第12話  王子との会食

 ソリドゥスら三人組がエリザの下へ押しかけてきた夕刻、その日の予定を終え、バナージュは街中の別邸に戻って来た。


 王子ということもあって、その身の置き所はいくつも存在した。王宮には自分の居住区画があるし、城下の街中にも別邸がある。他に保養地にも別荘があったり、あるいは封土として与えられた土地があったりと、例を挙げればきりがない。


 今現在、主な活動の場としているのは、街中の別邸であった。祭りの見物という目的の他に、後援者パトロンを務める幾人かの芸術家達と打ち合わせや、あるいは芸術談義を楽しむためであった。


 そんな一日の予定を終えて別邸に帰ってみると、いつもと違うことに気付かされた。それは、別邸の召使達の他に一人の女性が出迎えてくれたことだ。


 無論、その人物のことは知っている。なにしろ、先日自分で競り落としてしまった、エリザという女性だ。経緯が経緯だけに扱いに困る“人妻”であるが、顔見知りであったソリドゥスの言に従うのであれば、幸運の牝馬なのだそうだ。



「お帰りなさいませ、バナージュ殿下」




 随分とぎこちない挨拶がエリザからもたらされた。


 はっきり言えば、喋り方からお辞儀の仕方まで“洗練”と言う言葉が見当たらない。見た目は小奇麗であるし、誰が身に付けさせたのか、装飾品もどちらかと言うと地味な方だ。


 装いは出会った時よりマシだが、とてもお嬢様とは言い難いものだ。


 とはいえ、その身の上がただの庶民であることも知っているし、気にもかけなかった。



「うむ、出迎えありがとう、エリザ。今日一日どうであったか?」



 どうもこうも、バナージュはエリザに別邸への逗留を認め、邸内にて好きに過ごしていい旨を伝えていた。


 事情はおおよそ把握しており、現在夫とは絶賛喧嘩中で、それが元で競売にかけられると言う、なんとも反応に困る状態であることを認識していた。


 すぐに放逐してもよかったのだが、ソリドゥスの“いたずら”に敢えて乗ってみるのも一興と思い、身を預かったのだ。数日程度の冷却期間を置けば、ケンカの熱も冷めるだろうとの思惑もあった。



「はい、殿下。私のような者を呼んで・・・、お招きくださいましたること、心より感謝し、・・・申し上げます」



 エリザは再び頭を下げ、バナージュへの謝意を示した。


 ちなみに、付け焼刃ではあるが、貴族の作法についてはソリドゥスが時間の許す限り教え込んでいた。当然、半日程度で身に付く教養など高が知れているし、言葉遣いや動作はやはりぎこちない。


 それでも、バナージュの目にはかえって新鮮に映った。お高く留まった貴族令嬢など見飽きているし、関心も特に示さない。たまに一夜の逢瀬を楽しむこともあるが、本当に一夜のみの関係だ。長続きしたことなど、皆無と言ってもよい。


 王子と言う立場がそれを許していたし、自分も周囲も気にもかけなかった。


 目の前の人妻すらそうした対象にできるのであるが、取り立てて美人と言うわけでもなく、どちらかと言うと普段接する機会の薄い“庶民の女”という珍獣を見ているような感覚だ。



「その様子では、特に何かしていたというわけではないな?」



「ちが・・・、こほん、いいえ、殿下。お恥ずかしいことながら、作法も知らぬ無作法者です、・・・ございますので、ソリドゥス様より手解きを受けてま、・・・おりました」



 やはり喋り方がぎこちない。どうにか必死で覚えました感がアリアリであった。


 とはいえ、バナージュにはそれが好意的に思えてきた。どうにかして努力して身に付けようとする姿勢は、何もしないよりも遥かに好感が持てるし、そうした必死さには素直に評価したいところであった。



「まあ、よい。そのあたりは食事でもしながら聞くとしよう」



 バナージュは食堂に向かって歩き出すと、エリザもそれに続いたが、横には並ばず、それどころか三歩、四歩は空間を空けていた。客人や連れ添いというよりかは、召使に近い距離感だ。



「エリザよ、別にそこまで下がらなくてもよいのだぞ。こちらが招いた客人なのだし」



「いえ、これはあなた様との心の距離でございますので、微妙になるのは仕方ないかと」



「フフッ、なるほど、心の距離か。面白い事を言う」



 このエリザの立ち位置もまた、バナージュの興味を引いた。


 言い寄る女性は数知れず、その度に自分を売り込もうとズカズカ近寄ってくる者が多い。どちらかと言うと神経質なバナージュにとっては、自分の領域に土足で入ってこられる感覚がして、強引なアピールというのは苦手であった。


 しかし、今日の客人は節度を守っており、近寄ることを憚(はばか)っている。現に、距離を詰めても構わないと言った後でも、その空いた間というものが埋まっていない。


 本当に心の距離を表しているかのようだ。


 なお、エリザにしてみれば、付け焼き刃の知識が剝がれ落ち、王子の前でボロが出るのを嫌がっているだけであった。


 食堂にやって来ても同様であった。バナージュが自分の席に着いたというのに、エリザはどういうわけか召使の列に並んでいる有様だ。



「おいおい、エリザ、お前はこっちだ」



「は、はい!」



 バナージュに促され、エリザもようやく席に座った。しかも、自分で椅子を引いて腰かけたのだ。


 こういう場合は、召使などに椅子を引かせて、それから腰かけるのが上流階級の“いつもの”であるのだが、エリザはそうした経験がない。どちらかと言うと、椅子を引いて主人を座らせる方であり、普段とは立場がアベコベなのだ。


 先程、召使の列に並んでしまったのも、エリザにとっての“いつもの”であったためだ。


 夫であるザックは厩舎番としてパシー家に務め、自分はパシー家の農園で働きつつ、人手が欲しいときには召使として屋敷に出仕するという生活を送っていたからだ。


 当然、上流階級の作法が全くなっていないエリザに対して、召使い達から笑いが漏れ出したが、それはすぐにバナージュによって制された。



「彼女は私が招いた客人だ。彼女に対して嘲笑うがごとき言動は、私に対しての嘲笑と受け取る」



 静かだが、迫力ある声に気圧され、召使い達は一斉に押し黙り、主人に向かって頭を下げた。



「失礼したな、エリザ。部下の無作法を詫びよう」



「い、いえ、っこ、こちらこそ、殿下と卓を囲むための作法が身に付いておらず、ごめ、も、申し訳ございません」



 やはり喋り方が硬すぎると、バナージュはまた笑ってしまった。


 そんなこんなで、料理の盛られた皿が運ばれてくると、またしてもエリザが固まってしまった。そして、自分の目の前に並べられた食器を凝視した。



「エリザよ、どうした?」



「そ、それが、食事道具カトラリーの使い方が分かりません」


「そこからか!?」



 バナージュはまたしても驚かされた。


 エリザが固まった理由が、おそらく庶民とは違う豪華な食事に圧倒されたからだと考えていたら、その前段階で止まっていたことを告げられたからだ。


 ちなみに、庶民の食事に食事道具カトラリーは存在しない。せいぜい、汁物スープを食べる際のスプーンや、肉の塊を切り分けるためのナイフが“刺さっている”くらいだ。


 一人一人に“銀製”のナイフ、フォーク、スプーンなどがいくつも並べられているなど、エリザの日常には存在しないのだ。


 ただ、エリザの場合は給仕役としてパシー家で働いていることもあり、食事道具カトラリーの存在は知っていた。ただ、使い方がよく分からないのだ。



「本当に珍獣扱いになってきたぞ。まあ、仕方ない。私の食べる仕草を見て、真似すると良い」



 そう言って、バナージュはナイフとフォークを手に取り、食事を始めてしまった。


 エリザもそれを見様見真似で恐る恐る食事を始めた。バナージュも誰かを教えるなどという器用な真似はできないので、静かに食事をするだけであった。


 どうにかこうにか不調法ながらも夕食を終え、食後の飲み物が運ばれてきた。


 エリザの瞳に移るのは、初めて見る湯気の立つ真っ黒な液体であった。それがカップに注がれ、目の前に置かれた。



「これは・・・?」



豆茶コーヒーという飲み物だ。最近、貴族の間で流行り始めてな。独特の苦みが癖になる。慣れぬうちはミルクと砂糖を多めに入れるとよい」



「さ、砂糖!?」



 エリザにとって砂糖は、かなり高価な品であった。何かしらの祝いの席で供される、そういう感覚だ。


 ところが、目の前に出された初めて見る食後の飲み物に、どうぞ入れろと言うのだ。やはり住むべき世界が違うとまたも思い知らされた。


 とはいえ、砂糖が甘くておいしいことも知っているので、立て続けにスプーンで三杯も入れた。



「おいおい、それでは甘くなりすぎるぞ」



 バナージュは砂糖をスプーンに半分ほどの量を入れ、カップを口に運んだ。


 一方のエリザは三杯の砂糖に加えてミルクもたっぷり注ぎ、それを飲んだ。なお、ズズズズズッっと盛大に音を立てたので、バナージュはこれまた苦笑いで応じた。



「なるほどな。貴族と庶民の間には、かくも大きな壁があると言う事か」



「も、申し訳ありま、ございません! 無作法なのは申し訳ございません!」



「構わん。妙な巡り合わせとは言え、客として招いたのだ。些事は流そう」



 すべてはソリドゥスのいたずら心から始まったこととは言え、まんまとそれにはまりつつ、こうして“珍獣”と戯れると言う珍しい経験をさせてもらっているのだ。それはそれで愉快だと、バナージュは考えていた。


 変わり映えしない日常に紛れ込んだ、一匹の子猫の世話と言うのもたまには悪くなかった。


 そもそも、バナージュ自身、王侯貴族の間では変人扱いの日陰者であるし、地味な装いで庶民に紛れて祭りを楽しむなどと言うことまでやっていたのだ。


 その辺りは、他の貴族などとは余程垣根が低いのであった。



「あ、あの、殿下、一つお願い事をしてもよろしいでしょうか?」



 激甘な豆茶コーヒーを飲み終わったエリザは、恐縮しながらもどうにか声を絞り出し、バナージュに尋ねた。


 さて来たぞ、とバナージュは身構えた。


 なにしろ、バナージュは変人扱いされているとはいえ、腐っても王族である。王子様とお付き合いしたいと考える者など、男も女も山程いるのだ。王子と言う地位やその財を狙って、すり寄る輩など後を断たない。


 見目麗しい女性であろうとも、なにかしらのおねだりをされた段階で萎えてしまう。有体に言えば、面倒臭いからだ。


 では、目の前の珍獣はどんな頼み事をしてくるのか、それによっては即お帰り願うつもりでいた。


 だが、期待していたものとは全く違う言葉が、エリザの口より紡ぎ出された。



「書庫を開放してはいただけないでしょうか? その許可をお願いいたします」



「え? 書庫?」



 書庫、それは書物や巻物の類が補完されている場所だ。そこに入りたいと願い出るなど、さすがに予想の範疇を超えていた。


 バナージュは先の読めない珍獣の思考に首を傾げた。



「あ、いえ、その、私、字がほとんど書けないものですから、殿下にお仕えするのに不自由をきたすと思いまして、読み書きの練習をと」



「ああ、そういうことか」



 バナージュはなるほどと納得しつつ、同時に驚きもした。“おねだり”には違いないが、自分磨きをしたいという申し出が、あまりにも意外であったからだ。


 宝石だドレスだなんだと、強請ってくる女性は数知れず。今まで寄って来る貴婦人やら御令嬢やらは、そんなものばかりであった。


 ところが、目の前の女性は“知識”を求めた。それも自分のためではなく、相手の事をおもんばかっての申し出と言うのがなお珍しかった。



(“お仕えする”というのが気になるところではあるがな)



 つまりは、長居させていただくので、そのためにお役立ちしたいですと言っているようなものなのだ。


 それでは、数日したらば家に帰すことができなくなってしまう。


 さてどうしたものかとバナージュは悩んだが、生来の根の優しさと、目の前の女性の物珍しさが結局勝ることとなった。



「よかろう、書庫への立ち入りを許可する」



「ありがとうございます」



 エリザは改めて頭を下げ、感謝の意を示した。


 なお、この一連のやり取りはソリドゥスの入れ知恵であった。


 バナージュはみすぼらしい格好で庶民に混じってウロチョロしていることもあるが、そこはやはり王子である。ちゃんとした格好をすれば、まさに貴公子という立ち振る舞いができた。


 言い寄ってくる女性など、掃いて捨てるほどにはいるのだ。


 そんな中にあって、どうすればその貴公子を注意を引けるのか、ソリドゥスは考えた。


 その結論が、“字を覚える事”であった。


 そもそも、読み書きができるという人間はかなり少ないのだ。その割合は五割。


 しかも、その五割という数字は“貴族”や“名士層”などの、いわゆる上流階級の人々のことであって、庶民であると一割を切ってしまう。


 なにしろ、肉体労働こそが庶民の生きる糧を生み出す手段であり、読み書きを必要とするような頭脳労働に携わるのは、ごくごく稀であるのだ。


 ゆえに、誰も学ばないし、学ぶ必要もない。


 エリザにしろ、ザックにしろ、多少の読み書きができたのは、パシー家という富豪の屋敷で働いていたため、少しばかり学んでいたからというのに過ぎない。


 しかも、庶民でさえ必要ないなら学ばないのであるし、貴族の中でもそうした発想の者がいる。自分が書くより代筆屋に読み書きさせればいいや、などと怠けてしまって、貴族であっても読み書きが苦手という者も意外と多いのだ。


 さらに言えば、女性の識字率がことさら低い。育児や家事だけやっていればいいという風潮が根強く、中には女性にはそうした事柄以外の技術や知識は不要だ、と考える男性も多い。そうした認識が女性の識字率の低さに拍車をかけていた。


 貴族社会でもその傾向が見られ、歌や音楽、舞踊には秀でていても、読み書きができない、などという貴婦人や御令嬢というのも珍しくないのだ。



(ほんと、変わっているよな)



 珍獣の珍奇な行動に、バナージュはますます関心を惹かれるのであった。


 それがソリドゥスの作戦だとも気付かずに。



          〜 第十三話に続く 〜

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