第19話  二人の兄王子

「よう、バナージュ」



 不意に話しかけてきたのは、筋骨隆々な男であった。服の上からでも分かるほどに立派な体躯を持ち、よく鍛えていることが見て取れた。その表情は傲岸不遜という言葉が似あう上から目線の態度だ。


 周りを取り囲む連中も、どこかニヤついていたバナージュを軽く見ているようにも思えた。



「兄上、何か御用ですか?」



 兄上、という単語がバナージュから飛び出したため、ソリドゥスは即座に頭の中から記憶を辿って、それに該当する人物を探し当てた。



(バナージュ殿下が兄と呼ぶ人物は、第一王子のグランテと、第二王子のシークの二人だけ。体格的特徴から、こちらは第一王子の方かしらね。たしか武芸に精通していて、馬上槍試合トーナメントでの優勝経験まであるほどの猛者! なるほど、偉丈夫という言葉がこれほど似合う方も珍しい)



 ソリドゥスはそう分析しつつ、相手は王子であるため恭しく頭を下げた。それに気付いて、他三名も続いて頭を下げた。


 少し拝礼が遅れたことに機嫌を損ねたのか、グランテは荒々しく鼻息を噴き出した。



「バナージュ、近侍くらいちゃんとしたのを配しておけよ。同じ王子だからと、こっちまで安く見られかねんからな」



 イラっと来るような言葉であったが、頭を下げている四人にはどうすることもできなかった。


 バナージュにとっては“いつもの”ことであるのか、特に気にもかけずに話を続けた。



「わざわざお忙しい兄上が、冴えない弟にいちいち嫌味を言いに来たわけですか?」



「おいおい、拗ねるな拗ねるな。ちゃんと話はあるんだって」



 そう言うと、グランテは慣れ慣れしくバナージュと肩を組み、尊大な態度のまま耳元に口を寄せた。



「俺の味方になれ。そうすれば、“次”の時代も安心して遊べるぞ」



 グランテから発せられたのは、バナージュにとって意外な提案であった。何の力を持たない、何の官職にもついていない弟に、そんな話を持ち掛けてくるなど以外であったのだ。



「何を言い出すかと思えば……。私には何の力も権限もありませんよ。兄上を推したところで、なんの力にもなれますまい」



「そう卑下するな。お前は自分の力を過小評価しすぎている。この広間に、その力の一端が転がっているではないか」



 そう言うと、グランテは広間に飾られている彫刻を指さした。実に艶めかしい裸婦の立像であり、生きた人間がそのまま白大理石に変じたのでは思えるほど、精巧に仕上がっていた。



「あの像の作者は、確かお前が後援者パトロンを務めているはずだな。他にも、あの絵画も、あちらの壁掛けタペスタリーも、お前の息のかかった工房アトリエで作成された物だ。そう、言ってしまえば、この華やかな空間は、お前が手掛けたと言ってもいい」



「お褒めいただき光栄です」



「だから、だ。芸術の力は馬鹿にできん。芸術は心を豊かにし、そのまま直接心に語り掛けてくるからな。だからこそ、それを手掛けるお前には、隠然たる力がある」



「それで味方をしろ、というわけですか」



 兄の言わんとするところを理解はできたが、それをはいそうですね、と頷く気にもなれなかった。


 芸術は心を豊かにする。それには全面的に賛成するが、その豊かになった心でやらかしているのは、醜悪な権力闘争ではないかと、一言ぶっ飛ばしたくなった。


 言ったところで、強引な兄は聞く耳を持たないであろうし、ため息ばかりがバナージュから漏れ出た。



「そこまでにしていただきたいものですな」



 また別の人物が話しかけてきたので、皆の視線がそちらに向かうと、グランテが露骨に嫌そうに舌打ちをした。



「シーク、何の用だ。俺は今、バナージュと将来に関わる話をしているんだ」



「それは失礼。こちらもバナージュに話がありましたので、ついつい横槍を入れてしまいました」



 グランテとシークは睨み合い、バチバチと火花を散らせた。



(やれやれ、今度は第二王子のシークか。こちらは頭脳明晰な学者肌の人物。多少神経質な部分があるけど、学問を勤しみ、その深い賢智を以て政務に励み、今は確か財務次官だったかしら)



 ソリドゥスはすぐに頭の中に引き出しから即座に人物像を取り出し、相手を値踏みしつつ丁寧にお辞儀をした。



「さて、バナージュ、ガサツな兄上よりも、もっと実務的な話をしようか」



「おい、シーク!」



「あ~。黙ってて、黙ってて。バナージュよ、芸術は心を豊かにするが、そのためには“原資”がいるであろう? こちらはいくらでも用立てるぞ」



 シークはニヤリと笑いながら右の親指と人差し指で輪を作り、欲しいだろうと言わんばかりにそれを強調した。



「芸術はとかく金がかかる。画材に顔料、その他道具諸々、一つ作品が出来上がるまでに、いったいどれほどの財を消費するのやら。しかも、できたからと言って、すぐに買い手が付くわけでもなく、値が思った以上に付かないこともある。特注の依頼でもあればいいが、そういういい話はなかなか出てこない。ゆえに、芸術家ってのは金銭的にきつい輩が多い。そうした苦しい立場にある芸術家を助けるのが、後援者パトロンではないかな?」



「それは仰る通りでしょう。才能はあれど、生活のために安い仕事を引き受けざるを得ず、名画名品を世に送り出す機会を逸することもままあります」



 実際、バナージュの懐事情はそれほど良くなかった。何か事業を手掛けていると言うわけではないので、その収入は領有している封土からの年貢であり、あるいは国王より下賜される王子としての年金などが主な収入源だ。


 それなりの金額となるが、多くの芸術家を抱える身としては、その経費を賄うのも一苦労であった。


 しかし、才能ある者を埋もれさせるのは忍びなく、何とか援助して世に出れるまで面倒を見てやる事こそ自らの責務であると考え、どうにかやりくりしていた。



「それに去年だったか、壮大な騎馬像を造る計画もあったが、結局、材料費がかかり過ぎるからと、お流れになったではないか」



「良く御存じですね」



「ああ。この国で大きな金が動くことは、ほぼ私の耳に入るからな。いや~、もし計画通り完成していれば、おそらくは世界一の騎馬像が完成したであろうに、惜しい事をしたな」



 要はこちらも自分の勧誘かと、バナージュは察した。


 こちらの味方をすれば、財に関して優遇してやるぞと言う、お約束な誘い文句だ。


 魅力的な誘いではあったが、どちらの兄も芸術を理解して愛しているのではなく、政治の道具として利用しているだけだと言う点が気に入らなかった。


 本気でキッパリと言ってやりたかったが、バナージュは兄二人に口答えできるほどの力はない。腕力も、財力も、周囲にいる人々も、その実力は雲泥の差があった。


 二人がケンカに飽きて、嵐が過ぎ去るのを待つしかないという体たらくだ。


 実際、グランテもシークも、バナージュそっちのけで口論を始めており、バナージュはそれを見守るだけしかできなかった。



「いや~、派手にやり合っているとは聞いていたけど、なかなかね、これは」



 口論を見ながら言及したのは、ソリドゥスであった。国王の隠居後を狙って、どちらが跡継ぎとなるか、それを長男次男が争い、派閥の対立が激化しているとは耳にしていた。


 味方を作り、敵方の足を引っ張る。国を真っ二つにしかねない酷い内輪揉めだ。


 そして、バナージュは芸術にしか興味がないので、どこ吹く風と言った態度を通していたが、芸術の持つ力、さらにいえばその道の人々の支持を取り付けるべく、その後援者パトロンのバナージュもいよいよ目を付けられた、といったところであった。



「でも、バナージュ殿下、いかにも巻き込まないでくれって嘆いている顔ですよ」



 デナリの言う通り、バナージュはうんざりしているようであった。


 芸術云々に二人の兄は言及していたが、とても心を豊かにしましたとは言い難い。あまりに醜悪な姿であり、絵画の題材モチーフとしては面白そうだが、自分の目の前で繰り広げられるのは真っ平という感じだ。



「と言っても、王子二人の口論など、止めれる者はいませんからね。飽きるか、疲れるかするのを待つしかありませんな」



 下手に止めに入って睨まれるなど絶対に嫌だと、アルジャンは肩をすくめた。ケンカの仲裁など、ただでさえ面倒だと言うのに、その対象が王子となればなおさらだ。


 因縁を付けられ、何かしらの仕返しが飛んできたとき、その被害は段違いのものが襲い掛かってくるのだ。


 そう考えると、とても止める気にはなれなかった。



          ~ 第二十話に続く ~

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