第6話   出資者

「なに、金を出せとな?」



「そうです! お父様、さっさと出資してください!」



 屋敷に戻るなり、ソリドゥスは執務室にて、決済の書類に目を通していた父ダリオンに詰め寄った。


 またいつもの娘のわがままの口上を聞かされるのかと、ダリオンはいささか面倒くさそうにしていたが、普段とは雰囲気が違うことに気付いた。



「まあ、理由くらいは聞いてあげましょう」



 同じく、ただならぬ雰囲気を感じたソリドゥスの兄レウスが、妹を宥めながらダリオンを見つめた。


 まあ聞くだけ聞くかと、ダリオンは頷いて応じ、ソリドゥスに続きを話すように促した。



「お祖父様はこういう言葉を残しております。『奇貨置くべし』と!」



「奇貨、つまり値上がりしそうなよい商材でも見つけたか?」



「はい、その通りです」



 目を輝かせて喋るソリドゥスに、ダリオンはいささあ引き気味であった。今までも勢い任せに娘が突っ込んでくる場面もあったが、今日のは特に迫り方が尋常でなかった。


 さっさと金を出せ、そう娘の瞳が訴えかけているのだ。



「で、その商材はどんなものだ?」



「バナージュ殿下です」



「……まさか、殿下を王位継承問題に巻き込むつもりか!?」



「いかにもその通りです!」



 ノリノリで答えるソリドゥスに、ダリオンは首を横に振り、それはないと否定した。



「ソリドゥス、現在の王宮内の状況を理解しているのか?」



 娘の無茶ぶりに頭を抱えるダリオンに代わり、今度はレウスが尋ねてきた。レウスも父同様、妹の突飛のない話に驚いたが、理由を聞こうと言った手前、ちゃんと聞いてやらねばと思ったのだ。



「それは承知しています。現在、国王陛下は体調が優れず、寝たり起きたりの生活だそうで。そこで、王位を息子に譲り、楽隠居を決め込もうと言う話が出ています」



「そうだ。そして、次の国王には、第一王子と第二王子のどちらかがなることだろう。どちらも王位を狙っており、派閥形成に余念がない。貴族はもちろんのこと、有力な商会や地方の名士、果ては商工ギルドの有力者まで、とにかく自勢力の拡大のため、勧誘合戦の真っ最中だ」



 なにしろ、パシー商会自身が渦中に巻き込まれているのだ。


 どちらの陣営からも味方するように何度もしつこく打診されており、ダリオンもレウスものらりくらりとそれをかわしていた。


 まだ旗色を鮮明にするのは早いと、どちらも考えているため、あえてとぼけた対応に終始し、情勢を見守っている状態だ。



「そして、お前の言うバナージュ殿下、すなわち第三王子は、その後継者レースに参加していない。なにしろ、芸術以外には興味のないお方。派閥の旗頭として担ぎ上げようとする者もいない。完全に出遅れた、というより参加するつもりのないのだぞ」



「ええ、そうですわね。バナージュ殿下は面倒事は嫌だと思っている事でしょう」



「そこまで理解していながら、殿下を担ぎ上げると?」



「担ぎ上げはしません。殿下が“立つ”のです。私はその添え物になるだけです」



 ますます状況が掴めなかった。やる気のない王子が後継者レースに参加するとは思えないし、仮に参加しても大きく引き離されている以上、今からの派閥形成では他の二人に喰らい付くことなど不可能であた。


 にもかかわらず、目の前のソリドゥスはノリノリなのである。こんな計算ができないとは思えないが、さすがに年若い少女の猪突には二人揃って焦りを覚えた。



「いくらなんでも、無理だぞ。確かに現在、バナージュ殿下には派閥がない。もし立ち上げた場合は、その者が派閥の主幹となるだろう。つまり、お前だ。だが、勢力として弱すぎる。無視されるか、捻り潰されるのがオチだ」



 ダリオンとしては、第一王子と第二王子を天秤にかけ、より利益をもたらしてくれる方に味方しようと、付かず離れずを繰り返しつつ、探りを入れている状態なのだ。


 ここで万が一にも第三勢力が登場して、横槍を入れてくるような事態は避けておきたかった。


 盤面が狂うのが目に見えているからだ。



「大丈夫です! そんなことにはなりません!」



「その自信はどこからくるのだ!?」



「バナージュ殿下は“幸運の牝馬”を手に入れました! なので大丈夫です!」



 ソリドゥスの言っていることは無茶苦茶であるし、聞いている二人にもそうとしか聞こえなかった。


 自分の店を持ちたい持ちたいと叫ぶあまり、いよいよ発狂したかと心配になってきた。



「……分かった。いくら用立てればいい?」



 レウスは根負けしたのか、融資に応じることにした。


 これにはダリオンも驚き、それ以上にソリドゥスが驚いた。こんなにあっさりと受けてくれるとは思っていなかったからだ。



「ありがとう、お兄様! んじゃ、早速で悪いんですけど、金貨で千枚ほどいただきたいです!」



「うん、自分の迂闊さを呪いたくなった」



 遊び半分で引き受けた妹の妄言に対して、よもや金貨で千枚も要求されるとは予想していなかったので、レウスはため息を吐いた。


 と言っても、派閥を形成するのであれば、控えめ過ぎる工作資金であった。後継者レースの裏も表も監視しているダリオンやレウスにしたら、とてもではないが他の王子の派閥に対抗できる勢力を築けるとは思えなかった。



「無駄金になったかな~」



「大丈夫です! きっちり返しますから!」



 ソリドゥスは手を兄に差し出し、さっさと寄こせと急かした。もし、尻尾でもあれば、ブンブン振り回していることだろう。


 そんなはしゃぐ妹をしり目に、レウスはペンを手に取って小切手に金額を記載し、同時に捺印も済ませた。



「ソリドゥス、これを銀行の窓口に持っていけば、金貨千枚を受け取れる」



「はい!」



「その前に確認しておくぞ。金貨千枚は“返す”のだな?」



「もちろんです! 私は商人ですから、契約は絶対です! 必ずお返しします!」



 ソリドゥスもまだ自分の店を持っていない豆粒のごとき商人ではあるが、すでに大店の主のごとき矜持を持ち合わせていると思っている。


 金貨千枚程度を返せなくて、世界一の商人など目指せるわけがない。それが少女の想いであり、原動力でもあるのだ。


 その熱意が伝わったのか、レウスは渋々ながら小切手を手渡すことにした。



「最後に、契約の確認だ。私は金貨千枚を用立てたが、お前はこれを返すと宣言した。返済期限はどうすする?」



「では、一年ないし、“王位継承者が決定するまで”というのはいかがでしょうか?」



 やはり本気で派閥でも立ち上げるつもりか、そう考えたレウスは妹の度胸だけは称賛したい気分であった。もっとも、商人の世界は過酷であるので、胆力だけではどうにもならないことをしっかりと教え込まねばと、兄としての責務にも思い至った。



「では、その条件でよかろう。他に申し送りはあるか?」



「お兄様、返済について、『金貨千枚、ないし金貨千枚に相応する物品』での返済というのは受けていただけますか?」



「現物返しか。それの価値判断は誰がする?」



「もちろん、お兄様の目利きを当てにしてますわ」



 レウスは思わず笑ってしまいそうになった。ソリドゥス自身が神よりの“天賦ギフト”として、最高の鑑定眼を貰ったと言うのに、あえて判断を任せてくるのが愉快なのだ。


 下手な鑑定はできない。何を持ち込もうというのか、楽しみであった。



「では、こちらからも条件を出そう。もし、期限までに返済ができなかった場合、ソリドゥス、借金のカタにお前の“体”で払ってもらうぞ」



「やぁ~ん、お兄様のエロスケベェ~。ってのは置いといて、実際は私の“眼”が欲しいのでしょう?」



 ソリドゥスは自分の目を指さし、兄をじっと見つめた。実際、その通りであるので、レウスは無言で頷いた。


 ソリドゥスの持つ“天賦ギフト”、自称【なんでも鑑定眼】は触れた物の性質や価値を瞬時に見抜く能力だ。その性能を考えると、はっきり言えば、金貨千枚でも安いくらいだ。


 だが、何の実績を持たない十五の小娘に、金貨千枚も貸してくれるところなど他にあるはずもなく、自分を担保に融資を願い出るしかないのだ。


 そして、それを受けてくれるのも、能力をよく知る身内だけだ。


 選択の余地はない。



「もちろん、その条件は受けます。もし期限までに借金を返せなかった場合は、お兄様のまなことなって、馬車馬のようにこき使われましょう」



「よかろう。では、以上の条件で契約は成された。ソリドゥスよ、お前の言うところの“幸運の牝馬”とやらによろしくな」



「ありがとうございます!」



 ソリドゥスは小切手を受け取ると、素早く礼をして部屋を飛び出していった。扉越しになにやら待たせていた従者と何か話しているようだが、うまく聞き取れなかった。


 静寂が戻った部屋で、安堵のため息を漏らした親子は顔を見合わせた。



「なあ、レウスよ、少し奮発しすぎたのではないか?」



「そう思わないでもありませんが、あの“眼”が自分の制御下に入るのであれば、十分元は取れるかと思います」



 実際、ソリドゥスはその最強の鑑定眼をあまり使うことがないのだ。何かしら気に入った物品でなければ調べようとはせず、鑑定したらしたで高額な鑑定料をふんだくって来るのが常だ。


 とてもではないが、扱いやすいとは言い難い状況であり、それが大人しく従うようになると言うのであれば、金貨千枚も決して惜しくはない。



「それに、万一にも、ソリドゥスの考えとやらが成功した場合は、その利益は計り知れませんし」



「バナージュ殿下を担ぐ件か? いくらなんでも分が悪すぎるぞ。賭けとして成立するかどうかも怪しいくらいだ」



「父上の仰る通り。大穴も大穴、万馬券でしょうな、“幸運の牝馬”とやらは」



 レウスも父の心配はよく分かっている。金貨千枚は捨てることになるのではと言う危惧だ。



「まあ、完全な捨て金にはなりませんよ。ソリドゥスにガッチリとした鎖をはめれるのでしたら、金貨千枚程度なら回収は可能ですし、完全な損にならないのであれば、万馬券に張ってみるのもたまには悪くありませんか?」



「他二人の派閥抗争に余計な波紋を呼んでも、娘が勝手にやりました、で済ませる、か」



「まあ、その辺りはソリドゥスの手腕次第かと。世界をひっくり返すほどの一芸を見せてもらうとしましょうか。見物料は金貨千枚!」



「やはり割高だな。十五の娘には過ぎたる額だ」



「父上が過保護すぎるのですよ。そろそろ経験を積ませ、荒波に揉ませるべきです」



「最初の一撃で吹っ飛びそうな案件ではあるが、まあ、見守るとするか」



 そこでこの件の話は終わり、元の書類仕事に戻っていった。


 娘の策を眺めるのは、あくまで娯楽程度の感覚でしかないのだ。たとえ賭け金が金貨千枚であったとしても、国一番の大商人にとっては、十分取り返しがつく金額でしかなかった。



           ~ 第七話に続く ~

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