第52話 覚悟
「決まっています。“またしても”バカな男を紹介した、その責任でございますよ。婚姻無効、よろしくおねがいしますね」
「えぇ!? また!?」
よもやの要求に、さしものソリドゥスも驚き、どう返すべきか迷った。
だが、それ以上に困惑しているのは、別れる切り出されたバナージュであった。
すでにその表情は絶望に支配されつつあった。
「え、エリザ、なぜそのようなことを!? 私を愛してくれているのではないのか!?」
「おだまりなさい! 私が愛して、婚儀を結んだのは、バナージュ=デカンであって、腑抜けた女々しいバナージュ殿下なる者ではございません! 殿下などと再び呼ばれるようになって、色々と緩んでらっしゃるのでなくって!?」
エリザは再びバナージュの襟首を掴み、ブンブン振り回し始めた。
色々とまくし立て、バナージュは言い返す隙すら与えられず、レイモンもまた息子の嫁の苛烈な振る舞いに、オロオロするばかりであった。
「う〜ん、エリザさん、過激ですね。何と言うか、喧嘩慣れしてますよね」
「そりゃ、ザックとしょっちゅうやり合ってたからね。口調はあれだけど、手慣れたもんでしょうね」
などと呑気な態度で眺めるソリドゥスとアルジャンであったが、どうにかせねばとも考えていた。
「やれやれ、仕方ないか」
「何かいい手でもお有りで?」
「うん、大商人ソリドゥスにお任せあれ、ってね」
「もう嫌な予感しかしませんな」
やかましいと生意気な従者を軽く小突き、ソリドゥスはエリザに歩み寄った。
「あ〜、エリザ、婚姻無効なんだけどさ。早速、司祭様の所に行ってくるけどいい?」
「お、おい、ソリドゥス!?」
バナージュは絶望した。助け舟を出してくるかと思いきや、いきなりトドメを刺しに来たからだ。
「えっと、また“生き別れの兄妹”ってことにしとくけど、それでいいかしら?」
「待て待て! そこの悪徳商人よ、話がややこしくなるから、それだけはやめよ!」
今度はレイモンが止めに入った。
レイモンは息子に従っていた四人について、身元調査を行っており、その素性は把握していた。
その過程で“婚姻無効”の工作を行っていた事に気付き、それを主導したソリドゥスに、さすがはあいつの孫だと笑ったほどだ。
「ザックだったか、前の亭主は」
「左様でございます、陛下。今はエリザの“兄”ですが」
「そう、それだ。また“生き別れの兄妹”で別れさせると、バナージュとザックなる者まで血縁になってしまう! 四番目の王子なんぞ、作った覚えはない!」
レイモンとしても、これ以上の火種は勘弁であり、全力で阻止せねばならなかった。
「ああ、なるほど。それは問題でございますね。なら、バナージュ殿下は種無し! 性的不能者ということにして、“健全な”夫婦の営みはできないとして、夫婦の資格なしとしましょう!」
「それもダメじゃ! というか、王となる者が背負い込んでよい看板ではないぞ! 次世代の火種になりかねんわ!」
「ワガママですね〜。というか、種無しなのに火種を撒くとはこれいかに? グダグダ言って提案を潰してしまうとは、国家権力の横暴というやつでしょうか?」
「喧しいわ! ほんと、祖父によく似とるな、その喋り方といい、煙に巻く手管といい!」
「お褒めに預かり、光栄ですわ、陛下♪」
一国の王に対して、この言い草である。その図太さは却って笑いを誘い、デナリは腹を抱えて笑い始めた。
エリザもいつの間にか、バナージュから手を離して笑い始め、バナージュもそれにつられて苦笑いを浮かべた。
なお、これでも表情一つ動かさなかったのは、アルジャンと近衛隊長の二人である。
隊長は訓練によって、いかなる場面に出くわそうとも、我関せずを続けて置物になれるやようになっており、アルジャンの方はソリドゥスの奇行に慣らされて、“この程度”では動じなくなっていた。
そのアルジャンが歩き出し、サッとソリドゥスの前に躍り出て、バナージュの前に立った。
「さて、お嬢様の渾身のジョークによって場が和んだことですし、そろそろ本題に入りましょうか」
アルジャンの物言いには文句もあったが、ここは任せるべきかと考え、ソリドゥスは大人しく下がった。こういう時にこそ、この無駄口は多いが、知恵と洞察力に優れた従者の出番であると信用すればこそである。
「バナージュ殿下、あなたの母を慕う気持ちは本物であり、その母を愛していると言いながら蔑ろにした陛下を許せない。そういう認識でよろしいですね?」
優しく諭すように、静かにアルジャンは尋ねた。
バナージュも姿勢を正して長椅子に座り直し、アルジャンに視線を向け、頷いた。
「いかにもその通りだ。愛していると言いながら、行動がそれに乖離している。それが私には許し難い!」
「なるほどなるほど、でありますか。ならば、俺はこう言わせていただきます。それは勘違い以外のなにものでもない。あなたの独り善がりの舐め腐った、児戯にも等しい“駄々”でしかない、と」
王子に向ける台詞としては、辛辣極まる言葉であった。アルジャンとバナージュの付き合いでなければ、そのまま斬り捨てられても文句の言えないほどの暴言だ。
しかし、バナージュは怒りの感情を抑え込み、世界一の正直者の顔を見た。
相手を嘲る雰囲気は一切なく、真っ直ぐな、それでいて友人に正しい道を教えようとする、そうした温かみすら感じさせた。
「何が私の勘違いだというのか?」
「殿下、あなたの台詞はあなたの考えや経験から発せられたものであり、そこに“母親”の考えが欠如しています。亡くなられたミラ王妃様もまた、あなたの父上であり、国王たるレイモン陛下を誰よりも愛していた、と言う事をです!」
なんとも大仰な振り付けと共に打ち出された台詞に、ソリドゥスとデナリは危うく笑いそうになったが、嘘はない事は分かっているし、本心からそう思っているであろうことは疑っていないので、必死に笑いを堪えつつ見守る事とした。
「母上の気持ちだと!? アルジャン、お前に何が分かると言うのか!?」
「まだお気付きになられませんか? ならば、お尋ねいたしましょう。病床にあった御母君は、陛下に対して、一言でも泣き言や恨み言を吐かれたことはおありでしょうか?」
そう指摘されて、バナージュは当時の事を思い出した。アルジャンの指摘通り、熱にうなされて息絶えようとするその瞬間まで、父に対して何も言っていなかったということを。
「それは耐えていたのです。必死で働いている夫の仕事の邪魔をせぬよう、病の苦しみと合わせて、愛する人と会えない、会えなくなる、と言うことを耐えていたのです。一言自分で呼べば飛んで来るかもしれないが、それでは王としての仕事を放り投げることを意味してしまう。王の支えとなるのが妃の仕事であるならば、自身もまたそれを全うしようと、せめて邪魔にならないようにと口を噤まれた。その気高き御心を、息子のあなたがなぜ分かってやれないのですか!?」
アルジャンの言葉を聞き、ソリドゥスはそう来たか、と素直に感心した。今まで関係者から聞き感じた情報や表情から洞察し、その答えに行きついたのだ。
現に、ちらりとみたレイモンの表情はなんとも言えない哀愁を漂わせていた。
子に向けて発したくても発せなかった言葉。自分で言ってしまえば言い訳がましく聞こえてしまうそれを、寸分違わず洞察し、子に伝えてくれた事へのアルジャンに感謝と、他人の口からだがようやく愛する人の事を吐露できたことへの解放感が、あるいはそうさせたのだ。
「バナージュ殿下、二人は本当に愛し合い、誰よりも互いに理解していた。余計な言葉など両者の間には不要でした。それを御子であるあなたが、理解してやらなくてどうするのですか?」
「だが、しかし……」
「なにより、これはあなた自身に突き付けられた命題でもあります! ド田舎の小領主から王妃として陛下と暮らされることとなり、それは苦労も多かったでありましょうが、それを乗り越えて陛下とは昵懇の仲となり、今も陛下の心の中に深く刻まれるほどの愛を育まれました。ならば、あなたはどうか!? あなた自身も農家の娘を娶られ、父母の進んだ道を奇しくも進まれようとしている。もしここで御母君の意志を汲んでやらず、共に歩んできた陛下をなじるのであれば、それはエリザさんの努力と志に泥を塗る行為になりましょう! あなたにとってエリザさんとの関係は、“その程度”の関係なのですか!?」
アルジャンの指摘は正しい。正しいからこそ、バナージュは何も言い返せなった。
なぜ、こんなことを気付けなかったのだろうか。なぜ、母親の気持ちと言うものを考えれなかったのだろうか。
答えは一つ。心のどこかで理解していながら、父への反抗心を前面に出し過ぎて、父への恨みが何もない母の気持ちを、汲み取ろうとしなかったのだろう。
汲み取ってしまえば父へ反抗する理由がなくなり、今まで散々それを理由に父を攻撃してきた自分が、なんともバカバカしい存在に落ちてしまう。そんなことを考えていたのだろう。
考えれば考えるほど、自分がなんとも小心であることを思い知らされた。
アルジャンの並外れた洞察力から導き出した、偽りなき指摘がバナージュの心を突いた。
気付いた時には、バナージュはエリザの手を握り、じっとその顔を見つめていた。
~ 第五十三話に続く ~
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