第38話  混迷

 バナージュの兄王子が二人揃って死んでいるという情報。それは面倒極まることであった。



(そう来たか。面倒事の中でも、最悪をキメられてしまった)



 ソリドゥスはどうにかギリギリ表情を崩さずに堪えたが、心の中では舌打ちを連発していた。


 バナージュも突然の兄弟の死に驚き、危うく驚いて腰を浮かせそうになったが、エリザに今度は肩を抑えつけられ、立ち上がる動作を封じられた。



「なぜ、両殿下がお亡くなりになられるような事態に?」



「少々長くなりますが、お話しいたします」



 使者が言うにはこうであった。



                 ***



 仕掛けたのは第二王子のシーク陣営であった。シークの取り巻きであったとある貴族の若者が、第一王子のグランテに“悪戯”を施し、少しばかり痛い目を見せてやろうと、グランテの鞍に細工を仕掛けたのだ。


 グランテの普段使っているそっくりな鞍を用意した。その鞍は見た目こそ瓜二つなのだが、あぶみに細工が施されており、鐙に一定以上の重さがかかると切れてしまうようになっていたのだ。


 密かにすり替えられ、そうとも知らずにそれを主人の愛馬に厩舎番が取り付け、グランテが馬で出かけると、その仕掛けが予想通り作動した。


 さて、これで武勇に優れたるグランテが落馬して、情けない御方だと笑い飛ばそうとしたのだが、予定外なことが発生した。


 グランテは落馬した際の打ち所が悪く、そのまま亡くなってしまったのだ。


 事情を知らないシークは、思わぬ競争相手の脱落に狂喜乱舞し、これで次の国王は自分だと大いに盛り上がった。


 ところが、その罠を仕掛けた取り巻きが、罪悪感から事の次第をシークに告げると、秘密にしておけばよいと口止めを促し、忘れろとばかりに酒を大いに飲ませた。


 そして、前後不覚になるほどに酔わせた後、足元がふらつくままにバルコニーの欄干から突き落とし、転落死させた。


 これで秘密を知る者もいなくなったと安心していると、今度はその取り巻きの父親が騒ぎ始めたのだ。


 事件を起こした取り巻きはかなり筆まめな性格で、日誌を残していたのだ。しかもあろうことか、「第一王子の鞍に細工を施した。これであのバカ王子は無様を晒すぜ!」とわざわざ武勇譚として書き込んでおり、事の次第が発覚したのだ。


 取り巻きの父親はその事実を知ると、自分の息子がシークにけしかけられて暗殺を目論み、事が成った後に口封じをされた、と勘違いしてしまったのだ。


 これで騒ぎが大きくなった。


 なにしろ、件の取り巻きがグランテの使っていた厩舎近くで目撃されていた事、その取り巻きがシークの下へ訪問した後に死亡している事など、父親の推理が正しいとしか思えない状況が積み上がっていたのだ。


 唯一なかったのは、シークからの暗殺指示であったが、こうなっては誰もシークの弁明を聞く気にならなくなってしまった。


 “事実”を知って激高したグランテ派の貴族は、怒涛の如くシークの邸宅に押しかけ、卑劣漢めと非難と罵声を浴びせることとなった。


 シークは暴漢達を宥めるべく、自らが説得に当たったがそれでも怒りは収まらず、押し掛けた者の一人が勢い余ってシークを短剣で刺してしまったのだ。


 これが元となり、シークも程なくして亡くなってしまった。


 立て続けに後継候補を失い、国王レイモンは失意のうちに倒れてしまったが、それでもどうにかせねばと考えた末に、バナージュを呼び戻す気になった。



                ***



「……以上が、現在の王都の情勢にございます」



 使者の説明を聞き、全員があまりの状況の変化に絶句した。王都を出立してから、まだ一月も経っていないというのに、あまりに状況が変わり過ぎていたからだ。



(二人の王子もつまらない死に方をしたわね。でも、有力な後継者が揃って亡くなってしまったということは……!)



 ソリドゥスはある可能性に気付き、視線を使者に向け直した。



「ご使者の方、王都の情勢はどうでしょうか? “他の王族”は騒がしくなっておりませんか?」



 通常、家督の継承は当主の直系男児が優先するのが慣わしだ。そのため、この国においては、グランテ、シーク、バナージュの三名がその対象になる。


 しかし、長男次男が揃って亡くなり、三男は勘当されて追放処分となると、継承権は行方を失うのだ。


 結果、王家の分家筋の人々が我こそが次の王だと名乗りを上げて、混乱に拍車をかけてしまう恐れがあった。



「私が出立した当時は、まだ直接的な衝突は起こっておりませんが、それも時間の問題かと思われます。すでに幾人もが派閥を立ち上げようと動いており、中には領地に戻って戦の準備まで始めようかと言う勢いの者までおりました」



 最悪であった。事情を把握すればするほど、王都に帰還できる情勢ではなかった。


 そんな混乱している状態の王都に戻ってしまえば、騒乱に巻き込まれる可能性が高い。最悪、王位継承権を狙って復権して戻ったバナージュを狙って、刺客を放ってくる可能性すらあった。



「この混乱に対して、陛下は何をなされているのか!?」



「それが、私に指示を出した後、病状が悪化されまして、熱にうなされており、事態の収拾に動けない状況になっております」


「ああ、そっちもダメか」



 ますます悪い状況であった。



(有力な後継者が揃って倒れ、王様も動けず、貴族が不穏な動きを見せる。誰も事態の収拾に動けないでいるわね。あとは、危険を承知でバナージュを帰還させて、正式に王太子として立てて、騒乱を抑えるしかないか……)



 面倒なことになったなと、ソリドゥスはため息を吐き出したい気分になった。



「事情は分かりましたが、こちらには関係のない話です」



 誰もがどうしようか悩んでいる状況で口火を切ったのは、エリザであった。エリザは相変わらず使者に対して冷たい視線を維持しており、表面的は冷たさとは裏腹に、心中は怒りの炎を燃え上がらせていた。



「わざわざご足労いただいた使者殿には申し訳ありませんが、夫も私もここを動くつもりはございません。どうぞあなたが築いた王国が傾いていく様を眺めながら、心安んじてお眠りください。そう陛下にはお伝えあれ」



 エリザの口から発せられた言葉は、いつもの顔触れすらドン引きするほどに辛辣な内容であった。


 当然、使者もあまりの言葉に驚き、それから僅かに遅れで激怒した。



「御夫人、なんという暴言にありましょうか! いくらバナージュ様の奥方と言えど、陛下に対して口が過ぎますぞ!」



「ほほう。今のがあなたには暴言に聞こえましたか」



 エリザは怒りを抑えつつも、その手はブルブルと震えており、握り拳を作っていた。そろそろ限界では、といつもの面々には伝わっており、身構えた。



「使者殿、あなたは御結婚なさっておりますか?」



「しています。つい先年、娘も授かりました」



「それは重畳。では、妻子が何者かの辱めを受けたとして、あなたはそれに対して、どうなさいますか?」



「無論、その下手人に報いを受けてもらいます。地の果てであろうと追い詰め、必ずや迂闊な行いをあの世で悔いてもらうでしょう」



「ならば、私の怒りもまた正当ですね」



「な……」



 あまりの返しに、使者は絶句した。


 なにしろ、バナージュが勘当される原因となったのは、恋人の出自の低さを指摘され、なじられたことが原因であるからだ。


 なじったのはあくまで兄王子二人であるが、その際の口論で冷静さを失い、結果としてバナージュと喧嘩別れしたのだ。


 エリザに言わせれば、例え義父であろうとも、その時点で夫へ暴言を繰り出した愚か者扱いなのである。


 そして、妻子が辱めたら当然激怒すると、使者は自分の口で話してしまった。


 その基準に従えば、先程のエリザの言葉は暴言でもなんでもなく、伴侶への愛情の強さの表れでしかない。



「で、ですが、陛下へ向けられる言葉にしては、あまりに相応しからざるもので」



「黙れ! いい加減、しばき倒すわよ!」



 エリザの口調が以前のそれに戻っており、教養と作法でメッキされた貴婦人が、今や憤激する村娘へと変じていた。


 勢いよく席から立ち上がり、あろうことか使者の襟首を掴んで締め上げてしまった。



「いいから、その頭の中にあたしの言葉をしっかり詰めておきなさい!」



「ぐがが」



「王たる者が、息子の嫁に暴言を吐いたのよ! バナージュが怒るのも当然だわ! それに対して怒りをあらわにした息子を逆恨みして勘当を言い渡し、自身が困ったことになったから呼び戻す! これのどこに礼や情があるっていうの!?」



「お、おちつい」



「呼び戻したいなら、まずはその事に詫びを入れるのが筋ってもんでしょ!? それをせずに、ただただ命令で戻って来いだなんて、人間として最低よ!」



「あげぐがぁ」



「戻って欲しけりゃ、自分で頭下げに来いって伝えなさい! 寝台から動けないって言うのなら、寝たまま運ばせてでも来いってね! 分かった!?」



 言うだけ言ってエリザはそのまま使者を突き飛ばし、パンパンと手を払った。言いたいことは全部言えたので、清々したと言わんばかりの顔であった。


 それから後ろを振り向き、アルジャンに視線を向けた。



「アルジャ~ン、お客様がお帰りよ~。お送りしてあげてね~」



「あ、はい」



 言われるがままにアルジャンは動き、尻もちをついて呼吸を整えていた使者の体を支えて、ゆっくりと立ち上がらせた。



「お、お待ちください。まだ話が!」



「はいはい、出口はこちらでございますよ」



 使者はアルジャンに押し出されるように部屋の外へと追いやられ、そのまま二人で玄関の方へと消えていった。


 その場に残った四人には、なんとも言い難い微妙な空気が広がっていた。


 普段は闊達で笑顔の素敵なエリザであるが、怒らせると怖い事は全員が周知していた。


 だが、今回は勅使を締め上げて、国王に喧嘩を売ったのである。さすがにただでは済まないかと思いつつも、正直スカッとしたので誰も咎めなかった。


 どころか、拍手をして褒める始末だ。



「さすがです、エリザさん! ソル姉様の次くらいに大好きです」



「それは嬉しいわね」



 エリザは拍手をするデナリの頭を撫でてやり、笑顔で感謝を示した。


 そこにバナージュが歩み寄り、ギュッとエリザを抱き締めた。



「まったく、お前は無茶をする。相手は私の父とは言え、国王だぞ。あとでどんな目に合うか、分からないのだぞ」



「大丈夫です。王都の混乱を抑え込めないほどに弱っていますから」



「図太いなぁ、エリザは」



 豪胆と一言では済ませられないほどに強い嫁に、バナージュは頼もしく感じつつも、やはりその行動には冷や汗ものだ。


 エリザを抱き締める力が、より一層強くなると言うものであった



「だが、嬉しかったぞ。父に遠慮して言えなかったことを、お前が全部言ってくれたのだからな。ありがとう、エリザ」



「何を仰られますか。そもそも、勘当されて都落ちする原因になったのは、私の事をバカにされて憤激なさったからではありませんか。王族としての地位も、領地も、全部投げ捨ててまでも、私の事で怒ってくれたのです。今回のことくらい、どうということはないですわ」



「当然であろう。愛する者のためならば、全てをなげうってでも守り抜かねば、男が廃るというものだ」



「嬉しいお言葉です。私もまた、あなたの愛の深さを改めて知りました。王子などと言う肩書などではなく、バナージュと言う一人の人間に愛し愛されることを、なによりも嬉しく、誇らしく感じています」



 すでに二人だけの世界に没入しており、これは邪魔になるなと感じ取って、ソリドゥスはデナリを引っ張るように部屋を出ていった。



「はいはい、邪魔になるから、外出るわよ~」



「邪魔になるんですか?」



「ええ、そうよ。じきにコウノトリを召喚する儀式が始まりそうだから、あたし達は邪魔になっちゃうからね~」



 グイグイ引っ張る姉の言う事がいまいち分からず、首を傾げるデナリであった。



「そういえば、ソル姉様、コウノトリを召喚する儀式って、どうやるんですか?」



「はいはい、それはまだデナリには早いからね~。その内、ちゃんと教えてあげるけど、今は覚えなくていいからね~」



 と言っても、デナリは十二歳で、そろそろ十三歳になろうかと言う時期である。


 過保護に面倒見るのも。そろそろやめねばならないなと思いつつ、いつまでも無垢な妹のままでいて欲しいとも考えるソリドゥスであった。



         ~ 第三十九話に続く ~

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