それは、あまりに黒魔法で

CHOPI

それは、あまりに黒魔法で

 ――どうした?

 ――大丈夫だよ、オレがいるじゃん


 欲しい時に欲しい言葉をくれて。


 ――可愛い

 ――大好き


 そんな甘い言葉をささやいて。


 彼は私に魔法のろいをかける。

 彼の横にいるだけで幸せ、そう思ってしまう魔法のろいを。


 ******


 朝の日差しが眩しくて目が覚める。薄目を開けると見えた、白いカーテンから透けて差し込んでくる淡い光はどこか爽やかで、今日もまた新しい一日が始まることを告げている。窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえてきて、寝ぼけた頭で『そろそろ起きなきゃ……』なんて思う。揺蕩たゆたう意識の中、左隣に感じる人肌のぬくもりも、聞こえてくる寝息も全てが愛おしい。


 隣で眠る彼を起こさないよう、静かにベッドから這い出した。少しだけ冷えている部屋を歩いてキッチンへと向かう。まだうまく働かないままの頭で、それでも冷蔵庫を開けて見つけ出した卵とハムとレタス。まだパンも残っていたはずだし、朝食はそれでいいかと支度を始めた。


 彼とは付き合ってもう5年くらいになる。年下の彼は、それでもどちらかと言えば私を引っ張っていくタイプの男の子で、あまり自分から前へと出るタイプでは無かった私にはとても相性が良かった。年下だからと言ってついつい甘やかしてしまうけれど、それを含めて関係は悪くないと思っている。


 やがて朝食の準備が終わるころになると、狙ったかのように彼がキッチンへとやってくる。

「おはよう、ちょうどよかった。ごはん出来たよ」

「ありがと」

 テーブルに二人分の朝食を用意して、一度キッチンに戻ると彼には熱いコーヒーを淹れて、自分用にはカフェオレを淹れて。そうしてようやく一息ついて、彼と向かい合ってテーブルに座る。先に座っている彼は、暇そうにスマホのニュース画面を眺めていた。

「お待たせ、食べよっか」

「ん、今日も美味しそう」

「ありがと。……じゃ、せーの」

「「いただきます」」

 そうして始まる私たちの朝食。


「今日の予定は?」

「んー……、特に無いかな。……あぁ、でも買い物に行きたいかも」

「そっか。そしたらまた、お小遣い置いておくね。いくらくらい?」

「……1万くらい、いい?」

「うん、わかった。ごはん食べ終わったら、テーブルの上に置いておくね。あと今日、私夜ご飯友達と食べてくるから、夜ご飯代も合わせて置いておくから」


 同棲し始めたのは3年前。その頃から彼は働いていなかったけれど、私自身の収入が多かったこと、そもそも私は趣味もほとんどないので生活に余裕があったことも手伝って、彼に対して無理に『働いて欲しい』とは言っていない。彼は今のところ所謂“ヒモ”っていう感じだけれど、それに対して何かを感じたことは無かった。


 ******


 仕事終わり、親友と安い居酒屋へと入る。今日はどことなく呑みたい気分だった。

「アンタ、まだあのヒモと一緒にいるの?」

 ここ数年、親友との逢瀬。開口一番に言われる言葉はこれが当たり前になっている。

「あぁ、うん」

「……私が言えることじゃないけど、そろそろ結婚とか考えないの?」

「……うん」

 正直、考えない、わけじゃない。でも、どうしても怖くて聞き出せない。だって彼は言わないのだ。『可愛い』『大好き』などの甘い言葉や、『大丈夫、オレがいるじゃん』なんて欲しい言葉をくれるくせに。


 ――『一番』や、『特別』は、くれたことが無い。


 ******


「ただいまー」

「おかえり」

 親友とのご飯を終えて帰宅する。彼はすでに寝室のベッドの上に寝転がっていた。その身体を起こしながら『ただいま』に対する返事を返してくれる、そのことだけで私は嬉しくなる。……だからいつまでも、この優しさの中に浸かっていたいと思ってしまうのだ。

「ねー、ぎゅーって、して?」

「え、酔ってる?」

「ん、少しねー」


 お酒のせいにして、少し甘えたくなった。ベッドの上に座る彼に向って、両腕を伸ばしながら私自身もベッドに乗り上げて彼の体面に座る。……彼の顔が少し曇った気がしたのは、気のせい?


 結局彼は抱きしめてはくれなかった。胸の奥がチリッと痛んだ気がして、だけどその痛みから目を逸らす。空虚を彷徨さまよう腕が寂しくなって、静かに膝の上に下した。


「……あのさ」

 少し緊張しつつ彼の顔を見る。お酒の勢いって、本当にすごい。普段なら言わないことを、アルコールの力が言わせてしまう。

「私たち、付き合ってもう5年だし。同棲して、3年じゃん? ……結婚、とかって、どう考えてる……?」

 その言葉に時が止まる。瞬間、彼が露骨にめんどくさそうな顔をする。一度深く俯いて深いため息をついた彼は、もう一度顔をあげて私の方を見る。


 その時の彼の表情を、私はこの先もずっと忘れることはできないだろう。

 彼が今まで私にかけてきた幸せの魔法のろい。それを全て一瞬で上書きするほどの魔法のろい


 真っ暗な眼。その眼は何も映していない。沼のように底が無くて、ずっと深くに沈んで行ってしまいそう。表情がストン、と抜け落ちた能面のような顔が、それでも少しだけ口元を歪める。……違う、口角が上がったのだ。つまり、嗤った。



 ――結婚するわけねーじゃん、オレほかに女いるし

 ――だけどちゃんとキミのこと、『大好き』だから、ね

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