第9話 離婚工作(後編)
模写した戸籍票に二、三手を加えた後、ソリドゥスが向かったのは教会であった。
結婚の取り消しには神との契約を成した教会の判断がいるため、当然と言えば当然の行動であった。
司祭との面会を求めたが、流石に事前予約もない娘一人が会えるはずもなく、にべもなく断られた。
やむなく、ここでもパシー商会の印章を出し、さも父からの密使のように匂わせ、どうにか会うことに成功した。
(ああ、やっぱりここでもこうなるか。でも、見てなさいよ。そのうち顔パスで会えるようにはなってやるんだから!)
心の中でそう意気込みつつ、ソリドゥスはようやく面会できた司祭に恭しく頭を下げた。
「司祭様、ご多忙のところ、わざわざ場を設けてくださり、感謝の念に絶えません」
「構わんよ。して、ダリオン殿の要件は?」
促されるままに、ソリドゥスは二枚の書類を差し出した。一枚は模写した戸籍票であり、もう一つは手を加えた戸籍票であった。
「実は司祭様、去年こちらにて婚儀を結びましたザックとエリザなのですが、“古い戸籍票”が見つかりまして、それによりますと、この二人は兄妹であることが新たに発覚したのでございます」
渡された“古くて新しい戸籍票”には、確かに二人の血縁を示す事柄や家系図が書かれていた。
そもそも、エリザは農村出身の単なる村娘であるし、戸籍はともかく、家系図はかなり曖昧な点が多い。
ザックに至ってはソリドゥスが拾った行き倒れであるため、過去の記録がよく分かっていない。
しっかりとした記録の残る貴族などと違って、改竄する余地などいくらでもあるのだ。
「新たに見つかった家系図は本物だと判断したため、こちらに参った次第です。このザックなる者は、父の馬廻りを務める者。そのような者が“近親相姦”という禁忌の状態にあるのは、いささか体裁が悪いと判断されたのでございます。ただ、解雇するには、あまりにその腕前が惜しいとのことで、司祭様のお力添えで何とかならぬかと、こうして参上いたしました次第です」
「なるほど、そういうことでしたか」
司祭は説明に納得し、書類にしっかりと目を通した。不備のある点がなかったのか、何度か頷いてソリドゥスの言葉を受け入れた。
「そういう事情でしたらば、引き受けましょう。ダリオン殿には色々とお世話になっておりますし、なんとかしてみましょう」
「はい。御多忙の事とは思いますが、“できるだけ早く”お願いします」
そう言うと、ソリドゥスはアルジャンに持たせていた箱を司祭の前に置いた。そして、それを空けると、そこにはぎっしりと金貨が詰まっており、それを目の当たりにした司祭は目を丸くして驚いた。
「な、こ、これは!?」
「クッキーです。他の方々とのお話の席で、お茶菓子としてお召し上がりください」
婚姻の取り消しともなると、事務的な手続きに加え、書類の審議などがある。それを円滑に進めるための心付けである。
「クッキーは二百枚入っておりますので、皆さん存分にお召し上がりください」
「にひゃ!? ……え、あ、お、おお、そうか。うむ、では、お茶請けに使わせてもらおう」
司祭は怪訝に思うことがあった。なにしろ、いくら自身の馬廻りのためとはいえ、この大金を使ってまでさっさと婚儀取り消しの手続きを行わせるなど、あまりにも怪しすぎるのだ。
通常の事務手続きであれば、多少時間はかかるが受理されることだろう。
パシー商会、それにこの大金、何か早めに処理したい事情があるのだろうが、それを詮索しないでくださいという意味を込めての、クッキーの山なのだ。
その黄金の輝きは無言の圧力。早くしなければ、面倒事になりかねないと司祭は判断した。
「なるべく早く結果はお知らせできるかと」
「一週間以内で」
「一週間!? いくらなんでもそれは」
「お願い申し上げます」
ソリドゥスは笑顔の応対をしているが、黄金の輝きに照り返る笑顔は、恐ろしいほどの圧を放っており、司祭を恐れさせるのに十分すぎた。
「わ、分かった。できるだけ、早くに仕上げよう」
「ありがとうございます、司祭様。神の御加護があらんことを」
ソリドゥスは恭しく頭を下げ、控えていたアルジャンやデナリもそれに倣い、頭を下げた。
そして、三人は執務室を出て、急ぎ足で廊下を進んだ。
「さあ、次は服飾店よ。エリザの服を買うわ」
「散財著しいですな」
アルジャンの心配ももっともであった。何しろ、ソリドゥスの持ち弾は金貨千枚。そのうちの二割をたった今消費したところだ。さらに追加で買い物をするなど、さすがに気になるところであった。
「とにかく、今は速度重視! 殿下の気が変わって、エリザを屋敷から帰す前に、決着を付けないとダメ。そのための必要経費よ」
のんびりやれば受理されたであろう婚姻取り消しの事務手続きを、僅か一週間で終わらせろと無理を言ったのは、その時間を惜しんだからである。
なにしろ、二人を引っ付ける機会は、二人が同じ空間にいる間だけだ。本来、王子と村娘なんぞが、同一空間に肩を並べて歩いていること自体が異常事態なのだ。
「とにかく、エリザが殿下の気を惹いて、その猶予を伸ばしつつ、どうにか引っ付くところまで持っていくのが、今回の仕事よ」
「とんだせっかちな
「むしろ、商人としては真っ当なやり方でしょ!?」
商取引においては、信用や人脈、財力や情報等によって、状況が大きく変化するのが常だ。むしろ、金の力で状況を動かすなど、商人ならばやって当然の手法なのだ。
ただ、問題があるとすれば、渡した家系図が改竄されたものであることと、依頼した相手が神に仕える司祭であったことなのである。
色々と神に対して冒涜していると、事情を知る者には思われても仕方がなかった。
「とにかく急ぐわよ! 次は買い物!」
三人は教会を飛び出すと、商店の立ち並ぶ商業区へと向かった。
~ 第十話に続く ~
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