第5話 上京したての女子高生とクリームソーダ②
扉を押して開けると、からんからんと音がする。
店内は薄暗かった。
勇気を出して店の中に入ると扉が閉まる。すると、一切の音が遮断された。
ひっきりなしに通る電車の音も、通りを行き交う車の走る音も、ビジネスマンがスマホ片手に通話する音も、絶え間なく聞こえるビル工事の音も、ぱったりと聞こえなくなった。
BGMすらかかっていない店の中には客の一人もおらず、四角いテーブルが五つほど置かれており、背もたれとクッション付きの椅子がそれぞれ二脚ずつ並んでいる。
ビンテージ感漂う店は、東京に来てからずっと背伸びして生き続けていた愛にとってホッとできる空間だった。まるで岡山に帰ってきたかのようだ。
「いらっしゃいませ」
「!」
不意に店の奥から声がして、人が出てきた。
いや、人ではなかった。
「! え……!?」
愛の目がおかしくなっていないのであれば、接客に応じたのは、ねこであった。愛の膝までしか身長のない、灰色の縦縞の猫が二足歩行して喋っている。
「お好きなお席にどうぞ。ただいまお冷やをお持ちします」
ねこは愛の動揺など一切意に返した様子もなく、淡々と接客を続けた。
「…………」
呆気に取られた愛は、ひとまずねこの店員のいう通りに席に座った。程なく運ばれてくるお冷や。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
ねこは愛想よく目を細めながら言うと、再び店の奥に入っていく。
注文どころではない。
愛は引っ込んでいく店員を見つめながら、心の中で思った。
なぜ、ねこ? 着ぐるみかな? いや、でも、あの身長からして人間が中に入っているとは思えない。だとしたら本物のねこ? なんでねこが喋って、歩いて、接客しているの?
疑問は尽きない。
しかし最終的に愛は、こう思うことで自分を納得させた。
きっと東京では、ねこも働かなければ生きていけないのだ。生きていくにはお金が必要で、だから猫も日々自分の生活のために喫茶店などやっているのだろう。世知辛い世の中だ。これが東京のねこカフェなのだろう。
地元にもねこカフェは存在するが、当然ねこは喋らないし歩かないし接客もしない。ねこたちはただただ室内を自由に歩き回り、くつろぎ、気が向いたら人間の方に来てくれる。
やっぱり東京は違うなあ、と愛は感心した。
「ご注文はお決まりですか」
「えっ!? えっと……じゃあ、クリームソーダをお願いします」
「かしこまりました」
ねこに思いを馳せていた愛は、慌ててメニュー表を見てからそう注文をした。
ねこは前足で器用に伝票に注文を書き付けてから去って行った。
「お待たせいたしました、クリームソーダです」
程なく運ばれてきたのは、細長いグラスに入ったクリームソーダ。
並々と注がれた薄緑色のメロンソーダの中でシュワシュワと気泡が立ち上る。バニラアイスの上にはさくらんぼが載っている。
まごうことなきクリームソーダである。愛が地元の喫茶店で、家族や友人たちと一緒によく飲んだそれと、寸分の違いもない。
ストローに口をつけてメロンソーダを飲んでみた。甘く弾ける炭酸の味わいは、懐かしさを感じさせる。
柄の長いスプーンでバニラアイスをすくって食べると、ヒヤリとした冷たい甘さが舌の上でとろけた。
「……おいし」
思わず、笑みが溢れた。
久々に外で自然に笑った気がした。最近はずっと、作り笑いばかりだったから。
しゃりしゃりとしたバニラアイスとメロンソーダを交互に食べたり飲んだりする。上に載ったさくらんぼも、美味しかった。
東京にもこんな場所があるんだなぁ、と思った。
次はお母さんお父さんと来ようかな、と思った。
本当は友達と来たいけど、こんな場所に一緒に来てくれるような学校の子はいない。
私、これから先、やっていけるのかなと思った。
「お悩みですか」
学校のことを考えていたせいで再び気が滅入っていたら、突如話しかけられる。声のした方を見ると、ねこ店員がちんまりと立っていた。ねこは、愛の戸惑いなど意に介した風もなく、したり顔で続けた。
「誰にでも悩みはあるものです。しかし一歩を踏み出してみると、案外あっさり解決するものですよ」
「え……でも。笑われたくないし」
「笑われるかどうかは、やってみないとわからない」
ねこは、ねこのくせに、やけに重みのある言葉を発した。
「笑う人もいるでしょう。でも、アナタが必死なら、きっと笑わない人だっている。耳を傾けてくれる人だっているはずです」
「…………」
「一歩踏み出すことが、重要だと思いますよ。では、ごゆっくりどうぞ」
ねこ店員は頭を下げると、すたすたと店の奥に引っ込んだ。臀部から伸びる縞模様の尻尾が、少し誇らしげに揺れていた。
愛はクリームソーダをストローでかき混ぜた。バニラアイスが溶けて、メロンソーダと混ざってしまっている。アイスが溶けたメロンソーダがもったりした甘味があって、これはこれで美味しかった。
クリームソーダを飲み干した愛は、席を立った。
気配を察したねこ店員が会計をしてくれた。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしています」
ねこは律儀にお辞儀をして見送ってくれた。
外に出ると、雨が止んでいるのに気がついた。
六月。
明日は、夏休み明けにやる学校最大の行事、学園祭についての話し合いがある日だ。
お嬢様学校の学園祭の催し物なんて想像もつかない愛はダンマリを決め込もうと思っていたけれど、ねこ店員の話を聞いて気が変わった。
私も何か、提案してみようかなぁ。
立ち止まり、ちらりと喫茶店を振り返った。
もしかしたら夢幻のように消えて無くなっているかもしれないと思ったけど、店は確かに存在している。
このままうつむいて、停滞していたとしても、何にもならないのは確かだ。
「よし」
とにかくやってみよう。その結果がどう転ぶかわからないけど、まずは一歩を踏み出すことこそが重要なのだ。
愛はそう思い、うつむきがちだった視線を上向かせ、駅に向かって歩き出した。
雨上がりの空では雲間から太陽が見え、愛の気分は少しだけ上向いた。
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