第34話  急使

 バナージュとエリザの結婚式から、半月が過ぎ去った。


 いつまでも祝賀の空気をそのままにといかないのは、田舎ゆえの人の少なさであった。


 畑を耕し、糧を得る事をしなければ、たちまち飢えてしまうのが地方の農村なのだ。金があったとしても、物がなければ買うことができない。物資の豊かな都市部とはそこが違うのだ。


 いつもの五人も畑仕事や、あるいは森での薪作りなどに追われ、実に忙しなく動いていた。


 王都とは全く違う生活様式に戸惑うこともあったが、新郎新婦は実にのびのびと楽しそうに働くし、他三名もまたそれにつられて笑い、泥だらけになりながら働いた。


 もうこの五人は家族と呼ぶべき存在になっていた。



「いやはや、誰も彼もが、すっかり土や埃まみれになっちゃったね。つい半年前まで、王子様、お嬢様なんて呼ばれる身分だったとは、誰も信じないでしょうね」



 そう言うソリドゥスもまた、服がドロドロになるまで働いていた。


 家庭菜園で多少の心得と言うものはあったが、実際に生活の中心に据えた本物の農業となると、また勝手が違うなと感じ、同じく泥だらけのデナリやアルジャンの姿を見て笑ったものだ。


 日が顔を出すと畑に飛び出し、農作業に勤しんでは泥だらけとなり、日が沈んでは家に帰る。


 こんな日々が続いた。


 なお、新郎新婦に気を遣って、ソリドゥス、デナリ、アルジャンは“なぜか”別棟で寝泊まりすることがあり、理由の分からぬデナリは『なんで~?』と聞いてくるのだが、秘密の儀式を執り行っている、以上の情報は聞き出せないままであった。


 そんな日々が日常化し、少しずつだが田舎暮らしに慣れてきた頃、それは突然やって来た。


 村の中に騎馬が一騎、大慌てで駆け込んできたのだ。


 街道からも離れ、来訪者など滅多に来ないド田舎の村に、よそ者が駆け込んでくるなど珍しい事であった。新顔五人組もよそ者と言えばよそ者なのだが、バナージュは村の領主の地位を継承しており、エリザはその奥方、ソリドゥスらパシー商会の面々はその友人ということになっており、村にすんなり溶け込めていた。


 だが、今回は完全な異物の進入である。


 いったい何事かと、幾人かの村人が集まって来た。



「村人達よ、私は王都からやって来た者だ! 火急の知らせである! さっさとバナージュ殿下の所へ案内せよ!」



 馬上からそう男が告げ、集まっていた村人達は互いに顔を見合わせた。


 どうにも反応が鈍いと使者は苛立ってきて、もう一度怒鳴ろうかと考えたが、そこへバナージュがソリドゥスとアルジャンを伴って現れた。


 三人が作業をしていた畑からも馬が駆け込んでくるのが見えて、念のために見に来たのだ。



「おお、バナージュ殿下! お探ししました!」



 使者はバナージュの姿を見るなり、馬から飛び降り、急ぎ足で近付いた。



「殿下! 火急の知らせが!」



 使者はさらに近付いてきたが、そこはササッとソリドゥスが行く手を阻み、それに続く形でアルジャンも進路を塞いだ。



「な、なんだ無礼者が!?」



「お引き取りいただきたいですわ」



 ソリドゥスは使者を睨み付けた。さらに、先程まで畑で使っていた鍬まで握られており、状況次第ではそれで殴り飛ばす気でいた。


 泥だらけの村娘とは思えぬ迫力に気圧される使者であったが、その口から飛び出した言葉がなお驚きのものであった。



「申し訳ございませんが、この地には“バナージュ殿下”なる者は存在しておりません。直ちにお引き取りください」



「・・・は?」



 使者はソリドゥスの言葉を聞き、ソリドゥスと少し離れたところに立つバナージュを交互に見た。


 そもそも、自分が使者に選ばれたのは、バナージュの容貌を知っているからであり、出会えばすぐにわかるからという判断で、王都から早馬を飛ばしてやって来たのだ。


 そして、目の前にいるのは間違いなく、第三王子のバナージュだ。服装こそ畑仕事しているのか、土で汚れているが、この距離で見間違うはずなどないのだ。 



「いや、娘よ、あちらの」



「人違いです!」



「しかしだな」



「人違いだって言っているのが分からないの!?」



 ソリドゥスはいよいよ怒り出し、鍬を両手でしっかりと握って使者を威圧した。


 それに呼応して、アルジャンもまた獲物を握った。しかもこちらは薪割り用の斧であり、鍬などとは比べ物にならないほどに武器らしい武器であった。



「王都からわざわざご苦労様ですが、あいにくこの村には“バナージュ殿下”なる者は存在しておりません。訳の分からないことを言って、こちらを困らせないでいただきたい」



 アルジャンもポンポンと斧の柄を叩き、いつでも振り回せるんだぞとアピールした。


 なお、嘘を付けないアルジャンが、目の前にバナージュの存在を否定できたのは、バナージュが王族としての身分を剥奪されているから、“殿下”でもなんでもないからだ。


 それが分からないからこそ、使者は目の前にバナージュがいながら、存在を否定されていることに混乱していた。



「警告はこれで最後ですよ。“バナージュ殿下”はここにはおられません。とっととそちらの駄馬にでも乗ってお帰り下さいな」



「お、おい、待て」



 気が付けば、使者は自分が取り囲まれていることに気付いた。目の前のソリドゥスやアルジャンだけではない。集まっていた村人達も何かしらの道具を握り、遠巻きに取り囲んで威圧していた。



「こ、この、田舎者め、こんなことをして」



「狼、よく出るんですよね、ここ」



「なに?」



「死人に口なし。人一人と馬一頭、ペロリと食べちゃうかもしれませんよ」



 騒動を聞いてか、駆け付ける村人の数がどんどん増えてきており、その数はゆうに二十名は超えていた。


 武器らしい武器は斧を持った少年程度だが、棒切れや農具と言えど、数の暴力には決して勝てない。なにしろ、その場の異物はたったの一人だけなのだ。


 よもや伝令役が追い返されるなど予想外の出来事であったが、ここの村人は狂っているのか、聞く耳を持ってくれていない。目の前のバナージュに伝えねばならないことがあるだけなのに、いないと言って妨害するだけであった。


 そして、身の危険を感じ、大慌てで馬に跨った。



「王都からの使者に対してこのような事をして、ただで済むと思うなよ!」



「負け犬の遠吠えにしか聞こえませんわね。何度も言いますが、バナージュ殿下はここにはおられません。そう陛下にお伝えなさい!」



「んなぁ!?」



 ソリドゥスの言葉に使者は目を丸くして驚いた。誰が誰に使者を送ったのか、それを理解した上で、道を遮り、妨害を企てたということを知ったからだ。


 周囲を取り囲み、威圧し、果ては殺意まで向けてきた。それも、国王から王子への使いだと分かっていながら、お構いなしに噛みついてきた。


 信じられないと思いつつも、この場に留まることは危険と判断し、ただの田舎者に追い返される屈辱と、任務を果たせぬ歯がゆさを胸に抱き、這う這うの体で逃げ出した。


 その走り去る姿が見えなくなるまでその場の人々は警戒したが、馬影が完全に見えなくなるのを確認してから、揃ってバナージュの側に歩み寄って来た。



「いや~、バナージュさん、無事でよかったな~」



「んだんだ、横柄な奴だったな~。都の人間はみんなああなんかい?」



「よそ様の土地に来た時の礼儀ってもんが、全然なっとらんな!」



 集まっていた村人がワイワイ騒いでいたが、当のバナージュは困惑していた。


 王都からやって来た、ということは当然、王都で何かが起こったと言うことを意味していた。そうでなければ、わざわざ勘当からの都落ちした元王子に使いを出すなどありえないことだからだ。



「バナージュ、そんな難しく考える事はないですよ」



 どうしたものかと悩んでいるバナージュに声を変えたソリドゥスは、にっこりと微笑んで背中をバンッと叩いた。



「ここには“殿下”なんて人はいません。ただのバナージュなんですから。今更どの面下げて呼び戻そうって言うんですか」



「お嬢様の仰られる通りです。先程の話から察するに、陛下よりの使者だと分かりますが、理由あって呼び戻そうとされるのでしょう。ですが、それを受ける必要もありますまい。無視してよろしいかと」



 さらにアルジャンが畳みかけた。


 父親からの呼び出しや伝令なのはすぐに察することができたが、バナージュはここに骨を埋めるつもりでやって来たのだ。今更呼び出されたところで、王都に戻るつもりなどなかった。


 何もかも失ったバナージュだが、代わりに愛する妻と、かけがえのない友人を得た。


 さらに、温かく迎え入れてくれたデカン村も、そこの村人達も、バナージュは大いに気に入っていた。


 暮らし始めてまだ半月ほどだが、ここでの暮らしは何もないがゆえに何ものにも縛られず、自由でのびのびと過ごすことができていた。


 これを捨て去るなど、バナージュにはできなかった。



「まあ、そうだな。今更なんだと言う話だな」



 バナージュは集まっていた村人を見回すと、揃って心配そうな表情を向けていた。折角新たな村の一員として迎え入れたのに、いなくなってしまうのではと考えているようであった。



「大丈夫だ! 私はどこにも行かないぞ!」



 バナージュは不安を払拭するために叫ぶと、村人達も歓声を上げて、それを喜んだ。



「んだんだ、バナージュさんはこの村の一員だ。どっか行くなんてなぁ?」



「バカ言うな。一員じゃなくて、ご領主様だぞ」



「そうそう。あんな横柄な奴の言う事なんてほっときゃいいんだ」



「それより、嫁っこに心配させてもいかんし、一度館に戻るべ」



 そう言って村人達は取り囲むようにバナージュを護衛し、その住居へと一緒に歩いていった。



         ~ 第三十五話に続く ~

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