第30話 都落ち(中編)
「でもさぁ~、これから先はエリザが頼りだから、しっかりお願いね」
「え? 私がですか?」
「この顔ぶれ見てよ。
「あぁ~、それもそうでしたね」
エリザが顔触れを見回すと、ソリドゥスが言うことももっともな事であった。
なにしろ、他四名全員が都の生まれであり、農耕も牧畜もまともにやったことのない者ばかりであったからだ。唯一、アルジャンだけは庭師一家のため、多少の心得はあるだろうが、それでも本格的に農業をやっていたのは、農村出身の自分だけであるとエリザは気付かされた。
田舎の村落で暮らすとなると、まさに農業のあれこれを教えてあげる必要があるのだ。
「まあ、都会生まればかりですからね。フフッ、読み書きや作法を教わりましたが、今度は私がみんなに教える番と言うわけですか」
「ええ、よろしく頼むわね」
なんだか面白いことになってきたので、エリザはニッコリと微笑んだ。
場所が変われば状況も変わると言うのか、今までは目の前の四人から読み書きや作法を教わってきたというのに、今度は自分が先生で他が生徒とになるのだ。
熱心に教えられて以上、今度は自分が熱心に教えねばとやる気をみなぎらせた。
「では、“都落ち”の準備を始めましょうか。バナージュとエリザは持って行く荷をどうするか、仕分けして箱詰めしておいてね。デナリは二人のお手伝いを頼むわ」
「分かりました! ソル姉様は?」
「私は帳簿とにらめっこ。持っていける金子を数えておくわ。あと、移動用の馬車の手配もね。こっちでやっておくわ。アルジャンは帳簿の計算を手伝ってね」
やるべきことができると、さすがに行動も早かった。
バナージュ、エリザ、デナリはいそいそと居間を出ていき、それぞれの私室へと向かって行った。
そして、その場に残ったソリドゥスはアルジャンに腰かけるように促し、互いに机を挟んでソファーに身を預けた。
「さて、まずは
「あれくらいは仕事の内にも入りませんよ。特に何かしら指示されていたわけではありませんし」
そう聞くとソリドゥスはニヤリと笑った。
やはり目の前の幼馴染の従者は優秀だと、改めて思った。もうかれこれ十年以上の付き合いになるし、なんとなしに行動パターンが互いに読めてしまうのだ。
教会で祝福を受け、神の恩寵たる“
【なんでも鑑定眼】で解析し、【バカ正直な皮肉屋】で洞察して、深い部分も探り当てる。互いに欠点のある“
「たださぁ、一つ聞いておきたいんだけど、あんたはどこまで気付いているのよ?」
「おそらくは、お嬢様が考えている範囲は網羅しておりますよ」
「やっぱり……」
これはしてやられたと、ソリドゥスはため息を吐いた。どうにも付き合いが長いと言うのに、相手の事を認識しきれていなかったからだ。
「じゃあさ、あたしの“
「察しておりますよ。“人”にも適応されることをね」
「かぁ~、やっぱりか! どうにもこちらの言動からの察しが良すぎると思ったら、全部把握されてたってことなのね!」
「伏せるにしても、行動があからさまなのですよ。特に、“
「ふにゃ!?」
ニヤつくアルジャンと、一気に顔を紅潮させるソリドゥス。随分と久しぶりに“愛称”で呼ばれて、途端に気恥ずかしさが込み上げてきたのだ。
「ななな、なんでその名前で呼ぶのよ!?」
「許可はすでに貰っておりますが、なにか?」
「だからなんでそれを今、言うのかってことよ!」
「周囲に誰もいないからですよ。気を遣っていると、いつも言っているではないですか」
ソリドゥスは親しい人にはソルという愛称呼びの許可を出していた。ただ、日常使いしているのはデナリだけであり、アルジャンは長らく封印してきた。
自分に許可を出していることを他人に知られることが恥ずかしい、となることを察して、あくまでお嬢様と呼び続けていた。
なお、これはアルジャンの父親の入れ知恵であり、「例え許可があったとしても、必ずお嬢様と呼ぶように」と念を押されていたため、最初の一日を除けば、ずっとお嬢様呼びで通してきた。
父親の言葉の真意を知ったのは、“
「普段使いしないからこそ、新鮮味がある。お高くとまっているお嬢様をあたふたさせるのには、これ以上の小道具はあるまいて」
そう察してからこそ、最高の場面で出すことができたのだ。
実際、顔を赤くして慌てているソリドゥスは、普段見えない可愛らしさがあるとアルジャンは感じた。
これなら、切り札として保持していた価値はあったかと考え、思わず笑みがこぼれ出てしまうものであった。
「まったく、もう……。許可を出したのって、ちんまい子供の頃じゃない」
「ええ。お互いに三歳児でしたね。庭木の手入れをしていた親父を眺めていたときに、たまたま側を通りかかったソルが俺を引っ張り出し、庭の中を走り回りましたね。その後、物陰から飛び出してきたウサギに驚いて尻もちついて、ワンワン泣いて」
「何でキッチリ覚えてるのよ!?」
「お嬢様の泣き顔はレアですからね。その他には、五歳の時の池ポチャと、七歳の時に犬に吠えかけられた時とか、それから八歳の時は登った木から降りられなくなったとか、後は……」
「もういい! 分かったから! それ以上、思い出させないで!」
やはり目の前の幼馴染は性格が悪いと思いつつも、全部覚えていることを嬉しく感じていた。
なにしろ、今述べられた場面には必ず側にいてくれて、毎回助けられてくれたからだ。
「ほんと、いい性格しているわね。しかも、最近は磨きがかかっているようにも感じるし」
「記憶力については生来のものですが、察する力は後天的なものでしょうからね。ここ最近では嫌々ながらも上流階級の世界に片足突っ込まされることが続きましたから、望まずとも鍛え上げられますよ」
「そう、それは良かったわ。これからもその力をあたしのために使いなさいね」
「素直に、『あたしの側にいろ』と言えばいいのに」
「うっさい! 黙れ!」
恥ずかしさをごまかすためにソファーの肘置きをバンバン叩いたり、あるいはそっぽを向いたりと、アルジャンに言わせれば実に分かりやすい照れ隠しであった。
「まあ、その点はご心配いりませんよ。ソルには大切な物をすでに貰ってますから、言われずともついて行きますよ。まあ、
どこまでもついて行くことは決めているが、あえて居残るとごね、それをソリドゥスが無理やり引っ張り出す。先日のやり取りはそれを使って、周囲を笑わせたものだ。
特に打ち合わせの必要もない。アルジャンがソリドゥスの思考を洞察し、それに相応しい行動を取り、ソリドゥスはそれに合わせて機転を利かせ、またそれにアルジャンが察する。これの繰り返しだ。
この二人にとってボケとツッコミは毎度の事なので、相手の思考を読み合うくらい造作もないことだ。周囲も周囲で二人のやり取りはいつもの事であり、笑いが自然と漏れ出てしまう。
場を和ませることなど、この二人には容易いことであった。
「大切なもの、ねえ。それはなにかしら?」
「“嘘を付かなくても許される空間”ですね。俺にとっての唯一の“居場所”です」
ガッチリはまった階級社会において、“嘘を付けない”というのは恐ろしく危険な状態なのだ。
下々の者は目上に対して、頭を下げ、腰を低くし、揉み手をしながら、おべっかを口にする。どこにでもある光景だ。
だが、アルジャンは“
自分を守るための嘘も、相手を傷つけないための嘘も、神の
人間社会では、これほど住みにくい状態もないであろう。庭師の息子という社会的地位からして、ごくありふれた庶民であるため、やり辛いことこの上ないことであった。
「ソルはそんな俺に、居場所を与えてくれたのです。御恩に対しての奉公は当然では?」
「奉公だなんて、そんな大層な言葉を使わなくていいわよ。昔からの腐れ縁でしょ」
「腐れ縁というよりかは、商売上の鉄則かな。物がない所に品が行くのではなく、金がある所に品が行く。より高く買ってくれる客にこそ、商品が渡る」
そして、自分の能力を最も高く評価し、高額を提示するのは誰か。それはもう答える必要もない。
「それはちょっと違うわね。高額取引をしたいって気持ちは当然としても、ちょっと値は落ちても“お得意様”に回すのも重要よ。金銭だけじゃなくて、人脈もまた商売の上では最重要の案件だから」
「ならば、どちらの条件も満たしているソルについて行くのは、ある意味自明というやつ。お買い上げありがとうございます、ってね」
その言葉は何よりもソリドゥスを喜ばせた。
ソリドゥスへの周囲の評価はかなり高い。機転も利くし、行動力も高く、大富豪のお嬢様にありがちなお高くとまった風もない。
ただ、評価の多くは“鑑定士”としての価値が占めていた。触れた物の価値を瞬時に把握してしまえるのだから、どうしてもその有用性の高い能力に目を奪われ、その点で評価しがちなのであった。
だが、目の前の幼馴染は違う。長い付き合いだからこそ、“鑑定士”ではなく“商人”として自分を見てくれている。
それは偉大な商人である祖父を超えたいと考えるソリドゥスにとって、何よりも代えがたい価値のある評価であった。
しかも、目の前の幼馴染は“嘘を付けない”。掛け値なしの評価だ。
これほど嬉しい事は他にはなかった。
~ 第三十一話に続く ~
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