第54話  卒業

 レイモンからバナージュへの譲位。さりげなくではあるが、それは伝えられた。


 国を築く、明確に自分の後任をバナージュとする旨を表明した瞬間であった。


 そして、バナージュも迷うことなくそれを受けた。



「私は父上ほどの才覚もありません。なにしろ、逃げ続けた人生で、芸術の世界に逃避しておりましたので。なので私は文化芸術に、父の遺産を継ぎ込もうかと考えております」



「発想がすでに、放蕩息子のそれじゃな」



「父上の起こした国の有様はそのままに、文化を花開かせる。それが私の目指すところです。金は懐を豊かにし、人々に生きる糧を与えます。それは父上がなさいました。私は芸術を以て、人々の心を豊かにしようと思います」



「心を豊かに、か。まあ、それもよかろう。ワシは人生をどうにも忙しなく駆け抜けてしまった。この国を安定させるために、休む間を惜しんで働き続けた。次の世代では、時間の進み方を少しくらい遅くしても罰は当たるまいかな」



 バナージュらしい回答を聞けたレイモンは、それに満足したのか頷いてそれを了とした。



「しかし、私を見限って出て行った薄情者達をどうしようか、それがまだ決めかねております。あまり甘い顔をしては、権威や威厳に傷が付きかねませんので」



「いいえ、バナージュ。ここは不問に付し、出て行った芸術家達を寛大に扱うべきです」



 迷うバナージュに、エリザが即座に割って入った。



「寛大に、か。エリザはなぜそう考えるのか?」



「芸術家の皆さんにとっては、バナージュから離れるのはやむを得ない選択であったからです」



「というと?」



「バナージュは後援者パトロンとして、芸術家の皆さんの支援をなさってきました。名画名品を世に送る出すためには、作者にそれを手掛けるための費用や時間が必要であるからです」



「当然だ。日々の食費から道具代に材料費、金はいくらでもかかる。それをすべて芸術家当人で賄えとなると、かなり厳しい。相当名の売れた著名な者でもなければ、まず無理だろう」



 この点はバナージュもよく目にした光景であった。才能はあっても世に出る機会が乏しく、それをどうにかしたいと財を提供し、作品発表の場を設けて名声を高めていったからだ。


 それゆえに、そうした援助を受けていたのに、あっさり離れていった連中が許せないのだ。



「それゆえに、薄情と言われましたが、彼らにしてみれば、バナージュに心中して自らが練り上げてきた技法を廃れさせるわけにはいかなかったのです。贔屓の後援者パトロンが力を失ったならば、次を見つけて新たな作品を生み出さねばなりません。義理立てして作品が作れない状態になってしまえば、そこで技術技法が途切れてしまうのですから」



「うむ。エリザの言う通りだ。ならば、私からあっさり離れたことには目を瞑り、寛大に両手を広げて招き入れろ、と言うのだな?」



「はい。バナージュに取り入って甘い汁を吸おうとした貴族連中と違い、芸術の芽を摘まないためにやむなく離れた。そんな芸術家達をお許しになり、以てバナージュの徳と懐の深さを見せるべきです」



「それには賛成!」



 ここでソリドゥスが割って入った。



「王太子として封土も拡張されて戻って来るし、援助の手も前より手厚くできるでしょう。で、その際に『王太子バナージュ』の署名で布告を出せば、次の時代もちゃんと面倒見るぞと宣伝にもなる。安心して芸術の興隆に勤しみ、バナージュの目指す国の一助となると思うわ」



「そう、だな。エリザとソリドゥスの言う通りだ。私個人の矜持プライドに拘り、本道を見誤ってはならんな。少しばかり離れてしまったことなど、些事と思うことにしよう」



 バナージュはそう言って頷き、エリザに視線を向けると、彼女もまた笑顔で夫の決断を了承した。


 その瞬間、ソリドゥスはエリザが完全に自分の手から離れたと確信した。


 実のところ、この席が始まる前に、ソリドゥスはエリザに対して、「芸術関連の話になるか、あるいはこちらがそうなるように誘導するから、その時には離れた芸術家達に寛大になるよう促す事」と事前に吹き込んでいたのだ。


 芸術関連の話によってバナージュの歓心を買いつつ、レイモンに対しても“庶民らしからぬ”発想を持っていると認知させることにより、エリザの見識の高さやその存在を認めさせようとした。


 しかし、ソリドゥスはそこまでしか、敢えて吹き込まなかった。なぜ寛大にする必要があるのか、そこまでは説明や解説をしなかったのだ。


 ところが、エリザはそうした理由をちゃんと説明し、自分の考えや言葉で寛大にする必要性を夫に説明した。


 書庫での研鑽の日々は決して無駄ではなく、読み書きをこなせるようになったことで、見識に広がりを見せ、その答えを自分で考え出したということだ。



(もうエリザにはなんの手解きもいらない。これで今回の仕事は完璧に終わったわ。あたしは未来の王と王妃を仕立て上げた)



 文句のない、それでいて初めて商人としてこなした仕事に、ソリドゥスは感無量といった気分に浸ることができた。


 ならば、成し遂げた気分を“お互いに”噛み締めれるよう、やるべきことはあと一つ。


 ソリドゥスはレイモンに視線を向けると、その意を察したのか、レイモンは無言で頷いた。



「そうじゃな。ここから先は若い二人に任せるとして、邪魔者は早々に退散するとしよう」



「はい、陛下」



 レイモンはニヤニヤ笑いながらゆっくりと立ち上がり、控えていた近衛隊長が近付いて、杖をレイモンに差し出した。


 もう一度念押しとばかりにレイモンは笑い、それから隊長に伴われながら部屋を出て行った。



「んじゃ、お二人ともごゆっくり~♪」



 ソリドゥスもニヤニヤしながら手を振りつつ部屋を出て行った。


 アルジャンとデナリはバナージュとエリザの肩を押して、二人を不意討ち的に引っ付けた。



「では、邪魔者は消えますので、存分に致してください」



「コウノトリさん、早く来るといいですね~」



 二人はアツアツ夫婦を茶化しながら、部屋を出て行った。


 なお、デナリは“コウノトリ召喚の儀式”について、王都帰還の旅路の途中で二人に教わっており、内容を理解した上での煽りであった。


 部屋の中には自分達以外誰もいなくなり、静寂がその場を支配した。


 二人は少し恥ずかしそうに見つめ合った後、もう言葉はいらないとばかりに口付けを交わした。



         ~ 第五十五話に続く ~

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