第13話 作法講習(前編)
その翌日から、早速と言わんばかりに書庫の一角を借りての、読み書き教室が開かれた。
「字を覚えるのならば、誰か教師を宛がおうか?」
バナージュは親切心からそう申し出たのだが、エリザはこれを断った。
「これ以上は殿下の御手をかけ・・・、わ、患わせることはございません。お気持ちだけ、もら、い、いただいておきますので、ご安心くださいませ」
一晩で固い喋り方が直るでもなく、バナージュはフフッと笑いつつ、屋敷の者にはエリザの書庫への立ち入りを伝えておくだけにした。
また、朝からソリドゥスがズカズカ屋敷にやって来ては、書庫へ向かっていく姿を見たので、彼女を教師代わりにするのだなと、屋敷の人々もそう認識した。
ソリドゥスとしても、これは計算ずくの行動であった。
“エリザの教師”という地位を確立しておけば、バナージュの屋敷への出入りが容易となり、その後の工作の下準備にもなるからだ。
バナージュがエリザに関心を示している間の内は、殿下自身への接触も楽になり、色々と吹き込む機会も恵まれるというわけであった。
なお、自分自身を売り込むことを考えない辺り、自分を安く見積もっているのではと周囲は考えていたりする。
「ソル姉様もさ、奇麗なんだし、もう少し色香を出してみたらいいのに。きっと殿方の方からお誘いが来ると思いますけど」
「あ~、いらないいらない。そんなのいらない。どうせさ、あたしに寄って来る奴なんて、あたしの後ろにチラついている父兄の方に気があるんだから、そんなの相手にしたくないの」
ソリドゥスは妹の意見をにべもなく却下した。
ソリドゥスは国一番の大商会の娘である。婚儀を結び、縁故を獲得したい輩など、いくらでも転がっているのだ。
なお、ソリドゥス自身は与り知らぬことであったが、縁談は結構舞い込んでいたりする。だが、父ダリオンがその手の話には曖昧な返事に終始し、態度を固めていなかった。
原因はソリドゥスの持つ“
そのため、条件のいい婿養子でもと考えているのだが、あまりぱっとしない話ばかりであり、ソリドゥスは自分が“性格が男受けしないのでモテない”と勘違いしているのであった。
「まあ、品質上問題大アリですからな。店先に並べて、万が一にも売れてしまっては、パシー商会末代までの語り草となるかもしれません」
これ以上にない程の煽りが、随伴しているアルジャンより飛んできた。
さすがにカチンと来たので、ソリドゥスは身を翻し、アルジャンを睨み付けた。
「誰が何ですって!?」
「お嬢様が嫁に行かれることに対して、問題大アリだと申し上げただけです」
相も変わらず、嘘を付かずにど真ん中に投げ返してくるあたりは、さすがの度胸と言うか、考えなしというか、ソリドゥスも頭の痛いことであった。
「お嬢様、旦那様より言われているではありませんか。花嫁修業をしろ、と。金貨千枚もの借金をして、博打に等しい勝負をされるなど、とても淑女のなさりようではございません」
「うっさい! これから勝負に勝ってやるからいいの! つべこべ言わず、あんたは私に従って、指示通りに動けばいいの!」
「それと、言葉遣いもいささか直された方がよろしいかと。とても、これからエリザさんの読み書きに加えて、上流階級の礼儀作法を教える者の話し方には、到底思えませんよ」
「んんん~!」
またしても痛い返しが飛んできて、ソリドゥスは渋い顔になった。
読み書きも重要であるが、もしエリザがバナージュに帯同して出掛けることになった際、礼儀作法と言うものも重要となってくる。
王子の側に淑女がいて、その淑女が粗暴な振る舞いをしてしまっては、王子自身も安く見られるし、顔に泥を塗ることになりかねないのだ。
また、ちゃんと添い遂げたとしても、その後は完全に上流階級に身を置くことにもなるし、決して無駄にはならないことでもあった。
なお、ソリドゥスも大富豪のお嬢様であるので、そうした祝賀の席には出る事もあるため、作法については徹底的に仕込まれていた。
普段は暑苦しいので脱ぎ捨てているだけであり、その気になれば猫の毛皮を何重にも着込めるほど、切り替えの早さを持ち合わせていた。
「と、とにかく、今は目の前の事の集中よ! 本格的に動けるのは、教会から婚姻無効の通知が届いてからになるから!」
「クッキー、ちゃんと召し上がってくれたらいいのですがね」
「湿気る前に食べるに決まっているでしょう!」
なにしろ、金貨二百枚も詰んで、催促したのである。しかもパシー商会の名前を出してまで頼み込んだのだ。
おそらくは限界に近い程の大急ぎで仕上げてくれるとは思うが、それまでに王子と村娘の間を取り持ちつつ、ただの村娘を上流階級のお嬢様に仕立て上げねばならなかった。
とにかく時間が惜しいと感じる、ソリドゥスであった。
~ 第十四話に続く ~
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