第33話 結婚式
デカン村は王国の南部に存在する小さな村だ。本当になんの変哲もない農村であり、都会暮らしに慣れている者からすれば、時間が止まっているように思えるほどに静かであった。
なにか特産物があるでもなく、平凡な麦畑が広がり、牛舎から牛の鳴き声が響いてくる、そんなどこにでもあるような田舎村だ。
「懐かしい、と思えるほどこの地には愛着も無いのだが、母上の実家であるからな」
この村唯一の自慢は、領主の娘ミラが見初められ、現国王の御妃になったことだ。
聡明で美しい女性であり、王都に嫁いで二十数年になるが、彼女を覚えている村人もまだまだ存在する。
その息子であるバナージュが突如として来訪し、村で暮らすと言い出したのだから、村を上げての大騒ぎとなった。
バナージュは放浪の最中、何度か訪れた事もあるので、まったくの初顔合わせでもなかったが、さすがに暮らすとなると、村人からすれば大事であった。
「特に気を使う必要もない。私は王族をやめた身だ。皆と何も変わらぬただの人だ。妻と共に畑を耕し、この地には暮らすことを望んでいるだけだ」
そう言って、バナージュはなけなしの金子を渡し、以て屋敷を維持してくれていた礼とした。
屋敷は本当にボロで、領主一家が娘の輿入れと同時に王都に移り住み、それ以降は誰も住んでいなかった。領主一家、バナージュから見れば祖父母に当たるわけだが、それもすでに他界し、土地はバナージュに相続されていた。
国王レイモンが領地没収の際に、バナージュからここも没収しなかったのは、デカン村が王家からの封土ではなく、あくまで王妃の実家の土地であったため、没収する気にならなかったためだ。
たまに掃除はされているようで、そこまで埃まみれというほどでもなかったが、それでも手入れは必要だと考えた。
「まあ、住めば都と申しますし、今この時から、このあばら家が私達の都であり、城でありますわ」
エリザとしては、この程度の汚れなど磨けばどうにかなると考えており、すぐにでも掃除に取り掛かるつもりでいた。
永らく馬車に揺られて旅を続けながら、着いた途端に掃除を始めようとするあたり、頼りになるなあとバナージュはいたく感心した。
そんなこんなで屋敷は徐々に往年の姿を取り戻し、丸一日かけた掃除の結果、どうにか住める程度には奇麗にすることができた。
それと並行して行われていたのが、結婚式の準備だ。
教会も小さく、王都にある大聖堂とは比べ物にならないほどに小さかった。尖塔や聖印がどうにかここは教会ですと自己主張している程度で、それがなければ本当に農村の倉庫かと思うくらいにみすぼらしかった。
とはいえ、領主の跡取りにして王子(勘当された)の結婚式となると、村としては久しくなかっためでたい事であり、ささやかながらのお祭り騒ぎとなった。
村人総出で花道を作り、王子とその妻に祝福の言葉が投げかけられた。
新たな夫婦となる二人の姿は、しなびた農村には不釣り合いなほどに美しかった。王都から持ち込んだ意匠の中で一番華やかなものを選び、それを着込んでいたからだ。
王都にいた頃はそれほど高価な衣装とも思わなかったが、今この場では間違いなく貴族の衣装であることを認識させられ、参列した村人からもやはりこの御方は王子に相違ないと感嘆とされた。
「おい、ソリドゥスよ、お前の予想が外れたな! 参列するのは、いつもの顔触れだけではなかったようだぞ!」
バナージュが嬉しそうにそう投げかけると、ソリドゥスは参ったと言わんばかりに両手を上げ、にこやかな笑みで返した。
「これもバナージュの人徳であり、母君の加護でございますよ! 天におられる神もまた、あなたに祝福を与える事でしょう! まずもって、お慶び申し上げます!」
なりよりも嬉しい言葉であり、いかなる美辞麗句に勝る友人よりの祝辞であった。バナージュもエリザも満面の笑みで花道を進み、式を取り仕切る司祭の前まで進み出た。
ここで一旦、祝いの言葉は止み、厳かな雰囲気がその場を支配した。
司祭は軽く一礼し、二人に向かって語り掛けた。
「汝、バナージュ=カリナン=ドン=ルーンベルドよ」
「ああ、司祭殿、申し訳ない。その名はもう捨てたのだ。バナージュ=デカンで言い直してくれ」
これもまた、バナージュの決意の表れであった。王家からの家名や称号を捨て、母方の実家の名前を使うことにより、この地で暮らすことを宣言したとも言えた。
本気の覚悟を示したことに場が再び盛り上がったが、神への宣言を行うには騒々しいと、司祭がこれを制した。
「ゴホンッ。では、改めて問おう。バナージュ=デカンよ、汝はエリザ=ノーヴァを生涯の伴侶とし、いかなる艱難辛苦に会おうとも、共に歩むことを偉大なる主に対して誓えるか?」
「誓います」
バナージュは力強く頷き、司祭もその意を受けたと頷いた。
「では、次にエリザ=ノーヴァよ、汝はバナージュ=デカンを生涯の伴侶とし、いかなる艱難辛苦に会おうとも、共に歩むことを偉大なる主に対して誓えるか?」
「誓います」
エリザもまた力強く頷き、司祭からの問いかけを是とした。
二人の意志を受け、司祭は一度後ろを振り向き、神の像に対して一礼をした。そして、婚姻宣誓書を取り出し、筆と共に二人に差し出した。
「新郎新婦両名、夫婦となることを神に誓約せよ。両名の名を刻み、以て神への誓いとする」
司祭より差し出された筆を握り、バナージュは自分の名前を宣誓書に書き込んだ。
続けて、エリザもバナージュより筆を受け取り、自分の名前を書き込んだ。
司祭は二人の名が間違いない事を確認すると、式の責任者として立ち合い、神への宣誓を聞いた者として、これまた自分の名前を書き込んだ。
「立会人代表、前へ」
司祭の呼びかけに応じ、ソリドゥスは前に進み出た。
「立会人代表として、両名の婚儀に立ち会いし証として、汝も名を刻むべし」
司祭より筆が差し出され、ソリドゥスはそれを受け取った。
そして、宣誓書に目を通すと、二人の新たな門出に対しての
その中でも、特に注目すべきはエリザの名前であった。
(エリザ、本当に字が奇麗になったわね)
半年前に“買い取られて”バナージュの別邸に転がり込んだときは、エリザの字は五歳児の落書きレベルの酷さだった。
だが、その後は必至で読み書きを覚え、作法を身に付け、社交界に紛れ込んでも分からぬほどに洗練された立ち振る舞いができるようになった。
その証が、目の前に書かれたエリザの奇麗な筆跡であった。
どれだけの努力をしてきたか、バナージュの側にいるためにどれほどの修練に励んできたか、この書き込まれた名前を見るだけで容易に想像できることであった。
短いようで長かった、この半年ばかりのことをソリドゥスは思い出しながら、自分の名前を書き込んだ。二人の出会いを手助けし、その仲を取り持ってここまでやって来たのだ。
十五歳の少女ではあるが、立会人代表にして仲人として宣誓書に名を刻むに相応しいのは、ソリドゥス以外にはいなかった。
しっかりと名前を書き込んだ後、ソリドゥスは宣誓書を司祭に返し、司祭もしっかりと名前が書き込まれていることを確認した。
「ここに神に誓いを立て、祝福を受けし、新たな夫婦が誕生した! バナージュ=デカン、エリザ=ノーヴァ、汝ら二人に幸あれ!」
司祭が高らかに宣誓書を掲げ、誓いはなされたことを参列者全員に示した。
万雷の拍手と共に喜びの歓声が村中に響き渡り、新たな夫婦が誕生したことを祝った。
その中で、二人は抱き締め合い、そして、二人で交わす初めての口付けをした。
歓声も最高潮を迎え、いつ果てることのない喜びの声が遥か地平まで轟いていった。
~ 第三十四話に続く ~
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