第8話   離婚工作(中編)

 ザックとエリザの戸籍を調べるべく、役所にやって来たソリドゥスであったが、早速つまずいた。


 見ず知らずの少女に、いきなり戸籍を見せろと言われ、はいそうですかと見せる役人などいなかったのだ。



「あ、すいません。こういう者ですけど」



 やむなく、ソリドゥスは懐に入れていた印章を見せ付けた。パシー商会のそれであり、その一族に名を連ねる者の証であった。


 途端、役人の顔色が変わった。顔面蒼白となり、慌てて戸籍台帳を取り出してきたのだ。



(あ~、やっぱり強いわ、うちの商会)



 なにしろ、ソリドゥスの実家が経営するパシー商会は国一番の大きな店であり、父ダリオンも兄レウスもとんでもない規模の大富豪なのだ。十五の娘にポンと金貨千枚を差し出した件にしても、その懐事情が知れようというものであった。


 目の前の役人にしても、父か兄の使いできたのだろうと誤認し、焦っているのだと感じた。



(でも、これは私の実力じゃないのよね~。まあ、いつかは私の名札で平伏させてあげるから!)



 などと未来の自分を夢見つつ、戸籍台帳を開いた。


 そして、エリザの家の項目を見つけ出し、ジッとそれを眺めた。



「まあ、エリザは元々農村部の出身で、内容はいたって簡素。ザックに至っては行き倒れを、私が拾ったんだし、過去の記録はなし。当然よね。あ、デナリ、ここのページ、全部模写しといて。一言一句間違いないように」



「は~い」



 持ってきた紙とインクを取り出し、デナリはせっせと書き写した。


 デナリの“天賦ギフト”は【複写の筆運び】と名を付けており、字を上手くかけたり、あるいは見た文章をそのまま書き写したりすることができる。


 無論、“天賦ギフト”の正体はソリドゥス以外は見ることができないため、デナリ自身もよく分かっていない。あくまで姉に『書記にしてあげるから字の練習しといて』と勧められて、必死で覚えたら、思いの外上達したという流れだ。


 もちろん、それはソリドゥスの目論見通りだ。



「さて、ザックとエリザを離婚させるにはどうすればいいと思う?」



「暗殺」



「だからそういう物騒なのじゃないから!」



 どうも物事の考え方が極端過ぎると、ソリドゥスは同い年の従者をたしなめねばならなかった。



「まあ、アルジャンの言う通り、離婚はできない。神との契約を破る行為だし、教会も認めないわよ」



「王侯貴族ですら、それを破るわけにはいきませんからね。故に、“不慮の事故”が尽きないわけですよ」



「そう。だから、アルジャンの言葉も正しいと言えば正しい。死が二人を分かつまで続くのが、結婚っていう契約でもあるから」



 説明するまでもなく、それは誰しもが理解している内容であった。


 むしろ、縛りは庶民より、上流階級の方がきついとさえ言えた。婚姻による家同士の繋がりを重視する傾向が強く、互いの相性すら無視されることもままあることだ。


 故に、妾だの愛人だのと、夫婦間とは別に恋愛対象を求めることも往々にしてあるのだ。



「不倫は文化! 愛人、愛妾は持って当然! 持たれて当然! もう一種のアクセサリーみたいなもんよ。もちっと明るい家族計画はできないのかしら」



「お嬢様には、縁のないお話ですね」



「しばき倒すわよ! あたしはね、政略結婚とかであっても、もう少し夫婦円満であればいいわね、って言ってるの! それに越したことはないじゃない!



 ソリドゥスはまだ十代半ばで、そろそろ色恋沙汰に目覚めてもよさそうなのだが、商売、金銭以外に色目を使うことはなかった。


 とにかく、商人になりたい。商売がしたい。これ一色で心が占められており、殿方に恋い焦がれるなどという感じにはならなかった。



「いっそ、旦那様の言うように、花嫁修業をさせた方が、幾分かマシかな~」



「なんか言った?」



「叶う事のない未来を描き、破滅的な気分に浸っているだけです」



 皮肉屋もここまでくれば逆に感心すると思いつつ、ソリドゥスは思考を元に戻した。



「んで、今回やるのは、逆転の発想。そもそも結婚が成立していなかったことを証明するの。つまり、神との契約なんて始めからなかった、ということにするのよ」



「ああ、それで戸籍をせっせと写させたわけですか」



 ソリドゥスはここまでの説明で、早くも理解したアルジャンに流石と素直に関心した。


 なお、戸籍の模写を終えたデナリは、二人の会話について行けず、首を傾げるだけであった。



「デナリ、こういう事だよ。神との契約である結婚は破れない。なら、契約成立前に遡って、実は二人は結婚出来ない事情や条件が存在した、ということにしてしまおうというわけさ。例えば、二人は実は生き別れの兄妹でした、という具合に」



「はい、正解!」



 やはり正確に理解していたかと、ソリドゥスは称賛の拍手をアルジャンに送った。


 なお、アルジャンはそんな主人の気持ちなど無視して、その顔を睨み付けた。



「な、なによ」



「やれやれ。と言う事は、戸籍の書き換えが必須でございますな」



「そりゃね」



「つまり、筆達者なデナリにやらせると。あれほど可愛い可愛いと愛でていた妹に任せる最初の仕事が、よもや“戸籍改竄の文章作成”とは恐れ入りました。呆れ果てて物が言えません」



「んんん〜!」



 痛いところを突かれたソリドゥスは、アルジャンのツッコミに返す言葉もなく、渋い顔を浮かべた。


 しかし、当のデナリは気にした様子もなく、笑顔を浮かべていた。



「別に構いませんよ〜。あたし、ソル姉様のお役立てできて嬉しいです!」



 デナリの視線の先には、貰った指輪がはめられていた。姉から貰った大事な宝物だ。



「金貨三枚と銀貨五枚分の働きはしますよ~」



「では、こちらは銀貨五枚分の働きをしましょうか」



 なお、アルジャンはソリドゥスより贈られた帽子は家に置き去りにしていた。



「もっと働け、このバカたれ!」



「なれば、賃上げを要求します。デナリの七分の一の物品しか受け取っておりませんので、対価に相応する働きで我慢してください」



「デナリが字が奇麗だから、こうして頼んでいるんであって、あんたは特に何もやってないでしょうが」



「荷物運びと、あとは激励」



「激励!? 今までの会話が激励ですって!?」



「俺は少なくとも、そう考えております」



 ああ言えば、こう言う。本当に口だけは達者だなとソリドゥスは引き下がることにした。これではいつまでたっても話は進まないし、考え抜いた末の転進であった。



(まあ、デナリに頼むのは少々心が痛むけど、これも仕方がないのよね。代筆屋に頼むよりかは安上がりだし。なにより、改竄文章の作成依頼に加えて口止め料を考えると、その指輪に払った金額以上に積み増ししないといけないもの)



 妹に汚い仕事を任せるのは気が引けたが、もはやそうも言ってられない状況でもある。なにしろ、借金で金貨千枚も負債がある分、期日までにきっちり返さないと、鑑定士として飼い殺しの人生が待っているのだ。


 無論、“天賦ギフト”の性能を考えると、ある意味では正解なのかもしれない。実際、やり手の兄のことだし、最大限その性能を活用してくるだろう。



(でも、それは断じて嫌。私は私の店を持って、実力で成り上がるの! そのために、今回は王子様と幸運の牝馬を引っ付ける、愛天使キューピッドになるんだからね!)



 形振り構ってはいられない。時間もなければ、金にも限りがある。どちらかがなくなる前に、ちゃんとした成果を挙げねば、残りの人生がつまらなくなる。


 それだけは回避しなくてはならない。


 ソリドゥスは出来上がった戸籍の模写を眺めながら、次なる一手に移ることを決めた。



           ~ 第九話に続く ~

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