第53話  和解

 アルジャンの並外れた洞察力から導き出した、偽りなき指摘がバナージュの心を突いた。


 気付いた時には、バナージュはエリザの手を握り、じっとその顔を見つめていた。


「済まぬ、エリザ。アルジャンの言った通りだ。私はなんと狭量な心の持ち主だったのか! エリザが別れ話を持ち掛けるのも、当然ではないか! ああ、自分の不甲斐なさを恥じ入るばかりだ。その上で、我がままかってなことながら、もう一度エリザに告げたい」



 今一度、バナージュは力を込めてエリザの手を握り、深く呼吸をしてから再び口を開いた。



「エリザよ、私にとってお前が必要不可欠だ! 私と共にこれから先も歩んではくれぬか?」



「お断りします」



 きっぱりと言い切るエリザであったが、その意を即座に汲み取ったバナージュはニヤリと笑った。



「ああ、そうだったな。この問いかけでは断るよな、エリザは。投げかける言葉はこうだったな。エリザよ、一緒に歩もう。私に付いて来い!」



「はい、どこまでもお供いたします」



 王とは国家における最高権力者であり、人々は王の指さす方向に進んで行く。王が進み、それに付いてくる。ならば、王は勇気があり、知性があり、それを以て行動に討つし、皆に見せねばならない。


 付いて来い。自身に満ちた指導者をこそ、人々は求めるのだ。


 エリザはそれを常々示してくれており、バナージュはそれに勇気づけられた。


 自然とバナージュは愛する妻を抱き寄せた。気が強すぎるのは少々玉に瑕であるが、その並外れた胆力と機転の速さは、バナージュを幾度となく助けてくれた。


 なればこそ、自分自身もより強くなり、この女性を伴侶とするに相応しい男にならねばと決意を新たにした。


 そして、その息子夫婦の抱擁をしみじみと眺めるレイモンは、目が潤んできていた。今、目の前で繰り広げられている二人の後継は、かつての自分と亡きミラとのやり取りに、よく似ていたからだ。


 昔を思い出し、ついついしんみりとした感情がジワリと湧いてきた。


 ところが、ここで予想外な事が起こる。誰も彼もが忘れていたのだが、この場には空気を読まない特大級のバカがいた事を失念していた。



「何をしんみりなさっておいでなのですか、陛下。そもそも、事の発端となった勘当の一件ですが、あれは陛下の思い違いから来ているのですよ」



「な、なんだと!?」



 アルジャンに凄まれ、レイモンはしんみりした気分をかき消され、ただただ狼狽した。



「病床に三人の息子を呼ばれ、自分の治世はどうであったかと尋ねたそうですが、上二人は明らかな“おべんちゃら”によるご機嫌取り。一方のバナージュ殿下は『特に申し上げることなどありません』と素っ気ない態度に失望し、上二人が煽ってそのまま喧嘩別れ」



「お、おう、そうじゃな」



「それが間違いなのです! 常日頃から感謝と敬意を抱いているからこそ、バナージュ殿下は改めて申し上げる事はないと言ったのです。その言葉の機微に気付けないほどに耄碌したのでしたらば、老醜を晒す前に、さっさと隠居なさるがよろしいでしょう」



 もはや極刑ものの暴言であったが、アルジャンのあまりの迫力と言いくるめによって、レイモンは固まってしまい、何も言い返せなかった。


 なお、バナージュとエリザは抱き合ったまま固まり、首だけをアルジャンに向けていた。


 そして、そのアルジャンが二人の前に立ち、冷ややかな視線を浴びせた。



「そもそも殿下も悪い。都落ちの馬車の中でこう言っておられたそうですね。『後ろめたさを感じている者もいるようだが、言葉をかけねば通じぬこともあるであろうに』と」



「あ、ああ、そうだな」



「ならば、あなたご自身はどうなのですか!? 国王としては敬意を抱きつつも、父親としては嫌い、陛下とまともに話すことを拒まれました。それでよく他人の事をあげつらえますな! 王となられるのでしたら、今少し研鑽なさってください!



 これまた容赦のない言葉に、バナージュは焦りながら無言で何度も頷くよりなかった。


 さらに、アルジャンはエリザにまで冷ややかな視線を送り、それを感じたエリザは迫力に圧されてか肩をビクリとさせた。



「あの、エリザさん、大変申し上げにくいのですが……」



「え、な、何?」



「礼儀作法については大変の修練を積まれて、貴婦人らしい振る舞いができるようになりましたが、メッキが剥げれやすいようでございますね。これを早めに修正しておきませんと、『首絞めが得意な王妃がいるらしい』などと言う評が、後世まで伝わりかねませんのでご注意を」



 場の空気を完膚なきまでに粉砕し、その場の全員を唖然とさせた。



(あれ? もしかして、アルジャンって怒らせると怖い?)



 実際、初めて見た幼馴染の憤激の場面を見て、ソリドゥスも冷や汗をかいていた。


 国王に暴言を吐き、そのまま次期国王まで叱責し、その妃にダメ出しをする。これら一連の動きがただの“庭師の息子”だとは思えないほど常軌を逸していた。


 【バカ正直な皮肉屋】、ここに極まれりであった。


 なお、アルジャンは言うべきことを言えなので、すっきりしたと言いたげな顔になっていた。仕事は終わった、そう満足げにアルジャンは満ち足りた顔になり、自らの定位置と言わんばかりにソリドゥスの横に立った。



「お嬢様、これですべての和解が成ったと思いますが、いかがでしょうか?」



「ええ、完璧な仕事よ。それでいて、完膚なきまでに破壊してきたわね」



「いえ、あれは言わずにはいられなかったので。このままでは後世のエリザさんの評が、色々と大変なことになりそうなので、今のうちに修正を加えておいた方がよいでしょう。あと、陛下も、殿下も、今少し器用に生きられないのかなと」



「あぁ~、うん、それも認める。もう少し近付いて話せていれば、もう少しましな状況だったかもしれないけどさぁ……」



 納得せざるを得ないこともあるが、とにかくこの男には心配りデリカシーが無さすぎると、ソリドゥスはどっと疲労感が湧いてきた。



「もう少し時間や場所を選べないの? あのまま和やかな雰囲気のまま、ゴールインさせればよかったのに。空気を完全に破壊して!」



「いやぁ~、見ごたえのある展開でしたな。最終コーナーを抜けて、最後の直線に入ったところで、“幸運の牝馬”は最後尾。されど、なぜか他の馬が次々と落馬や転倒で一気に抜き去る。挙げ句、なぜかゴール直前で観客席に突撃して暴れ回り、すっきりしたのか悠然とゴールイン」



「そんな脚本、書いた覚えはないんだけど!?」



「ええ、いささか面白みに欠ける展開でしたので、一部修正を加えておきました」



 一部どころの話ではないだろうと思いつつ、まあなんやかんやで解決したしと考え、ソリドゥスは良しとした。



「ソル姉様! 早急にアルジャンの性格を矯正して、今度のために修正しておくべきかと思います!」



「あのさぁ、デナリ、それで直るなら苦労はしないし、そうしてる。これをどうこうできるんなら、毎日でもお祈りに、教会へ足を運ぶわ」



「俺のどこに修正の必要性があると?」



「「ほぼ全部!」」



 千語は文句の言いたげな姉妹に睨まれたが、アルジャンは平然と流してしまった。


 ここで笑いが起こった。声の主はレイモンであり、豪快に大口を開けて大いに笑った。



「いやぁ~、中々に愉快な者達じゃな、バナージュよ」



「なんと申し上げてよいやら。頼りになりますが、恥ずかしいと言うか、賑やかと言うか」



「よいよい。気兼ねなく話せる相手と言うのは貴重だぞ。王になってしまえば、そんなことなど言ってられなくなる。人の目と言うものや、立場と言うものがいつも付いて会わるからな」



「左様でございますな」



 なにしろ、一挙手一投足、一言一句、人々の晒されるのが王と言う立場だ。言動には細心の注意が必要である、下手な振る舞いは人心を離れさせ、あるいは隣国との衝突にも繋がりかねない。


 そんな状態では、気兼ねなく話せる相手と言うものは、なによりも貴重な存在となる。



「あいにくと、ワシにはそんな相手はミラしかおらなんだ。あとはあの性格の捻じ曲がった悪徳商人くらいじゃ。しかし、お前には四人もおる。大切にすることじゃ」



「はい、生涯にわたって大切にいたします」



「結構! じゃがな、一つだけ、お前に言っておきたい事がある」



 レイモンはニヤリと笑い、息子夫婦を見つめた。



「ワシの嫁の方が美人であったぞ」



「あ、それは承知しています」



「ちょっと!」



 まさかの親子共演のボケにツッコミを入れることになるとは、さしものエリザも考えてはおらず、ついつい声を張り上げてしまった。



「バナージュ! あなた、そこは嘘でも、自分の嫁の方が美人です、と言うべき場面では!?」



「母上に関することでは、嘘を付けん。少なくとも、母上は相手の襟首を掴んで、ブンブン振り回すようなことはしなかったからな」



「あ、はい、すいません」



 その点だけは言い訳のできない事であり、エリザは引き下がらざるを得なかった。



「まあ、お前のようなへっぴり腰には、尻を引っぱたくくらいの気の強い嫁の方がよいじゃろうな。それで、これから二人でどのような国を築いていきたいと考えているのか?」



 さりげなくではあるが、重要な言葉がレイモンの口から飛び出した。


 国を築く、明確に自分の後任をバナージュとする旨を表明した瞬間であった。



         ~ 第五十四話に続く ~

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