業の平社員として働く普通の人物がふさわしいわけがないだろう」
「ねえ、お父様、お母様。わたくしは別に輝かしい将来なんて望んでいません。愛する人と暮らしていければそれでいいの」
「お前はまだ若いからそんなことが言えるんだ」
「将来、後悔することになるわよ。『こんな普通の人と結婚なんてするんじゃなかった』って」
父も母も、珪華の意見をはなから聞こうとしていない。
「その男のことは忘れなさい」父は断じた。
「住む世界が違うのよ」母は言い切った。
なんで、どうして。
……いつもこうだ。
珪華はうつむいた。目の前の皿の上のAランク牛フィレ肉は、すっかり冷めて固まってしまっている。どんなに高級な素材を使った料理でも、冷めてしまえば美味しくない。
「…………」
久々の親子三人の食事は、ギクシャクとした雰囲気で幕を閉じた。
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