第5話

 雨が、やんだ。

 ヘッドホンを頭に身に着けた少女の足元にはベレー帽をかぶった少女の死体が横たわっていた。

 満身創痍の人間の姿でヘッドホンの少女は、一部始終を見ていたモノクルの少女に通信を飛ばした。

<質問する。君は私の味方か。>

 モノクルの少女は、返答が、出来なかった。

 ヘッドホンの少女の論理は正しい、とモノクルの少女は思う。どんなに頑張っても現行法ではヒトグマは人間ではない。そして人間を殺した前科があるならば殺処分が妥当であり、それを否定する事は出来なかった。

 だが、肯定する事も出来なかった。モノクルの少女がヒトグマと名付けた正体不明の生物は明らかに今までの日本社会に存在しなかった。ヒトグマが存在しない前提で構築されている現在の日本という国家にその前提を破壊する者が現れたら前提を練り直す必要がある。故に現在の法律や価値観で取り扱うべき対象では断じてなく、その存在を社会と政府が認識し、議論を重ねた末にその処遇が決定されるべきなのだ。

 だから、ヘッドホンの少女をモノクルの少女は否定も肯定も出来なかった。

 本当にそうか。本当にその理屈がお前の本心か。

<君も同じか。>

 そう、ヘッドホンの少女が告げた直後、彼女はヒトグマの姿へと戻り、そして自慢の重装甲が弾け飛んだ。見るからに軽装と言わざるを得ないその細身の背面が開き体内の骨が急成長してほぼ真上に向かって突き出た。筋繊維がそれに無数に絡みついて上方を向いた生体砲身が完成した。そしてその砲口から放たれた生体弾丸は弧を描く軌道で駅舎へと激突し、大爆発を引き起こした。

 敵はもう居ないはず。どういう事だ。

 混乱しかけたモノクルの少女にヘッドホンの少女の合成音声が正解を届ける。

<これが最後の警告だ。私の仲間になれ。>

 モノクルの少女はヘッドホンの少女のヒトグマをまっすぐに見た。そして言われた。

<この山形県をこれから浄化する。ヒトグマの首魁と思わしき邪魔者は葬った。これで心置きなく汚染された我が故郷を初期化出来る。>

 浄化。初期化。そして駅舎への攻撃。まだ中に人が居たかも知れない。だというのに攻撃した。

 ヘッドホンの少女は続ける。

<この山形県は他県と言う名の略奪者達に奪われている。奴等は我が故郷から若者達を吸い上げ枯らそうとしている。私はそれを防ぐ為に山形県の外へと通じるあらゆる交通路をこれから破壊する。>

 言っている事の内容は理解できる。何故今それを言い出したのかが理解出来ない。

 山形県に限らず裏日本のような過疎地域が新幹線等の高速交通路によって東京等の大規模都市に人材を吸い取られているという話をモノクルの少女は知っている。そしてモノクルの少女が知っている、という事をヘッドホンの少女に話した事は、無い。

 つまりヘッドホンの少女の視点では前提知識が無いはずの一人の少女であるモノクルの少女に対して、いきなり田中角栄の日本列島改造論によってもたらされたストロー効果を批判を展開し始めたのだ。

 つながっていない。あるべき説明が存在しない。

 だが知っている。ヘッドホンの少女が馬鹿ではない事を。

 こちらのモノクルを即座にスマートデバイスだと見抜いて型番まで言い当てた。スマートヘッドホンの持つAI機能をほぼ完全に使いこなした。それだけの頭脳を持つ者が他者に自分を理解してもらう為の順序を理解していない訳がない。

 だから、モノクルの少女は、自分の声で、言った。

「君も同じか。」

 その直後、モノクルの少女はヒトグマへと変身し、再び降り始めた雨が二体の怪物を容赦なく叩いた。

 宣言には力がある。

 こうしてやる。そう告げるだけでそうしなければいけないという気分になる。

 気分は大事だ。相手に悪意や敵意が一切無くても自分に自信が無い時は相手の一言一句一挙手一投足が全てこちら側を責めている批難であると誤認する。

 だからモノクルの少女は両親に謝罪し続けた。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 本当にそうか。本当に謝罪していたのか。お前はそうする事で相手を攻撃したかったんじゃないのか。

 ヘッドホンの少女のヒトグマの背中の生体砲身。そこから放たれた無数の生体砲弾は地面に落下すると同時に小さな熊のような怪物へと変形した。

 駅舎を爆破したあの威力を考えるに接近するのは危険。そう考えたモノクルの少女は後退する。だが、小型の怪物達の間を縫うようにヘッドホンの少女が急速に接近する。やられる。いや違う。

 モノクルの少女は右手を突き出し、ヘッドホンの少女が屈んで回避する。だろうな。自慢の装甲は弾け飛んだ。避けるしかなく、攻撃を受ける事を前提とした従来の一直線戦法は使えない。しかし左腕の弯刀は依然として脅威だ。

 何故お前はヘッドホンの少女を否定も肯定もしなかった。出来なかったのではなくしなかったのだろう。すれば責任が伴う。責められる。

 右側から水平に迫る弯刀を身を屈めて回避する、と見せかけてモノクルの少女はその場で宙返りした。弯刀の側面を下方向から蹴り弾かれヘッドホンの少女の左腕が大きく夜空を指した。がら空きになった胴体にモノクルの少女が右手の爪を叩きつける。

 何故お前はベレー帽の少女の発言に内心で頷いてしまった。誰かに正しさを預ければ自分が責任から逃れられると思ったからだろう。

 既に満身創痍であるヘッドホンの少女は唸り声を上げて弯刀を振り下ろす。凄まじい速度だが狙いがわずかにずれて防御の為に反射的に上げられたモノクルの少女の左腕を叩く。それで良い。

「お前なんか怖くない。」

 モノクルの少女の心拍数はとっくに正常値に戻っていた。

 何故お前はカチューシャの少女に論理性が無い返答をした。論理を欠くだけなら許されるが倫理を欠いたら否定されるからだろう。

 左腕を弯刀に巻き付けて封じ、ヘッドホンの少女の左横から背面へと踏み込む。ヘルメットの少女とベレー帽の少女が散々に破壊した背面へと。無論、ヘッドホンの少女もそれに気付いている為彼女の意を察した小型の怪物達が止めようと飛びかかってくる。

 何故お前はヘッドホンの少女に謝った。そうする事で相手を攻撃したかったからだろう。

 謝罪というのは他者に迷惑をかけた場合にすべきと思われがちだが、正確には『他者が謝罪される場面であると認識している場合』にのみ有効なのだ。何一つ気にする事が無ければ謝罪された事に他者は困惑する。場合によっては謝罪させるような圧力を自分はかけてしまったのではないのかという罪悪感を他者に引き起こさせてしまう。

 だからモノクルの少女は謝った。

「ごめんなさい。」

 即座に左腕をヘッドホンの少女の弯刀から解いて地面を蹴って後方へと跳躍、する寸前、空中で交差した二体の小型怪物達を爪で叩き切った。

 モノクルの少女が跳躍を終えて着地すると同時に、小型の怪物が爆発し、ヘッドホンの少女のヒトグマはそれに巻き込まれた。

 だが生きている。モノクルが示す生体反応はヒトグマ一体。そいつが爆発の中を凄まじい勢いで進んでくる。

 本当に間一髪だった。右横へ身を傾けるのがわずかに遅れていたら、限界を超過した速度で突進してきたヘッドホンの少女の弯刀の一突きでモノクルの少女は死んでいた。だが死ななかった。

 ヘッドホンの少女のヒトグマの身体がモノクルの少女のヒトグマの身体の真左に到達した瞬間、モノクルの少女も自身の肉体に限界超過の命令を下した。右肘の表面が弾け飛び、開口部が顔を出す。そこから放出される推進剤の勢いで、凄まじい速度で彼女の上体が左回転する。圧倒的な速度でモノクルの少女の右手先端がヘッドホンの少女の剥き出しになった背面内部に突き刺さる。

 そして更にモノクルの少女の背部表面が弾け飛び、無数の開口部が姿を現した。

 最大出力。

 気分が良いだろうな。自分が正しくて自分が攻撃する側なのは。そうだとも。良い気分だ。自分はずっとこうしたかったのだろうな。

 全ての開口部から放たれた生体推進剤がモノクルの少女の身体を斜め真上へと打ち上げる。地面から足が離れ高度が上がっていく。当然、彼女の前には空中へと押し上げられていくヘッドホンの少女の背中があり、その背中にどんどんモノクルの少女の右腕が埋まっていき、そして胸部の中央を貫通した。それでも推進力は減じるどころかどんどん勢いを増す。

 己の故郷を攻撃しようとした怪物の肉体は夜空で多量の血を撒き散らしながら上下に分断された。


「正しいと言ってもらうべきだろうな。」

 どこから来たのかよくわからない少女の質問に、モノクルの少女はそう答えた。

 正しければ攻撃する側に立てる。攻撃する側に立っている自分を見つける事が出来る。

 だからヘッドホンの少女は宣言した。それを相手に理解してもらう必要は無い。自分に向けた宣言により自己正当化を果たせばそこに自分が居る。相手を攻撃する正当性を手に入れられたという確固たる自分を見つける事が出来る。

 モノクルの少女は自分を見失っていた。

 両親から否定され続けた。望まない子に育ったから。だから両親を攻撃する為に必死になって謝った。両親が罪悪感を抱けばそれは心理的な攻撃の成功になり、自己正当化が出来るから。

 ヘッドホンの少女の理屈を否定しても肯定しても結局自己否定につながる。だから自分を守る為に否定も肯定もしなかった。

 ベレー帽の少女の発言に内心で頷いたのは彼女が正しさを背負ってくれればそれに反対する者達が攻撃される側に回るからだ。自分が攻撃する側に立ちたかったからだ。

 カチューシャの少女の質問に論理性が無い返答をしたのは、倫理こそが最強の攻撃手段だからだ。どれ程理屈を並べた所で『ではお前は遺族の前でも同じ事が言えるのか。』の一言で封じられてしまう。

 ヘッドホンの少女に謝ったのも攻撃の為だ。ありがとうを言うべきだった、なんてもう思わない。相手に罪悪感を植え付けて心理的に攻撃する。それが自分の本性だったのだ。

 だから怖くなくなった。

 あの時、ファミリーレストランでヘッドホンの少女が<殺さなくて良かった。>と言った時。その瞬間、モノクルの少女にとってヘッドホンの少女は敵にすべきではない正当性のある味方から敵になってもおかしくない落ち度の有る相手に変わった。

 あの時、ヘッドホンの少女が駅舎を破壊して自分勝手な理想論を振りかざした時。その瞬間、完全に大義名分を手に入れたモノクルの少女は自分が攻撃する側に立ったのだと自覚した。だから混乱しかけたが、混乱しなかった。

 全部繋げりゃ矛盾して破綻する思考。つまり理屈ではなく感情。間違うのが怖かった。否定されるのが怖かった。攻撃されるのが怖かった。

 攻撃されるのが怖かったから、ヒトグマを殺した。人食いの怪物を殺せる力を持っているのに殺さなかったら責められる気がしたのでそれを回避する為に。

 攻撃されるのが怖かったから、一線を越えたヒトグマしか殺さなかった。擬態された少女の何も知らない遺族から責められるから一線を越えたという正当化の理由が必要だった為に。

 攻撃されるのが怖かったから、ヒトグマを殺した後に街の中を歩いてヒトグマが擬態した少女の遺族の声を聞きたくもないのに聞きに行った。自分が攻撃されていない事を確認する為に。

 そして今の自分の本心を一言であらわすならば。

 もう誰にも攻撃させない。

「そうだな。」

 どこから来たのかよくわからない少女はモノクルの少女の言葉に納得し、続けた。

「正しささえあれば自分を見失わないで済む。ありもしない悪意や敵意を味方にすべき相手の中に見出してしまうよりは、その味方が明確に敵に回って殺すしかなくなる状況になってしまえばやりたい放題言いたい放題だ。それで良いと思うなら君はそれで良いんだろう。」

 ――良いよ。だってやっと自分を見つけたから。


 駅舎の残骸の前を走る線路。その横の地面でモノクルの少女は人間の姿に戻って一人で泣いていた。

 今度こそ自分の声と自分の涙で泣いていた。生まれて初めて自分が納得できる理由で泣いていた。

 既に雨雲は去って雨がやみ、透き通るような綺麗な夜空には無数の星々が輝いていた。

 一人だけ答えを見つけられない少女はもうどこにも居なかった。

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屠熊戦記 中野ギュメ @nakanogyume

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