第41話 大人達の評価
ソリドゥスが勢いよく部屋を飛び出し、皆が呆気に取られる中、アルジャンが部屋に入って来た。杯には
手元の小壺には
なお、アルジャンは配膳が終わると、堂々と空席に腰かけた。先程までお嬢様が腰かけていたのに、お構いなしである。
「豆は王都から持って来た。砂糖は、さすがにないがな」
「ハハッ。さすがにここでは砂糖なんぞありませんからな。最高の甘味と言えば、たまに取れた蜂蜜でございました」
今や甘味と言えば砂糖なのだが、かなり高価なため、庶民には祭りの際にどうにか食べれるかどうかと言う貴重品だ。田舎の方にはそれほど出回っていないため、より高価になっており、地方民にはまだ馴染みのないものであった。
老紳士もこの田舎村の出身であるため、王都に移住するまでは砂糖など味わったこともなく、甘味は蜂蜜か果物かという有様であった。
「ああ、美味しいでございますね」
「豆自体は上等な物だからな」
「そこは淹れ手が達者だと、褒めるところですぞ、若」
老紳士の指摘にバナージュは笑い、アルジャンもそうだと言わんばかりに頷いた。それに釣られてエリザもデナリも笑った。
なんとも和やかな雰囲気であり、ずっとこのまま静かに暮らしていたいとも思えてきた。
だが、王都の混乱は増す一方であり、帰ると決めた以上はそんな誘惑に負けるわけにはいかなかった。
「うむ、改めて決めたぞ。王都に戻り、また皆で美味しい
「左様でございますな。未成年もおりますし、酒はご法度にございますから」
「おお、そうだな。デナリにはまだ少々早いな」
ここでまた笑いが起きた。
なお、デナリにはそれが不満らしく、プクゥっと頬を膨らませた。
「もう、ソル姉様みたいに言って! もうじき十三になるんですよ!」
「おお、そうかそうか。だが、せめて十五を過ぎてからな」
「さらに二年か~」
先は長いな~、とデナリは来るべき時の到来を願った。
「そういえば、バナージュさん、エリザさん、聞いておきたいことがあるんですけど」
「なにかな?」
「ソル姉様から聞いたんですけど、お二人がやっている、“コウノトリ召喚儀式”って何ですか?」
まさかの質問に、バナージュとエリザは同時に
「ガハッ、お、おい、デナリ、ソリドゥスからそんなこと聞いたのか?」
「はい。儀式の邪魔になるからって、よく屋敷の外に引っ張り出されます」
「お、おう。ぎ、儀式は他人に見せちゃダメだからな、うん」
どう答えるべきか迷うバナージュであったが、エリザも無理ですと言わんばかりに視線を逸らしてしまった。
「ぶぅ~、二人とも教えてくれない。あ、アルジャンは儀式の事、知っている?」
吹き出すことなく冷静なアルジャンに話しを振り、よし助かったとエリザもバナージュも心の底から安堵した。
「儀式についてか? 知っているぞ」
「やった事あるの?」
「ああ、親父の取り計らいで、
「おお、ならどんなことするの?」
ズケズケと質問するデナリに、バナージュとデナリは別の意味でハラハラしてきた。今は席を外しているが、ソリドゥスに知れたら面倒なことになると思ったからだ。
しかも、相手はアルジャン。どういう“迷”回答が飛び出すか、怖くあった。
「えっと、そうだな、熟達者からの伝授が必須と考えた方がいい」
「あ、そうなんだ。なら、エリザ、教えてよ!」
「ああ、流れ矢が!」
アルジャンの回答がエリザに突き刺さり、一気に追い込まれた。
どう返すべきか夫に助けを求めて視線を流し、バナージュは必死で考えた。
「あぁ~、デナリ。儀式は秘儀で、しかも一部の例外を除いて、夫婦間で執り行うという決まりになっているのだ。ゆえに、エリザは教えられん。なあ、アルジャン?」
ここでバナージュはエリザから難問を引き剥がし、再びアルジャンに回すことに成功した。エリザは夫の機転に感謝し、より一層の好感を得た。
「アルジャンは誰とも夫婦になってないのに儀式を行ったんなら、一部の例外に該当するんでしょ? なら教えてよ!」
「やめてくれ。俺にも人を選ぶ権利がある」
アルジャンは全力で拒否した。
そこへどこかへ出かけていたソリドゥスが戻って来て、なにやら盛り上がっている場の雰囲気に飛び込んできた。
「おお、なんか面白そうな事を喋ってるわね。何か面白い事でもあった?」
「コウノトリの儀式について話してた!」
空気を読まないデナリによって、場の空気が完全に崩壊した。凍り付いたと言ってもいい。
自分の離席中に妹がとんでもないことになっていたと言う事を知り、ソリドゥスはバァンと机に手を打ち下ろした。
「あのさぁ、三人とも、妹になに吹き込んでいるの!?」
怒り心頭で、眉のあたりがピクピクしているソリドゥス。
「待て! 何も話してはおらん!」
と必死の弁明のバナージュ。
「そうです! やましい事は何もないです!」
と全力否定するエリザ。
「儀式のお誘いを受けましたが、断りましたよ」
シレッと言い切るアルジャン。
最も悪いタイミングで【バカ正直な皮肉屋】が炸裂した瞬間であった。
当然のごとくソリドゥスは激怒し、アルジャンの襟首を掴んで捻り上げた。
「あんた、なぁに妹に粉かけようとしてんのよ!?」
「ですから断りましたよ。『俺にも人を選ぶ権利がある』と言って」
「あたしの妹が可愛くないってか!?」
「うわ~、面倒臭いなぁ~」
その後も二人の間で色々と埒のない激論が交わされた。エリザとバナージュはアルジャンが盾役になっている限りは安心だと考えて沈黙を守り、デナリは訳が分からず首を傾げるだけであった。
「あぁ~、ソリドゥスお嬢様、なにか渡す物があると伺っておりますが、いかなる御用向きでございましょうか?」
ここで老紳士が年の功による会話切断が入った。延々続きそうだと考えたので、仕事の事を思い出させ、会話をぶった切ったのであった。
ここですんなりソリドゥスが引いた。持って来た案件が重大な物であり、ちゃんと依頼しておかねばならないことだと思い出したからだ。
「えっとね、これをお願いしたいの」
そう言ってソリドゥスは封書を取り出し、それを老紳士に渡した。
「こちらは?」
「お兄様に宛てた手紙です。可愛い妹が都落ちからの、華麗な帰還ですよ~、って。色々と準備してほしいものがあるので、執事さんが王都に戻った際に、パシー商会に届けておいてください」
「畏まりました。必ずお届けいたします」
老紳士は確かに受け取ったと、ソリドゥスにお辞儀をして了承とした。
「さて、アルジャン~、続きを、って」
改めて向き直ると、そこにはすでにアルジャンの姿はなかった。
「アルジャンなら、下膳に行きましたよ」
デナリの言う通り、テーブルの上にはすでに、杯もお盆もなくなっていた。
「こらぁ! あたし、まだ飲んでないんだけど!? こら、アルジャ~ン!」
ソリドゥスは大慌てで駆けだしていき、アルジャンを追って台所の方へと向かった。
デナリも当然のごとく、姉の後を追って部屋を出ていった。
「元気のいいことですな。人前ではしっかりとしているというのに、身内だけの時ではあのような感じで。場が明るくなりますな」
「まあ、爺やの言う通りなのだが、いささか持て余し気味ではあるがな」
バナージュは振り回されている自分の境遇を、嘆きつつも楽しんでいるのであった。
なにしろ、事の発端は祭りの余興で参加してしまった
あの日から、バナージュの世界は激変を遂げ、今に至っていた。
子供の悪戯であり、商人の手管であり、それに散々振り回されたのだ。
だが、それを不幸だなどとは微塵も考えていない。なにしろ、かけがえのない愛する妻を手にし、得難い友人を伴う事となったのだ。
これ以上にない偉業と言えるかもしれない。
「案外、二、三年後には、姉妹でアルジャンを取り合いしているかもしれませんよ」
「それはなかなか楽しい未来図だな、エリザ。どんな喜劇が生まれるやら。そうなった場合、どっちを応援する?」
「煽って楽しいのはソリドゥスお嬢様、騙って笑えるのはデナリ、といったところでしょうか?」
「我が妻も良い性格をしている」
夫婦揃って笑い出し、まだ見ぬ楽しい未来の登場を願った。
「ときに若、あの三人は今後どうなさいますか? 王位に就かれますと、今こうしているような事はできなくなってしまいますが」
「なに、欲する物は知っている。それを与えて、どうするかは当人らに委ねるとしよう」
「それは?」
「“御用商人”の勅書だ。あれさえあれば、王宮での商売が認められるからな。店すら持たぬ小さな商会に渡すのは異例ではあるが、“国王夫妻の友人”には持っていてもらわねばなるまい?」
「王宮に気兼ねなく入って来れる、というわけですか。子供の玩具にしては破格ではありますが」
「そういつまでも子供扱いしてやるな。あれらはもう立派な大人であり、商人だぞ」
そう言うと、バナージュは三人が出ていった扉の方に視線を向けた。
「ソリドゥスは商人としての資質に恵まれている。目利きは本物であるし、行動力にも優れ、話術も長けている。特に抜け目のなさは毎度驚かされる。足りていないのは、自己資本と経験だけだ。それさえ補えればいい商人になるだろう」
「それは時間が補ってくれるでしょうね」
この夫婦もソリドゥスの仕掛けた悪戯から始まっており、はっきり言って感謝しかなかった。商人を志してその道を進むのであれば、それをいくらでも後押しする気でいた。
「デナリは真面目でいい子だ。黙々と働くし、愛想もいい。なにより、字が奇麗だ。当人が望むなら、すぐにでも祐筆として雇い入れたいくらいだ」
「私にとっては、最大の先生でもありますからね。あの子がいなければ、まだまともに読み書きができているかどうか」
デナリもまた二人の評価が高かった。一番年下で可愛らしいというのもあるが、いつまでも側に置いておきたいと思わせる何かがあった。
「アルジャンも得難い人材だ。普段はノホホンとしているが、まるですべてを見通しているかのような振る舞いが時折見られるし、異常なほどに頭が回る。“余計な一言”さえなければ完璧だ」
「まあ、その“余計な一言”が致命傷になるんですけどね」
掴みどころがなく、どこか恐ろしいが、それでも抜けがあるために人間味を感じ、笑いを誘われるのがアルジャンの良さであり、怖さでもあると二人は評した。
【なんでも鑑定眼】のソリドゥス。
【複写の筆運び】のデナリ。
【バカ正直な皮肉屋】のアルジャン。
いずれも個性的な能力である。“
だが、揃ったからには使わないと損だと考える、小さな大商人ソリドゥスの策でもある。
状況は整い、条件は揃った。
『一国の王を仕立てれば利益は万倍』
ソリドゥスの祖父の言葉が、孫の世に再び現実のものになろうとしていた。
~ 第四十二話に続く ~
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