第58話  貴賤問わず

 ソリドゥスは念願の御用商人となり、デナリもアルジャンも官職を得た。


 同時に、早めに人手集めに取り掛からなくては、儲け話を求めて王宮に出掛けることもままならないとも考えた。



「こちらの件は了解しました。あくまで時間があるときに、という体でよければ頑張らせていただきます。それより、その最後の一枚こそ、最大の報酬ではございませんか?」



 アルジャンの視線の先には、バナージュの持つ書類があった。三人それぞれに報酬の辞令が渡り、それでもなお一枚書類が残っていた。



「さすがに察しがいいな。これこそ、最大の報酬だ。私にとっての、だがな」



 そう言うと、バナージュは持っていた最後の一枚をエリザに渡した。



「フフッ、出会った頃のエリザなら、まともに読むことすらできなかったであろうが、それだけの努力を重ねてきたという証だな」



「何よりの言葉ですわ。えっと、『王妃たる者に出自の貴賤を問わず。ただその魂にのみ問いかける』ですか」



 その言葉は、エリザにとって何よりも染み入る言葉であり、思わず目が潤んできた。


 愛する人と共に歩んでも、誰にも文句を言わせない。そう義父が、国王が、しっかりと述べたのだ。


 今まで自分とバナージュの間柄を認めてくれていたのは、三人の友人と、世話を焼いてくれていた老紳士、あとはデカン村の人々くらいであった。


 それが義父にもちゃんと認められ、勅許を以て公式に王妃となることを許されたのだ。


 これほど嬉しい事はなく、努力が報われたと感じた。



「魂にのみ問いかける、か。そうだな、そうだよな。どれだけ奇麗に着飾ろうとも、高貴なる精神ノブレスオブリージュなくして、人の上に立つことはできんな」



「はい。その意味も含まれておりましょう。バナージュ、私たち夫婦もそのことをしかと心に刻み、共に歩んでいきましょう」



「うむ、その通りだ」



 二人はギュッと手を握り、改めて生涯を共にすることを誓い合った。


 それを見守る三人から自然と拍手が沸き起こり、何度目になるであろうか、二人の仲を祝福した。



「まあ、あるいはでありますけど、これは陛下御自身へ宛てたものかもしれませんね」



 拍手をしながらのアルジャンの言葉であり、そこで拍手が止まってアルジャンに皆が振り向いた。



「殿下の御母君は田舎の小領主の娘。王家へ降嫁するなど、本来なら有り得ない方でした。しかし、陛下はその中に、気高く芯の通った精神を感じればこそ、仲睦まじい夫婦となれたのです。だから、その勅書は未来のシンデレラを保証する物でもあります。自分や息子が苦労したことを、孫やあるいはその次の世代に起ころうとも、苦労しなくて済むようにとね。そして何より、ご自身のお妃様に対して誰が何と言うとも、文句は言わせないと公文書化されたのです」



「そうだな、アルジャンの言う通りだ。他の事例に関しては私の即位後という、時間を空けたものになっているが、この布告に関しては即日施行となっている。それだけ父上も本気なのだろう」



 バナージュはもう一度その布告の書類を見つめ、父の取り計らいに感謝した。



「さて、これで本当にすべてが片付いたな。私は愛する者を手にし、王道を行くとしよう。ソリドゥス、お前は商人として、一からやっていくのだろう?」



「ええ、その通りです。片付いたのではなく、私の、私達の歩みはむしろここから始まるのです」



「そうだな。本心を言えば、このまま全員宮仕えとして召し上げたいのだが、あくまで商人を目指すのであれば、それを誘うのは無粋であるな。御用商人と形だけだが官職は与えたのだし、気が向いた時に王宮へ来るがいい。たまには顔を見せるのだぞ」



 この数カ月、この場の五人はずっと行動を共にしてきた。しかし、ここから先は別々の道が用意されていた。二人は王宮に身を置き、もう三人は店を開いて商いをすることとなるだろう。


 互いに忙しくなり、今までのように気軽に会う事も難しくなるのは間違いない。


 しかし、育まれてきた愛情や友情が損なわれることはない。そう自信を持って言えた。なにしろ、最も苦労を重ねた時期に、ずっと寄り添って進んできた五人だからだ。


 形は変わるが、中身まで変えるつもりなど、この場の誰も考えてはいなかった。



「あ、そうだ。エリザさんに言伝があったんでした」



「ゲッ、アルジャン、あれ伝えるの?」



 明らかに引いているソリドゥスを見て、エリザは怪訝に思ったのだが、逆に気になることでもあった。



「誰からの伝言かしら?」



「エリザさんの“お兄さん”です」



「あ~」



 そこでエリザはソリドゥスが顔色を変えた理由を理解した。


 エリザの元夫ザックは、“生き別れの兄妹”を理由に婚姻無効を成立させたため、現在は戸籍上においてエリザの兄と言うことになっていた。


 そこからの伝言であるし、聞きたいような、聞きたくないような、微妙な感じとなった。



「ま、まあ、どうせろくでもないことでしょうし、聞くだけ聞いておきますか」



「ザックさん曰く、『こんなことになるなら、もう少し高値で売っておけばよかった』だそうです」



 あまりに予想外の言葉に、エリザは腹を抱えて大笑いしてしまった。それこそ腹筋がよじれて、お腹が痛くなるほどに笑った。



「フフフッ、いかにもらしい台詞だわ! “より”を戻そうとか、金を出せではなく、私の売値の方に不満があるとか!」



「まあ、ザックの件はこっちに任せていいから、気にしなくていいわよ。仲人を務めたのはあたしなんだし、エリザの行先も決まったから、次はあっちの面倒見てあげるから」



「そうしてくれると助かるわ。あいつは口は悪いし、スケベエだし、舌は腐っているけど、馬の扱いに関しては本物だから」



「残念な事に、“幸運の牝馬”だけは扱いきれなかったみたいだけどね」



「今は王子様が乗っていますからね~。じゃ、そっちはお任せしますね」



 エリザはソリドゥスの肩を何度か叩き、まだ残っていた事後処理を任せた。


 話すべきことは全て話し、あとは帰るだけと言う段になったので、五人は玄関へと移動した。


 すでに馬車は到着しており、前にも使った屋根なしタイプの馬車だ。



「パレードでお帰りってわけか。ソリドゥス、お前、本当に性格悪いな」



「今後の投資の呼び水みたいなもんですよ。これから始まる大商人ソリドゥスの伝説の、その幕開けなんですから。お集りの皆様方にはしっかりと目に焼き付けてもらいますよ」



 実際、バナージュの屋敷前には、まだ大勢の人が面会を求めて人山を形成しており、見せる舞台としては申し分なかった。


 別れを惜しんで握手を交わすと、帰宅する三人は馬車に乗り込んだ。



「次に会う時は、多分戴冠式になるかな。招待状は出すから、ちゃんと出席するんだぞ」



「分かってますよ。それまでにこっちも開店して、次回訪問時には御用聞きをしますよ」



「そうか。楽しみにしておくぞ」



 ソリドゥスとバナージュは握手を交わし、次なる再開を約束した。今度会う時は王子と富豪令嬢ではなく、国王と商会支配人に肩書は変わっているだろうが、変わらぬ付き合いができることを願っての握手だ。



「じゃあ、エリザさんもね。今度会う時までには、メッキが剝がれない程度には、演技も上手くなっているといいわね」



「肝に銘じておきます。ああ、それと私の“お兄さん”に伝えといて」



「はいはい。なんて伝えます?」



「さっさと次の女見つけて、そっちも幸せな家庭を築けってね」



「フフフッ、こりゃ手厳しい。んじゃ、また会いましょうね」



 ソリドゥスとエリザも握手を交わし、それから御者が馬に鞭を入れると、馬車がゆっくりと前に進み始めた。


 そして、屋敷の正面の門をくぐるまで、三人は見送る夫婦に手を振り続けた。



         ~ 第五十九話に続く ~

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